第488話 想定外?

 リィン……


 食堂の外扉が開くチャイムが鳴り、入ってきたのは……ビィクティアムさんだ。

 なんという絶妙なタイミング。


 がたっ!


 その姿を見つけたヒメリアさんが立ち上がり、敬礼……をして、あっ、て顔をする。

 この町の中では、ビィクティアムさんへの最敬礼は必要ないというのが暗黙のルールだからね。

 でも、その姿にビィクティアムさんはクスリ、と笑い、右手を小さく挙げただけで彼女に応えた。


 ヒメリアさんは、ちょっと恥ずかしそうに会釈をして、もう一度席に着く。

 ノエレッテさんがクスクス笑っているし、ファイラスさんも吹き出しそうにしている。

 すっかり『衛兵隊員』になっている彼女を、微笑ましく思っているのだろう。


「タクト、菓子だけ頼む」

「いらっしゃい、ビィクティアムさん。あちらのお部屋へどうぞ」


 ガイエスがまだ誰だか解っていないみたいで、不思議そうな顔だ。

 そして、ふっ、と一瞬だけ真顔に戻ったファイラスさんが食べかけの皿を持ち、笑顔で立ち上がる。

 目が笑っていない。


「タクトくぅん、僕もあっちの部屋で食べてもいいかなぁ?」

「はい、どうぞファイラスさん。紅茶のお代わり、持っていきますか?」


 頼むねー、と振り返ったファイラスさんにガイエスが気付いてか小さく声を上げる。

 その声に初めて気がついたというように、ファイラスさんが破顔する。

 凄い、ちゃんと『笑顔』だ。


「あれー、ガイエスくんじゃないかぁ! 久し振りだねぇ!」

「お久し振り、です」

「あの時は本当に助かったよぉ。ありがとうねー。こっちの人は初めまして、だね。ようこそ、シュリィイーレへ」


 アトネストさんはきょとんとしながらも、ぺこり、と会釈する。

 ガイエスがちょっと焦っているのは、ファイラスさんが金証だと知っているからなのだろう。

「でも、珍しいねー、神務士がこの町に来るのは。どこの教会の方なのかな?」

「ラーミカ、です」

 さっき話していたことを聞いていない振りしてもう一度聞いたのか。


「ラーミカって、マントリエルだよね。随分遠くから来たんだねぇ!」

「この町で……半年間研修を受けるようにと、聖神司祭様にご推挙いただきまして」


 あ、ライリクスさんが、更にめり込まんばかりの勢いで沈んだ。

 ある意味、流石セインさん、ですよ。

 次に会った時、大変だろうなぁセインさん……ライリクスさんに、何を言われてしまうやら。


「じゃあ、第四位なんだね。その髪色は……アーメルサスの人かな? 凄いね、帰化してから神務士になるなんて」


 え?

 ヘストレスティアじゃないの?

 アーメルサス……にしたって、コーエルト大河まで辿り着いたってことはヴァイエールト山脈越えをした猛者ってことだもんな。

 あんまり筋肉質には見えないが、細マッチョなのかもしれない。


 この夏の『筋肉強化作戦トレーニング』も不発に終わっている俺としては羨ましいですよ、細マッチョ!

 ……なんで俺、筋肉付きにくいんだろうなぁ。

 ジムのトレーナーさんの話、もっとちゃんと聞いておくんだった。

 プロテインでも作るかな……


「あ、いいえ、私はまだ皇国に来て日が浅くて、帰化していないのです……」

「そうなんだぁー、それだとますます大変だねぇ。早く帰化できるといいね」

「私は……いつか故郷に戻って、子供達に神典や神話を教えたいので……帰化は、考えていなくて」


 監視、確定だな。

 あああ、ライリクスさんの表情がすっかりなくなったーー。

 多分、ラーミカの司祭様も、セインさんも『皇国まで命からがらやってきたのに帰化しないつもり』なんてのは想像していないと思うよー?

 帰化するための手助けとして、研修を勧めたり、神務士としての勉強をさせたいと思ったんじゃないかなぁ。


 アトネストさんがアーメルサスに戻るつもりでいるなんて、誰ひとり考えてもいないと思う。

 ……確かめなかったとか、手続きちゃんとしていなかったのは事実だけれど。

『帰化誓約証』は教会預かりで本人が持ち歩かないから、滞在許可証に教会司祭の承認があったら意志確認されているものと思うよなぁ。


 そしてファイラスさんは、軽ーく、そっかぁ……と言って、じゃまたね、と踵を返す。

 俺の方を向いて、目だけが笑っていないあの笑顔。


「あっ、タクトくーん、お菓子のおかわりも頼むねー!」

「……また、太りますよ? ファイラスさん」

「平気。今年も走るし、どうせ」


 軽口を叩きつつ、ファイラスさんはビィクティアムさんにアトネストさんの件をご報告……だな。

 そして紅茶のおかわりを頼んできたふたりは、引き続き会話の傍受ですな。

 それにしてもファイラスさん、どこを走るというのだろう?


 おや、ヒメリアさんは、この緊張感がつらくなってきちゃったかな?

 だけど、今、食堂から出るというのも、かなり勇気が要る状況だよな。

 せめて甘いお菓子で、メンタルのサポートを致しましょうか。


「おかわり、食べる?」

「はい……あの、紅茶もよろしいでしょうか?」

「勿論ですよ」


 ウァラクも国境のあるご領地だから、こういう話には敏感にならざるを得ないもんなぁ。

 クリームの下の方にアイス、入れてあげようかな。

 ヒメリアさんはすっかり『衛兵隊員』なのだろうけど、ライリクスさん達と同じように『関心などないし聞いてなんかいない』という振りをして、笑顔で会話を装いつつの諜報なんて無理だよね。

 ノエレッテさんなんて【隠密魔法】でも発動しているのか、気配がほぼ感じられない。


 ヒメリアさんのおかわりを取りに厨房に戻ろうとした時に、ガイエスに止められた。

 おかわり、欲しいのかな?

