第514話 アーメルサスの現状

「……お疲れ様でした」

 書き疲れたアトネストさんと、怒りを抑えるのに必死だったテルウェスト司祭のふたりが脱力する様子に、俺はそうとしか言えなかった。

 アトネストさんの手が結構なダメージみたいだったので、方陣札の【回復魔法】でリカバリー。


「凄いですね……全然、痛みがなくなりました」

「応急処置ですから、終わったらちゃんと休ませてくださいね」


 ホント、ごめんね……二時間ぶっ通しで書かせちゃったよ。

 あ、甘いもの食べてね。

 魔力回復には、これが一番ですからね。


「大丈夫ですか、テルウェスト司祭?」

「……ええ……なんとか」


 駄目だーー。

 眉間の皺がくっきりーーーー!

 ま、ま、ま、ここは……そうっ、みんなでおやつにしましょうかっ!

 ねっ!


 持っていた菓子パンを、皆さんでどうぞと配り歩く。

 と言っても、今司書室にいるメンバー分くらいしか数がないから、他の人には内緒ですよ。

 シュレミスさんとレトリノさんが、私達もいいのですか? と恐縮しきりだが、いいんですよ。

 写経……じゃないな、写本、お疲れ様です。


 ガイエスは林檎の甘煮とカスタードクリーム、どっちがいい?

 おい、そんなに真剣に悩むなよ。

 ……今回はカスタードの勝ちか。


「はー……申し訳ありませんでした。つい、理性を失いそうになってしまいましたよ……」

「いいえ。仕方ないですよ。ヴェーデリアが聖神二位ですからね」

「それだけではありませんよ……なんですか、あの賢神二位は! あんなに図々しく、人々にできあがった果実を要求するなんて……あり得ませんっ!」


 ですよねー。

 要求を吞まないと、果樹を枯らすとか脅してましたしねー。

 アーメルサスのパロディ神達は、お強請りがえげつないクレクレ君過ぎる。

 全員祟り神クラスだよ。

 テルウェスト司祭の瞳に滲むものが……そんなにつらかったんですね。

 心の血涙も見えるようです……


 あ、アトネストさんが、めり込まんばかりに落ち込んでしまった。

 あんなものに洗脳されず正しい神典を求めて皇国にいらしたなんて、感動的ですよアトネストさん。


「いえ……多分アーメルサスの民は、神々を畏怖する者はいても、信じている者は……少なかったかもしれません」

 そう言って悲しげに顔を伏せるアトネストさんに、テルウェスト司祭が、ぽん、と背中に手を置く。


 ふわり、と優しげな空気が流れる。

 司祭様も聖神司祭様も時々こうして、背中に触れることがある。

 多分、これは落ち込んだり凹んだりしている人に、魔力でサポートしているんだと思う。


 聖魔法の精神系には、人の気持ちを宥めたり、落ち込み過ぎないように気持ちを支える働きをするものもある。

 司祭様って、そういう聖魔法を顕現させた人がなれるものなのかもしれない。


 ガイエスがちょっと心配そうに、こっちを眺めている。

 神務士さん達ふたりも……

 でも、もう少し待っててもらおう。

 ここが一番大切なのだ。


「アトネストさん、おつらいとは思いますがもう少しだけ、頑張ってください」

「まだ……書くこと……あ、そういえば、覚えている神話も……でございました」


 そうか、神話も依頼されていたのか。

 確かにこの『教典』だけは、あまりに短くて民に『この神々を信仰したい』と思わせる要素が皆無だもんな。


 だが、今必要なのはそれではない。

 そのことは、テルウェスト司祭からも説明が入る。


「まず、皇国語で書いた一枚目を、もう一度アーメルサス語で書いてください」

 アトネストさんは少しきょとんとしながらも、了承する。

「ただし、書き始めを少しだけ下にずらして上の方に文字を書き込める場所を空けてください」


 テルウェスト司祭に言われた通り、アトネストさんが書き始め三行分くらいの空白を取って書き始めた。


 暫くして一枚目がアーメルサス語で書き上がり、口述筆記の皇国語分と見比べる。

 ……うん、間違いない。

 文字の間違いも……あ、みっけ。

 細かい文字の間違いを訂正してもらい、一ページ目と最終ページが再びアトネストさんの前に置かれた。

 一ページ目の空けた場所と書き終わった後に、ある文言を記入して欲しいとテルウェスト司祭からアトネストさんに……ほぼ命令と言える要請がされる。


「この二箇所に『ここに記載されている内容はすべて偽りである』と記載した上で、魔力文字であなたの署名を入れてください」


 アトネストさんが弾かれたように顔を上げる。

 テルウェスト司祭を見上げる視線からは、混乱と逡巡が伺える。

 その視線を真っ正面から受け止め、テルウェスト司祭は更に続ける。


「その署名には『カティーヤ・アトネスト』と入れて欲しいのです」


 がたんっ!


