第527話 遊文館 開館

 開館日、前日。

 もの凄く緊張している。

 俺は遊文館の一階に入り、誰ひとりいない建物の中を巡り最後の点検をする。


 まだ全館開業ではないのだが、俺が立ち上げたことの『始まり』だ。

 職員の依頼とか、全ての本の訳文なども終わってはいない。

 やることも考えることも山積みだ。


 古代文字と現代文字の辞書はなんとか書き終えてはいるが、まだ足りない言葉もたくさんある。

 前・古代文字から現代文への辞書に至っては、やっと半分くらいができあがった程度。

 図鑑もこの町の身近な植物と動物だけはできたけど、それ以外は足りない情報が多いからこれからいろいろな人にリサーチしていく必要がある。

 もうね、ライフワークってくらいの覚悟で挑むべきことだって解っているんだけど、できるだけ早く、できるだけ沢山、できるだけ正確に……って焦りは、ずっとある。

 あちらの世界で使える知識の本も、訳し始めているけど本当にね、当て嵌まる言葉がないと表現が困るよね!


 焦るな、焦るな。

 まずは『子供が遊べる絵本のある場所』ができること、だ。

 レイエルス侯に買ってきていただいた本は、すべて並べることができた。

 三冊ずつ複製してあるから、読みたくてもなかなか読めないということは少ないだろう。

 この町で売られている本も買い足してあるし、これからはこの町の『絵本作家』の本も加わるのだ。


 すうっ、と『本』の香りが漂う。

 こんな贅沢な芳香をここで楽しめるのも、今だけだろう。


 明日は食堂を休んでまで、父さんと母さんもここに来てくれる。

 しっかりしろ!

 よっし、全部、明日だ!



