第513話 アーメルサス教典

 司書室に入ると、ガイエスがあまり見たことがないタイプの司書室だというようなことを呟いた。

 どうやらどこでも本棚は腰より高い位置にだけしか本を入れず、下の方は重しが入っているだけのことが多いのだとか。

 確かに、ロートレア教会の司書室はそんな感じだったかもしれない。

 それって、ただ単に蔵書量の問題なのでは?

 ここは本の数としては、多い方だと思うし。


 あ、いや……秘密部屋入口を塞いでいる本棚のことがあるからかな?

 あの仕掛けが動かなくなった時に、重しが入ってて動かしにくい本棚よりは全部本にしておけば取り出しやすい。

 そして、全部そのタイプの書架にしておかないと、不審に思われるからだろうなぁ。


「タクト、方陣の描かれている本ってあったか?」

「あー……あっちの奥に何冊か。でも多分、おまえがもう持っている方陣だと思うぞ」

「ちゃんと説明とか、本自体も……読んでおこうと思って」


 おや、これは本格的に『方陣を組む』ことに挑戦し始めたかな?

 どんなのができるか楽しみだなー。


 俺とアトネストさんは、こっちの筆記用デスクの方ね。

 ……レトリノさんとシュレミスさんも……付いてくるかと思ったが隣の机についた。


 自習スペースのように座ると顎くらいまでの高さになる仕切りがついた、ふたりが並んで座れるくらいの幅のテーブルがいくつか置かれている。

 ひとりで使う時は資料が広げられて凄く使いやすいし、誰かに教える時でも並んで座れるから丁度いい幅だ。

 この仕切りが付いていることで消音の魔具が使えるので、すぐ隣でも声が邪魔にはならない。


 ふたりもそれぞれブースに入って何かの写し書きを始めた。

 あ、神典の書き取り?

 写経みたいなものかな。


「彼らの課務の中に、神典と神話の複写作業があるのですよ」

 吃驚した。

 突然聞こえてきた声は、テルウェスト司祭だ。

 ……いつの間に。


 神典と神話を正確に写し書きをして本にまとめ、臣民達に無償で配る『写本』を作ることも神務士や神官の日々の課務なのだとか。

 そういえば、教会正面入口の待合室的な場所に自由に持っていっていい神典と神話が置かれていたよな。

 でも、俺がこの町に来たばかりの時は、なかった気がするんだけど……?


「正典ができあがりましたからね。以前は原典がなかったので、聖神司祭様方の中でも原典が発見されてからという意識が高かったのですよ」

 それで神話は最終巻がまだだが、神典は揃ったタイミングで写本の普及に力が注がれることとななった。

 勉強にもなるということで、神務士さん達の課務の一環になっているのだとか。


「この千年筆は、まさにそのためとも言える画期的な筆記具でございました」

「私のおりましたラーミカ教会でも、使っておりました。私は……魔力が少なくて沢山は書けないので『本』にまでは、まだできてませんが」


 なるほどー、それで文字の練習が神官さん達の間でも……

 この世界で『印刷』が広まらないのは、おそらく『魔力の入っていないものに価値がない』からだ。

 本も文書も、最終的には『魔力を使っての改竄防止』をする。

 そして文字に魔力を注入することによって、そこに書かれている内容に『責任』が生じる。

 だから魔力の入っていないものは約状にも契約書にも成り得ず、本もまたその筆者と監修をした人の魔力登録があって初めて『認められる本』となる。


 つまり『公式本』には必ず文字や絵に筆者もしくは監修者の魔力が入っており、それを維持するために紙や装丁に魔力が入れられる。

 活版印刷などができない訳ではないのに、その印字された文字が全くと言っていいほど魔力の入らない文字であるため、信用されないから書き捨て読み捨てのペラ紙にしか使われないのだ。

 俺にテルウェスト司祭が『訳文を書かないで欲しい』と言ったのは、俺の魔力が入った文字が残るとまずいものだから……ということか?