 立ち上がったアトネストさんの椅子が、勢いよく後ろに倒れた。

 アトネストさんの視線が疑問と……僅かだが、怒りを帯びてテルウェスト司祭に固定される。

 当然だろう。

 間違いだと解っていても、その国でずっと生きてきたのだ。

 その全てを否定することだ。

 しかも、捨ててきたはずの家名を使えというのだから。


 これは皇国サイドの都合であり、アトネストさんを利用するということに他ならない。

 でも……多分、これが現在のアトネストさんを護る手立てになる。

 テルウェスト司祭はゆっくりと『皇国側の理由』を説明する。


「皇国教会では『正典』以外を、神々の言葉とすることを一切認めていません。そして、ねじ曲げられたものが皇国内に存在することを看過できません。皇国にそれらの教えや言葉を持つ者が全くいないのであれば、他国民の戯れ言と放っておけますが現在多くのアーメルサス人が皇国内にいて、数年後には帰化します。その皇国人となった彼らが……今後、かつて暮らしていた国の間違った教えを書き残さないとも限らない。それがうっかり残ってしまい、後世で『神々の言葉や物語』とされてしまってはいけないのです」


 今はそんなことは間違っていると解ってはいても、ふとした弾みで残ってしまった『正典以外の神々の話』が、はるか先の未来でうっかり『これも正典じゃね?』にされてしまってはいけないのだ。

 だから、現時点で『これと同じ内容のものは全部偽物』という『偽物の証明』を王都の聖教会に登録しておく必要がある……ということだ。


 そして偽物と証明したのが、現時点でアーメルサス国籍でありその教典を深く学んできた『司祭家門』というところも、ポイントなのだろう。


「それを書き記すことで……カティーヤが……アーメルサスを裏切ったということになるのでしょうか……?」


 アトネストさんの、この心配も理解できる。

 家門の名前を書くとなると、ずっとアーメルサスで司祭として人々に説いてきた教えの全否定なのだから最大の裏切りになる。


 そのことをもし本国のカティーヤ家門の人々が知ったら、それこそアトネストさんは追放、国籍剥奪……

 アトネストさんだけでなく、カティーヤ家門全員が裏切り者扱いされる事態もあり得る。


「アーメルサスの、君の生まれた家門に迷惑がかかることを恐れているのであれば……その点は気にすることはありませんよ」

「「は?」」


 テルウェスト司祭の言葉に俺だけでなく、アトネストさんも思わず声が出てしまった。

 ちょっと困ったような、情けないような表情を浮かべつつテルウェスト司祭が説明してくれたのは、ウァラクの隠密部隊調べで報告が上がったというアーメルサスの現状。


 まず……現在、五司祭家門と言われていた全ての家門の者達は、既にアーメルサス国内には誰ひとりいない。

 そのことは、首都を攻撃したテロ組織と思われる集団から『逃げたのか卑怯者ーー!』という煽り声明が発表されていることもあり、隠密さん達の調べとも一致。


 だが、そのテロ組織も長期間首都を占拠することなくいつの間にかいなくなり、現在首都は『憂国騎士』と名乗る『元司祭家門の私兵達』が居座っているようだ。

 それらも政治をするというよりはただ単に『支配』が目的なだけのようで、現時点でも内部からグズグズになってきているので瓦解は秒読み。


 しかも……西側の海から『他国』が兵を送り込んできており、既に西側は制圧されてしまっている……という、めちゃくちゃっぷり……


「五司祭家門の幾人かはオルフェルエル諸島で発見されていますが、散り散りに無人島などへ渡ったようで……その後の足取りは不明です。生きているかどうかも……」


 すっかり呆れかえったのか、アトネストさんが脱力してぽふん、と椅子に腰を下ろす。

 あ、倒れた椅子を、俺がちゃんと戻しておいたのでね。


 いやー……五司祭家門とやら、あっという間に泥舟と判断した自国が捨てられるとか、危機管理能力高いと言うべきかなんというか……上に立つ器じゃねぇやつばっかでよくもまぁ……


 アーメルサス、長くなさそうというか、もう『国』じゃなさそうだなー。

 入って来ているという『他国』は、どこなんだろう?