 翌朝は、少し冷たい雨が降っていた。

 雨の始まりは、嫌いじゃない。

 今までの悪いものが洗い流されて、祝福が降り注ぐ恵みの雨なんだと、昔、じいちゃんに教わった。

 だが皆さんの出足は鈍いだろう、と思いつつ遊文館内に『移動の方陣』で飛んだ。

 そして建物の窓から、表門の面している紫通りを振り返って驚いた。

 とんでもなく、人がいる。

 祭りじゃないだろうか、と思うくらいに。


 この世界では傘は『日傘』であり、それも日差しを避けるというよりは、お洒落アイテムとして持つという感じで雨の時には差さない。

 雨を魔法で弾いている人もいるし、魔具を使って雨除けをしているのが普通である。

 だから子供達は雨の時には殆ど外には出ないし、出る子はびしょびしょになって遊ぶのだ。

 でも、最近は俺が作った雨合羽を着ている子供も増えているし、今日も滑り止めの靴底を装着して見に来てくれているのだろう。


 今は、まだ中から外は見えるけど外から中を伺い見ることはできない。

 建物の外壁にかけている魔法が、発動していないからだ。


 遊文館の玄関ホールには、神官さん達と司祭様。神務士さんたちは……ちょっとお留守番をしていただいている。

 彼らはこの町の在籍ではないので、登録がされていないからオープンしないと入れないのだ。

 それに彼らでは、利用者登録用の『鑑定登録』の石板に魔力を通して『認証』の作業をする魔法は使えないから手伝ってもらえないのである。

 ビィクティアムさんと、その魔法が使える衛兵隊員の何人かも応援に来てくれている。

 忙しい時期に、お使いだてして本当に申し訳ない……


「今日は、ありがとうございます」

 俺が皆さんにお礼を言うと、早く中が見たくてうずうずしていますよ、とテルウェスト司祭がワクワク顔だ。

 ビィクティアムさんも、ようやくだな、と顔をほころばせる。


「では、すべての魔法を発動させ、表玄関を開きます!」


 一斉に灯りが点き、外壁に魔力が走り、さっきまでただの壁に見えていたそれが透明な水晶のように透ける。

 それと同時に、紫通りに向いているすべての扉が大きく開いた。


 歓声が上がる。

 響めきが身体を震わせる。

 笑顔が、見えた。

 こんなにも、楽しみにしてくれていたのだ。


 第一声はテルウェスト司祭だ。

 ……俺が、お願いした。

 ここが陛下と教会に認められた施設である、と示すには司祭様か領主の挨拶で始まらなくてはいけない。

 シュリィイーレに領主はいないのだから、と、半ば無理矢理。


「ようこそ、シュリィイーレの皆さん! 遊文館は、子供達のための施設です。子供達からどうぞ中へお入りください!」


 そう、一番最初は子供達だ。

 わあっと、声が上がり十歳前の子供達が走り出す。

 そして小さい子達のあとに、ティーンの子達と成人の儀をまだ迎えていない二十代前半の子達が続く。

 そのあとには、適性年齢前の人達。


「大人になっているのが、こんなにもじれったいと思ったのは初めてですぅっ!」

 ヨシュルス神官の言葉に、衛兵隊員達も頷く。

 子供達が走り回り、本棚をキラキラとした瞳で見つめる少年達や少女達。

 蔵書の数だけではなく、二階への階段を上がりその全体の広さに圧倒される青年達。

 彼らが入りきったであろう最後に、大人の方々もご入場いただいた。

 父さんと母さんも入ってくる。


 スペースの半分が吹き抜けの天井。

 中から見るとドーム状の屋根だが、屋上庭園があり寛ぐこともできる。

 ぐるりと走り回れる、サーキットのようなスペースの周囲にも低い位置に本棚がある。

 至る所に椅子やテーブルが置かれているので、思い思いの場所で読書を楽しんでもらえる。

 柱の周りも本棚になっているし、設置されている本棚は可動式なのでレイアウトチェンジも簡単にできる。


 そしてイートインスペースも窓際にいくつかあり、自販機が設置してある。

 ここの食べ物は保存を考えていない包装なので、セロハンを片側に使った袋で中身が見えるようにしてある。

 ここの中には本を持ち込めないので、長居はされないだろう。

 されても……いいんだけどね。


 水晶の橋が架かっている中二階や、二階へと上がると、各領地ごとになっている本棚だ。

 ここは閲覧制限区域になるので、有資格者のみが本棚から本を取り出すことができる。

 限定本を読めるのもこのエリア内だけだから、許可のない人は残念ながら閲覧ができない。


 すべての壁は所々に入っているレリーフや曇り硝子を使った装飾以外、透けて見えるようになっているので中に人がいるかいないかは外から見える。

 ここの本は古代文字や前・古代文字なので、古代文字の方は辞書も使えるようにしてある。前・古代文字の辞書の完成は急務だ。


「凄い……こんなに明るくて天井が高い建物は、教会くらいだと思っていたよ」

「本当ねぇ。上の階にも本がいっぱいだわ!」

「あっ、おい、あちらに飾ってあるのは、絵本の応募のものじゃないのか?」

 そう、絵本コンクールの第一次審査通過作品のすべてを、展示してあるのだ。


「では皆さん、この『遊文館』の利用登録を行いますのでお並びください!」


 司祭様の声が響き、皆さんが登録受け付けへと並ぶ。

 神官さん達、衛兵隊員達で、手分けして『入場者の名前入り移動方陣鋼』を渡していく。

 移動方陣鋼は……千年筆の形で作った。


 当然、ペンとしても使えるもので『ネーム入りペン』とするのだ。

 名前が書かれていて、魔力が入っていて、ここに来る時に必ず持っている必要があるもの。

 そして子供以外の来館者には名前を書いてもらうから、千年筆を持参して欲しかったということもあり、ならばそいつが入場証でいいじゃん、と思ったのだ。

 本を読む時にそれを持っていたら、巻末の『読んだ人の名前を書く欄』に、すぐに記入してもらえるかも……とも思っている。


 登録は、最初に銀貨一枚でその『利用登録千年筆』を買ってもらう。

 これは販売という形だが、保証金みたいなものでペンが返却されたら銀貨一枚はお返しする。

 それを買って、魔力を入れてもらったら登録用紙に名前を書いてもらう。


 ノック式伸縮タイプで、書く時は本体を延ばしてからノックすると普通に千年筆として使える。

 短いから胸の衣囊ポケットにも入れられるし、チェーンリングが付いているのでベルトに付けてもらうこともできる。

 移動の方陣を起動させるには、本体を伸ばさずに二回ノックして行き先を自宅か遊文館か選べばいいのだ。


 身分証で在籍地を確認したらその名前を俺がふたつの目標鋼に複写、買ってもらった千年筆にも名前を記入することでシュリィイーレ在籍者は登録完了。

 利用者ガイドの小冊子と一緒に、千年筆利用者書とお家に置いておく目標鋼をお渡し。


 これで遊文館登録者は、どこにいても家にすぐに戻れる移動方陣が使える訳だ。

 今売っている移動方陣鋼と併用すれば、少なくとも家と職場と緊急避難場所と遊文館には移動してもらえるようになるのだ。

 これは災害時にも役に立つし、普段の移動でも少しずつ魔力を使う習慣になる。


 シュリィイーレに住んでいても、他領在籍のままにしている方々もいる。

 そういう方々は名前と在籍地を申込用紙に書いてもらうのだが、この千年筆での移動は施設の前までで施設の中に直接は飛べない。

 差別?

