第504話 神話第五巻訳文依頼

「こんにちは、セインさん。お久し振りです」

「う、うむ、久し振りだの、タクトくん」


 ……というところで、会話が続かない。

 俺としては別にこのまま黙っていても居たたまれなくなるタイプではないのだが、時間の無駄なのでサクッと御依頼内容の確認へと入る。


「聖神司祭様方からの書簡で、最後の聖典と思われる本が見つかったとのご連絡をいただきました。おめでとうございます」

「ああ……ありがとう。その訳文と正典の清書を、正式に君に依頼したい」

「はい、承ります」


 ……


 いや、その聖典、渡してくれなくちゃ。

 手を出している俺が、馬鹿みたいじゃないですか。


「その……訳文の完成には、どれくらいかかるかね?」

「五日ほど」

「そんなに早くできるのか……?」


 四日後が父さんの誕生日なので、その翌日には渡してしまいたいんですよ。

 その後はあと半月ほどで完成する遊文館の地下と、一階部分の内装工事をしたいのでさっさと終わらせたいのです!


 母さんの誕生日はリクエストでタク・アールトを作ったのだが、今回はお任せなのでちょっといつもと違うスイーツが作りたいのだ。

 だから『聖典翻訳で大変だから他のことができない』という理由付けで、この五日間は邪魔されたくないのである。


 聖典翻訳より、父さんに作るケーキが大切なのは当然である。

 今年は料理を母さんが作り、プレゼントはメイリーンさんとマリティエラさん、ライリクスさんが頑張ってくれるというのでケーキで遅れを取る訳にはいかない。


 やっとセインさんが聖典を渡してくれたので、では後日……と席を立とうとした時に問いかけられた。

「……まだ、怒っておるのか?」

「誰がですか?」

「いや……その」

「俺は怒っていませんけど、他の人は解らないですよ」


 多分、父さんとライリクスさんのことが聞きたいのだろうけれど、俺の口からは言わない。

 だってセインさんのことなんて、あれからただの一度も話したことはないんだから。

 ふたりが、どう思っているかなんて知らない。

 ……ま、次に会う時にはライリクスさんは思いっきりアトネストさんのことを問い詰めるだろうし、父さんは絶対に口もきかないとは思う。

 父さんは俺以上に、そういうところが頑固なのだ。


 セインさんは謝りたいとか許して欲しいと思っているのかもしれないけど、会いたくないと言われて、はいそうですかってなーんにもアクションしてこないんだから許す選択肢がないでしょ?

 時間が解決するなんて言うけれど、実は忘れられているだけだったり存在を意識から抹消されているだけで、何も『解決』はしていないんだよ。

 心の安定を保つために『嫌なことは忘れよう回路』が働いているだけ。


 顔を見せるなと言われたって、何度受け取ってもらえなくたって、手紙のひとつくらいは送るべきじゃないんですかね?

 そういうこともなーんにもしていないのに、相手の気持ちだけ第三者から聞き出そうなんて図々しいのですよ。


 ……おっと、やっぱりまだ俺も怒っているのかな?

 俺からは手紙でも出せば、とか来てみたら、なんて絶対に言ってあげない。

 俺に言われなきゃ思い至ることもない程度のことならば、どうせまたすぐに『雑事』になるだろうからね。


「では、失礼いたします」


 何か言いたそうにしているけれど、こちらから水を向けることはありません。

 マントリエルで治水工事、頑張ってね。

 もうすぐセラフィラントから、護岸工事の援護が来るんでしょ?