「アトネストさんはアーメルサス語で、何を書いたのですか?」


 千年筆のことを嬉しげに話していたふたりの顔が、ふっ、と暗くなる。

 アトネストさんは明らかに動揺し、少し苦しげにさえ見える。

 少し狭いですが三人で座れるでしょう、とテーブルの一番端の真ん中辺りよりは広いブースに三人で腰掛ける。

 テルウェスト司祭は消音の魔具を起動させ、アトネストさんに説明を、と促した。


「これは……アーメルサスで『教典』とされていた……皇国での『神典』にあたるものです」


 そう聞いて、テルウェスト司祭の顔を見ると困ったような表情をする。

 道理で、俺に書かせたくない訳だ。


 他国において『教典』と名を変えたそれは、間違いなく正典とは内容が違うその国独自の解釈になったものだろう。

 なのに、正典の書師である俺の魔力文字などで記されたものが、欠片でも残ってしまったら……それを『正しい』と認めたことにされる可能性があるということか。


 文字魔法師カリグラファーである俺が書いたものは、千年筆や万年筆でなくても……普通の付けペンと色墨であったとしても、他の人より多めに魔力が入ってしまう。

 それが羊皮紙は勿論、魔力保持力の高い樅樹紙や三椏紙で残ってしまっては、他国の教典を皇国の第一位輔祭書師が認めたことになって……大混乱だ。

 魔力が入っていたとしても樅樹紙だったとしても、アーメルサス人であるアトネストさんがアーメルサス語で書いたものならなんの問題もない。

 たとえ皇国語でも、筆者がアーメルサス人であるのならば大丈夫だ。


 俺が訳文を書いたタルフの医療書と歴史書も『タルフ語の原本』があり、その訳文としてバラ紙を簡単に止めたものを渡しただけだったからギリギリセーフだったのだろう。

『本』にしちゃっていたら、やばかったかもしれない。


 ううむ……これは……俺もうっかりしていた。

 今後俺が書く伝承や神話ベースの本も、皇国のものならばいいが他国の神話がベースだと……俺の魔力が入った文字では、まずい可能性があるぞ。

 なにせ、他国の英傑や扶翼は、皇国の現在まで続いている大貴族とは全くの別家門なのだ。

 その話を皇国の書師でしかも輔祭なんてものである俺が書いてしまったら、皇国の英傑達の話になってしまう。


 それは、避けねばならない。

 ……他国のものと解っている話に関しては……印刷機でも作るか。

 そんで『これは他国の話ですよ』って解るように注意書きを入れるところだけ、監修者として俺の文字にしておけば平気かなぁ……

 あー、この辺りのことは後日司祭様とビィクティアムさんと……レイエルス侯あたりと相談せねば。


 遊文館に置くのは、当面は皇国のものとはっきり解っている伝承や神話にしておくべきだなー。

 絵本コンクールのやつ、無難なものを選んでおいてよかった……

 これは今、気付けて助かったな。

 うん。



 では、改めて拝見いたしますか。


 ……


 ……


 酷ぇな!


 初っぱなから聖神二位をぼろくそに言う罵りの言葉から始まって、主神が貢ぎ物要求とか性格悪っ!

 神々めっちゃ仲悪いし、賢神二位が尊ばれているようだが主神より傲岸不遜だし、聖神一位は派手好きで浪費家、聖神三位はヒステリックで暴力的。

 賢神一位は……なんていうか、ただ単に嫌なやつだ。


 その神々の悪いところが全部聖神二位の呪いで、聖神二位を痛めつけたり拒絶して貶めることでそれらの呪いの『穢れ』を祓っていく……という、とんでもない展開だ。

 呪いを返された聖神二位は醜く歪んだ性格と姿で描かれ、僅かばかり残された力で人々を呪った。


 だから、人々は魔力を押さえ込まれてしまったが、神々が聖神二位を北の果ての氷の中へと閉じ込めたので少しずつ魔力が回復している……その回復のための祈りを司祭家門が請け負っているので、神々に愛され魔力を得て良い職が授かれるのは、司祭家門に忠実で私財を惜しみなく喜捨する者だけである……と。

 司祭家門が存在するだけでありがたいんだから、敬えよ、と。


 そうでないと天から赤い月が墜とされ、聖神二位が制裁を受けたように人々の上に星が墜ち、この大地に暗く冷たい時代が訪れるってか?