 当然!

 この施設はシュリィイーレの子供達とシュリィイーレ在籍者のものであり、他領在籍者は別に来ていただかなくてもいいのだ。


 でも、複製蔵書の寄付をいただいていたり、この町に住んでいらっしゃるならば利用していただくのは構わない。

 しかし、一切の優遇措置はないのだ。

 それに他領在籍でこの町にいるってことは、全員いい年した大人だからね。


 そして他領に住む他領在籍者、つまり『来訪者』には、目標鋼を差し上げないので移動はできないし利用登録も一時的なもので、日数を区切るから千年筆ではなくて『一時利用カード』だ。

 ……まぁ、ガイエスだけは、お友達優待ってことで千年筆にしてもらったのだが。

 いいの、ここは認可はもらったけど俺の『個人的な施設』だから!


「はい、ではこれを必ず持っててくださいね。これがないと、遊文館には入れませんからね」

 神官さん達がそう言うと、子供達が大きな声で返事をする。

 まだ文字の書けない子は受け付けた人が書いて、文字に本人の魔力を入れてもらうのだ。

 エゼルとレザムも、手習い所の子供達も、蓄音器体操の仲間たちも来てくれた。


「ねぇ、タクトさん、これ、もしもなくしちゃったらどうなるの?」

 アルテナちゃんは、なかなかいい質問をしてくれる。

「なくしたら、ここに来てくれれば再登録をするよ。ただ、その時はまた銀貨一枚が必要だ。もしなくなったものが出て来たら持ってきてね。その時にお金は返すよ」


「……どっかで落としたら、他の人に使われちゃう?」

「再発行の時に、なくしたものを無効化して新しいものを作るから、千年筆としても使えなくなっちゃうね。無効化しなくても名前が入ってて魔力登録をしているから、他の人は移動もできないし、千年筆として使うこともできないよ」


 それを端で聞いていた人達も、安心したようだ。

 細かいことは全部、利用者ガイドとエントランスホールの壁に規約を書いておきますから読んでね。


 そして、その千年筆で書いてもらうのは……絵本コンクールの投票である!

 本日から十日間が投票期間。

 名前が伏せられて展示してある作品を、伝承ごとに一番好きなものを決めてもらう。

 投票用紙は丸をつけてもらう形式で、すべての作品にはナンバリングされているので番号で選んでもらうのだ。

 ……文字で書かれちゃうと、無効票が増えそうだからさ。


 ただ、どうしても紙に描かれていない『絵』が注目を集める可能性があるので、絵の具や顔料などで『紙に書いた絵』部門と切り絵やステンドグラスとか刺繍、木工レリーフなどの『立体』部門に分けてある。

 紙に描かれた絵じゃないものがこんなにも多いとは思わなかったので、苦肉の策なのだ。


 いろいろな表現方法もあるんだということはお知らせしたいが、そればっかりになっても困るから部門を分けたってこともある。

 次の募集では、絵が描けないからとスルーしていた人達にも挑戦して欲しいし、他の人の絵を見てもっとこういう風にと奮起してくださる方々がいたらどんどんいいものが出て来そうである。

 製作は冬の間の楽しみにもなりそうだから、次のお題は今回の入選作発表の時に募集を始める予定だ。


 ひと通り施設を見終わった方々は、絵本コンクール応募作品をじっくり見てくださっている。

 絵にするのはこの場面じゃない方がいいとか、ここを描くならこれだと解りづらい……なんていうダメ出しから、可愛いとか綺麗とかそういうストレートなご意見も。

 投票用紙に感想も書けるから、ご意見も聞かせてね。


 いらしてくれた皆さんの登録も粗方済んだし、いつの間にかガイエスが二階のセラフィラントコーナーにいるし。

 ビィクティアムさんの姿が見えないから、ガイエスと一緒にセラフィラントの本棚かと思ったのだが……あれれ?

 衛兵隊事務所から呼び出されちゃったかな?


 いかん、お腹空いてきた。

 ちょっとお食事してから、続きをしようかな。

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