 来年のコーエルト大河逆流時期になる前に、なんとかできるといいですね。



 セインさんが王都へと戻り、俺は一度テルウェスト司祭にご挨拶をして家に戻った。

 神話五巻はテルウェスト司祭のお許しをいただいて、秘密部屋に保管させてもらうことにした。


 今回の訳文は、俺が自分の家でやってもいいってことになっているがやっぱり司書室を使わせてもらう。

 神典と神話では、やはり神典の方が格が上。

 そして五冊の神話は、神々から力を賜った英傑と扶翼の活躍のお話がメイン。

 神話の中には、彼らが神々からの言葉だと言って語られるものはあるけれど、神々の直接の言葉ではないから。


 明確な差別がある訳ではないけれど、なんとなーくそういう雰囲気なのは仕方ない。

 だけど、やっぱりこの教会で、って方がいいと思うんだよね。

 ……神官さん達がうちまで様子見に来ないとも限らないので、なるべく教会関連のお仕事は教会内で行いたいのだ。

 俺の目的はどちらかというと司書室の本を読むことなので、俺がいる間は誰も来ないようにしていただける口実にできるからラッキーだね。


 勿論、最後の神話は既に全部訳し済み。

 しかし、ライリクスさんに集めてもらったいくつかの伝承話で、まったく掠ってもいないものがあることが解っている。

 その謎についても、ある程度の推測は立っているんだけどね。

 カタエレリエラの三角錐石板にあった『歴史書』とガイエスがライエで買ってきた『絵本』で。


 英傑と扶翼は『国ごと』に存在している、ということ。

 そして、皇国には他国の英傑たちの神話も入り込んでいる……ということだと思われる。


 おそらく、帰化民達が自国で語られていた伝承を語っていたり、本にしたものが皇国のものと混ざっている。

 意外な気もするが、皇国にはかなり昔から帰化民、移民が多い。

 今では船で行き来することもできなくなっているのか、本当になくなってしまったのか解らないもうふたつの大陸。

 もしも沈んだというのなら、そこから逃げてきた人達がこのシィリータヴェリル大陸の各地に辿り着いているはずだ。

 そうして、古くから……混血が進んでしまった。


 マウヤーエートでは彼らに飲み込まれて、血統を保つことができなくなったのかもしれない。

 そうして増えた人口を支えるために、樹海もりが壊されたのかもしれない。

 元々いた人達の愚かな行為だけではなくて、やむにやまれぬ事情があったのだとしたら……砂に沈んだ国々も、ただ悪し様に罵ることはできない。

 本当の歴史なんて解らないんだから。


 皇国貴族達の苛烈とも言える他国民への態度も、血統維持の為の制約もすべては皇国を他国のようにしないため。

 そんな貴族達の祖先の物語を、敬意を持ってこの国の人々は愛し続けているのだ。

 他国の人達だって、きっとそれは同じだろう。


 かつて、自分達の国を支えてくれていた人達がいたこと、その人達をなくしてしまった痛みと悲しみはあっても、その物語は残したいと思うだろう。

 失われた大陸の子孫だと覚えていなくても、彼らが語り継いだ物語の中にはその片鱗が残っているかもしれない。


 そんな他国の神話が、混ざってしまって、どうしてそれが解らなかったのか……

 それは、明確にセラフィエムスとかカルティオラなどと英傑たちの名前が、本に載っているわけではないからだ。

『賢神一位の加護を受けし英傑』とか『賢神二位に愛でられし扶翼』なんて風に書かれているから、他国の人達だったとしても解らないのだ。


 別の大陸だったとしても、そうなのかもしれない。

 すべての大陸で語られている神々は、解釈や捉え方に差はあれど間違いなく同一名だろう。

 だから、出て来る動植物、アイテムなどでその判断をするしかない。


 ガイエスの持っていたライエの絵本に書かれていた『半分に割ったカカオの殻で全身が空のように青い魚を助け出し海に還した』なんて皇国ではあり得ないのだ。

 なにせ、カカオはこの百年以内にミューラからカタエレリエラに入ってきたものだし、そんなカラフルな魚を投網漁でとっている漁師はカタエレリエラには存在しない。

 どう考えても、ミューラかディルムトリエン辺りのお話である。

 そしてあの絵本に書かれていたもうひとつの謎は、絵本の表紙と中に書き込まれていた『方陣』だ。


 あの呪文じゅぶんは確かに皇国語の文字で書かれてはいたが、単語が不完全だったり切ってはいけないところで切って形を合わせていた。

 単語の途中で角を作るなんてことは、正しい方陣ではあり得ないのだ。

 考えられるのは……『もともとは皇国語で書かれた方陣ではなかった』ということ。

 無理矢理訳して皇国文字にしたため変なところで区切ったり、訳が間違っていて文字が抜け落ちているのだ。


 ここで新たな仮説『方陣は国によって違う』という可能性が出てきたのである。

 神話が国によって違うように、方陣も国によって違う。

 そして、もしかしたら『魔法も国によって違う』とも考えられるのだ。

 まだこれは俺の中だけの憶測に過ぎない。


 しかし、レイエルス家門の方々がかき集めてくださる各地の本の中に、おそらく他国からの帰化民が書いた『他国の伝承』もあるだろう。

 その中に……またヒントがあるかもしれない。


 本当にね、ガイエスはいろいろ、とんでもないものを見つけてくるよね。

 トレジャーハントの才能は、かなりありそうだよ。

 ……あいつがマントリエルに行ってなくてよかった……

 もし行っていたら、セインさんじゃなくってガイエスが神話の最終巻、見つけていた気がするよ。


 そんなことを考えつつ、おうちに帰り着いた。

 ちょっと曇った空はもうすぐ雨になりそうだ。

 お客さんも少なくなるかな?


 さて、なんのケーキ作るか考えなくっちゃなー!

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