 こりゃ、頼まれてもぜってぇ書きたくねぇーわ!


 うっかり気持ちが昂ぶって、立ち上がってしまった時に腰を机にぶつけた……痛い。

 俺が余程険しい顔をしていたのだろう、アトネストさんはめちゃくちゃ申し訳なさそうだし、テルウェスト司祭はかなり不安そうだ。


 あ、さーせん……怒ったりしてないから、へーきっすよ?

 ちょーっとムカついているだけだからっ!

 落ち着け、俺。


 これは心の病んだ、頭の悪いやつらの二次創作だ。

 原作見ずにタイトルと登場人物の名前だけを拝借した、四流パロディ自主映画のシナリオだ。

 ……しかし、逆に言えばこんなに酷いものでも信じてしまうほど、苦しい時代があったということなのかもしれない。

 人のせいだけでは済ますことのできない厄災……多分、この『赤い月が墜ちてきた』ってやつなんだろうな。


 隕石、だろうか。


 かなり大きく、燃えさかる隕石の落下。

 だとすれば舞い上がった粉塵などでの大気汚染と、天光たいようが遮られたことによる寒冷化などでの多くの生き物の絶滅と植物の死滅……

『氷の女神』のせいにしたがるのも、解る気もする。


 でも……だとすると、皇国でもその影響はあったはず。

 なのに、今までのどの時代のセラフィエムス家門の備忘録でも、そんな寒冷化や大気汚染の記録なんてものは見当たらない。


「アトネストさん、この教典はかなり古いものなんですか?」

「え……と、アーメルサスの建国は五千四百年ほど前ですから……その頃です」

「その前の教義とか、本なんてものは見たことがありますか?」

「いいえ、その前には大地に国はなかった……となっておりますから」


 皇国の建国より相当後だな……五千四百年となると、皇国では既に現代文字になっている。

 前・古代文字ではなかったとしても、古代文字でもそういう記録はなかった。

 あの筆まめで備忘録が大好きなセラフィエムスで、そんな大事件が一言も書かれていないなんてことはあり得ないだろう。


 完全な創作にしては『月が墜ちてくる』なんて絶望的なことは、なかなか思いつかない。

 星が墜ちるなんてのも、経験していなければ書けるとは思えない。


 あれ?

 皇国では『夜空のものは全て星』だな?

『月』なんていう名前の天体はないぞ?

 アーメルサスでは、特定の星をそう呼んでいたってことか。


 あちらの世界にあるような地球の衛星としての『月』は、こっちにはない。

 おそらく衛星は幾つかあるのかもしれないが、月ほど大きくて近い位置の衛星は存在していない。


 皇国では『月』という言葉は、暦の上で『二十九日のひとまとめ』にあたる単位というだけだ。

 どんな星の条件が『月』なのだろう……

 そもそも、天体ですらない可能性もあるか。


 ……まだ情報不足だなー。

 この時代だと、タルフの建国よりちょっとだけ古い気もする。


「……やっぱり、書き直さないと駄目ですよね……」

 アトネストさんは余程書きたくないんだろうなぁ。

 そりゃそうだよな、アトネストさんの加護神は聖神二位だし、青属性魔法がメインみたいだから。

 このパロディ本に書かれているもののせいで、ずっと嫌な思いをして育ったんだろうからなぁ。

 だが、俺が書くことも、複写するのもまずい。


「私にはどうしても訳しきれない言葉がいくつもありまして、それをどうしたらいいかも解らなくって」

 あ、皇国にないものが、そういえば書かれていたな。

 電気石を利用している描写があったり、作物でも植物でも……あれ?