 そこの属国としてアーメルサスの名が残るのか、完全に制圧・征服されて名前もなくなってしまうのか……


 そうか……そうなると、アトネストさんの出自が問題になってしまう可能性がある訳だ。

 家門に認められていないと言い張っても、アトネストさんが司祭家門の生まれであることは教会に知られてしまったのだから『間違った教えを広めていた家門』としての認識を持たれている。


 だが、その家門の名前で『今までの教典は間違っていました。皇国でこれらの過ちを広めません』と認めて誓約することで、皇国の教会はアトネストさんを許すことができるのだ。


 ……それはつまり、確認ミスで帰化誓約を取らずに神職に就け、直轄地に送り込んでしまったラーミカ司祭とセインさんへの非難もなくなり、リカバリーになるということ。


 アトネストさんが『皇国の神職』を隠れ蓑にして、アーメルサス教典の教えを広めようなんて思っていないんですよ、アーメルサスが滅んでしまってもその教えを元にして国を再建しようと考えたりしてはいないですよ、という証明が必要なのだ。


 確認不足と手続き不備、そしてアトネストさんが個人情報を簡単に喋ってしまったから、ここまでのリカバリーが必要になってしまったということだ。

 まぁ、後から解って捕縛されるよりは、はるかにマシだったのだが。


 せめて、帰化確認だけは、絶対にとっておくべきだったよねー。

 ラーミカ司祭とラーミカの役所だけでなく、セインさんまでスルーしちゃったことが、話が大きくなった原因だろう。


 だが、それを書くか、署名するかの最終判断はアトネストさん自身だ。

 色々と思うところもあるだろうし、そう簡単には……


「ではっ、こちらでよろしいでしょうか!」


 あっという間に書いたな!

 魔力筆記の署名もっ!

 あ、テルウェスト司祭もあまりのスムースさに唖然としていらっしゃる。


「私の身を案じてくださり、私の気持ちを尊重してくださって感謝に堪えません。ですが、私はあの家門の名がここまで不名誉なものであると感じたのは初めてですっ!」


 そう言い放つアトネストさんの表情は……あー……『キレてる』って感じですわー……


「長きに渡り神々を差別し、貶めている教典を仰いでいたことは情けなく、それでもそれしか知らなかった憐れみと同情も幾許かはございました。しかし、民を見捨て国を捨てて逐電するとは……!」


 おおお……あの自信がないとか、駄目だ駄目だと言っていらしたアトネストさんとは思えない力強い口調だ。


「あの教典の気違い染みた愚神として描かれている偽書を完全に否定することで、あれらのような下らない選民思想だけで責任も持たない不届き者達を生み出さなくなるのであれば、不名誉極まりない家名、いくらでも書きましょう!」


 教義は間違っていたとしても、仰ぐ神が違っていたとしても、国を護り人々を護る家門であるはずだと……アトネストさんは思っていたんだろう。

 為政者としてでなくても司祭として、国を立て直すために民を支え尽力しているはずだ、と。

 だから彼は、政治などでは力になれなくても、正典を使って民の心だけでも救える手助けをしたかったのかもしれない。


「ですが……この後書く神話への署名が終わったら……その家名を二度と、呼ばれたくも書きたくもありません」

「ええ、解りました。ありがとう、アトネスト」


 テルウェスト司祭が、ほっとした顔を見せる。

 良かったよね、ホント……これでアトネストさんの入国と滞在については、皇国に『間違っていた教典』を提出し、それを是正するために学んでいると言えるようになった。


「御礼を申し上げるのは、私の方です。やっと……本当にやっと、全部吹っ切れました。ただ……もうひとつだけ確認したいのです」

「なんですか?」

「……アーメルサスは、なくなるのでしょうか?」

「まだ解りません。その確率は……非常に高いですけどね」


 独立国家としてのアーメルサスは、確実になくなるだろう。

 ……そうなるとミューラの時みたいに、今のアーメルサス国民は流民化するんだろうなぁ。

 占領国がどのように入り込むか次第だが、どちらにしてもアーメルサス語の身分証は無効になってしまうだろう。


 もし万が一にも今首都にいる『憂国騎士』とやらが政治的交渉に成功して、規模を縮小してアーメルサスという国が残ったとしても、さっさと国を捨てた五司祭家門は全員戦犯扱いか放逐だろうから……戸籍が抹消されてしまうかも。


 他国で絆壊はんかいの儀が行えるとは思えないから、切り捨ては難しいだろうが隷位は確実。

 どちらにしても、アトネストさんの登録は『アーメルサス』からはなくなってしまう。


 ……アトネストさんの帰化は、セインさんが保証せざるを得ないかもしれないなぁ。

 聖典・神話第五巻発見の功績ってことで、プラス方向の後ろ盾になってあげて欲しいところだ。

 アトネストさんは不本意かもしれないけど、ちょっと安心したんじゃないかなシュリィイーレ教会の人達は。

 司祭家門の人じゃなかったら、ここまでのことにはならなかったかもねぇ。


 ガイエスとふたりの神務士さん達、ガッツリこっちを見ているなー。

 聞こえないから余計に気になっちゃうよねー。


 あれ?

 俺も聞いている必要、なかったんじゃね?


 もしかして……アトネストさんの宣誓の立会人的なものになってしまった……のかな?




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『緑炎の方陣魔剣士・続』弐第150話・『アカツキは天光を待つ』の第73話とリンクしております。

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