 アーメルサスって……北国だよな?

 位置的に皇国より北にあるんだし。

 どうして、椰子とか、出て来るんだ?

 んんんん?

 これって……元々は、南の方の国で作られたパロディなんじゃないのか?


「アトネストさん、ここに載っている『椰子』ってどういうものですか?」

「これは……真っ直ぐな背の高い木で、幹に縄のような糸状のものがくっついていて枝が殆どありません。小さい葉が幹の上の方にだけあって、その周りに小さくて硬い殻の実が生ります」


 俺の知っている椰子の木とは全然違う。

 自動翻訳さんは、アーメルサス語で椰子を著す言葉だからそう訳しただけで、もしかしたらその植物の本当の名前は、椰子ではないのかもしれない。


 いや、そもそも名前がついていなくて、この記載に合わせて『椰子』と名付けた?

 だって、サラーエレさんから聞いたことのあるミューラの椰子は、俺の知っているココヤシに似ているみたいだった。

 その植物はルシェルスの海岸辺りで少しだけ自生しているというが、皇国での名前は『曲椰子まがりやし』という。

 椰子は直立しない幹で大きな葉が特長だから、こちらの方がミューラで言われる椰子と同じものの筈だ。


 俺は方陣の本を読んでいるガイエスに声を掛けた。

「ごめん、ちょっとだけ……」

「なんだ?」

「『椰子』って知ってる?」

 知っている、と言うので絵を描いてもらった。

 ……やっぱり上手い……くそっ。

 ではなくて。

 俺の知っている『ココヤシ』と同じものだ。


「これ、マイウリアのどの辺にあったものか解るか?」

「マハルにもあった。少しだけだが。多いのは、南部の西側で海岸のある辺りだな」

「ありがとう、助かったよ」


 ミューラ南部の西側……ディルムトリエンやドムエスタの近くだ。

 アトネストさんにこの木がなんと呼ばれている木か知っているかと尋ねると、見たことのないものだという。

 当然だろう。

 北方では育たない木なんだから。


 アーメルサスで育つはずのない木の名前が使われていることから、別の木にその名前を付け直したと見るべきだな。

 この教典パロディが別の場所で起こったことだというのに、アーメルサスであったこととしての裏付けのために工作した可能性が出てきた。


 となると……赤い月が墜ちたのは、この大陸とは限らない。

 陸地でなかった場合も考えられる。

 元々は南の方の話をアーメルサス用に書き替えたが、細かい動植物の分布状況まで解らずに流布してしまって後から辻褄合わせが行われた……のかも。


 なんにしても、これは研究対象になるものだな。

 皇国語で訳文を書いておきたいが……そうだ。


「アトネストさん、これを書きたくなくておつらい気持ちは解るのですが、俺が読み上げる『皇国語』を、書き取っていっていただけませんか?」

「あなたが、読むのですか?」

 テルウェスト司祭が不思議そうに聞いてくるが、あ、とすぐに思い至ったのだろう。

 そうですね、それがいいかもしれませんと同意してくれた。

 そして、ではこの紙にと紙を用意してもらった。


 口述筆記……テルウェスト司祭に、もの凄く嫌な内容だと思いますが聞きますか? と確認すると、どうせ読むのですから聞きますという覚悟の回答が。

 絶対、絶対、書き上がるまでは激高したり怒鳴ったり、ましてや魔法をぶっ放したりしないでくださいね、ときつくきつくお願いをした。


 ……扶翼テルウェスト家門の補佐する英傑、ヴェーデリアは聖神二位だ。

 どうか、理性を保っていてくださいねーーっ!



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『緑炎の方陣魔剣士・続』弐第149話・『アカツキは天光を待つ』の第72話とリンクしております。

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