 よく入るなぁ。


「おい、あの人、リヴェラリム……様、だろう?」

 ああ、俺が家名じゃなくて名前で呼んだから驚いたのか。

 この町では基本的に『姓』で呼ぶのは司祭様だけなんだ、と教えると微妙な顔つきになる。

 確かに、貴族の傍流の方々だもんなぁ。


「この町は『同姓』が多いんだよ。だから名前呼びなんだ、ビィクティアムさんでも」

「……さっき来た人って……もしかして」

「シュリィイーレ衛兵隊長官殿、だよ。あ、おまえもおかわり、要る?」


 はははは、驚いてるー。

 セラフィエムス卿がフツーに食堂に入ってくるとは、思わないだろうからなー。

 アトネストさんは……まだピンときていないか。

 まぁ、あの時の入国者なら、まだ二ヶ月ちょっとだから知らないよなぁ。


 そしてアトネストさんから、スイーツのオーダーが入った。

 なかなか、お強いハートの持主である。

 この静かな緊張感に気付いていないとしても、気付いてスルーしているとしても。


 魔法の流出とかそういうことなんて全く気にも止めていなくて、純粋に子供達に正典を読んで欲しいと思っているだけなのかもしれない。

 だとすると……もっと厄介だよなぁ。

 何も考えずにいいと思ったことをやっちゃって、皇国法に触れてしまったら……


 これは、テルウェスト司祭、この半年の研修でその辺をたたき込まないと、大変なことになるぞ。

 皇国法と神職典範、教会法典……全部を半年でいけるかなー……



 食堂の皆様に先にサーブしてから、VIPルームに。

 ファイラスさんのご報告中に、お邪魔をしたくないからね。

 ビィクティアムさんのホットアップルパイは、ホイップクリームにシナモンがちょっと多め。

 干しぶどうのチョココーティングも少し多めに載っけてある。


 もう平気かなー?

 工房側から珊瑚部屋をチラ見すると、ビィクティアムさんが腕を組み目を閉じて天を仰ぎ、苦虫を噛み潰したような表情である。

 ファイラスさんも、悪意はなさそうなのが救いですが……なんて言って、苦笑いだ。


「……そうだろうな。魔法の獲得や盗用が目的だったり、魔法師を連れ去る準備だとしたらアーメルサスから来たとか、コーエルト大河を遡るように歩いて来たなんてことは言い出すまい」

「大河の崖、確認しておきたいですね」

「もうすぐ小型高速魔導船が、セレステを出る。資材運搬用の遡上船だから、その時に確認しよう……はぁぁぁーー……何、やってくれてんだ、あのおっさんは! 正しく審査していないどころか、帰化する意思も確認していないとは!」


「考えようによってはいいご判断ですよ、ドミナティア神司祭。半年はシュリィイーレに閉じ込められます。その間にしっかりと『教育』してもらえたら、帰化させる説得は難しくても『持ち出す』ことはできないでしょうから」

「テルウェスト司祭にお願いしておこう……教会は、様子見の巡回を増やした方がいいな」

「畏まりました」


 おじゃましまーす。

 いやぁ、大変ですねぇ、はっはっはっ。

 ではー……と、引っ込もうとした時にファイラスさんに、ちょぉっと待ってぇ、と止められた。


「タクトくん、教会の方々に簡易調理魔具、使ってもらっているよね?」

「……はい。神務士さんがいらっしゃるというので、真冬の時期に教会内で食事をしてもらうために」

「仕様はこの間、俺達と取り決めた通りか?」


 俺が作る汎用魔具の査定は、ラドーレクさん、テルウェスト司祭、ビィクティアムさんの三人だ。

 簡易調理魔具は、シュリィイーレ魔法師組合と教会で販売をするのでこの間、最終審査に提出していたのである。

 ヒメリアさんにいただいたレポートは、次回の他領で売り出す汎用版に反映させる予定である。


「使用者限定、品数制限なし、方陣透明化、魔石使用、皇国内のみ使用可、他国持ち出し不可……ですので、お話ししていた通りですよ」

「それなら、アトネストに使わせても問題はないでしょうね」

「……あ、少し、待て……ああ、解った。ご苦労」


 おや、どうやら通信機を着けて歩いていらっしゃるようだな、ビィクティアムさんも。

 今、入ったその通信は、東門の入領者データの照合をした人からだったらしい。

 アトネストさんの魔力量が、七百そこそこしかないということが判明したという連絡だった。

 ……そんなに低いの?


「七百……ですか?」

「そのようだな。問題がありそうか?」

「あの魔具は、基本的に皇国の成人用なので……魔力千二百以下は、想定していませんでした。魔石を選定して何個か余分に着ければ、なんとか……使えるかなぁ?」


 七百だと、蓄音器体操仲間で八歳のルエルスくらいだぞ?

 魔石があと三個くらいないと、一品作るだけでヘロヘロになっちゃいそうだ。

 調理する時は常時発動で、魔石からだけでなくて自身の魔力も使うから。

 魔石を【収納魔法】の中に入れててくれたら大丈夫だと思うけど、アトネストさんは荷物を結構持っていたから【収納魔法】はなさそうだ。


「ちょっと危険ですね。その辺りも併せて、テルウェスト司祭に連絡して対応してもらいますよ」

「そうだな。もうひとりガウリエスタからの帰化民がいるらしいが、そっちは?」

「千は越えているみたいですけど、今の仕様だと……」


 ビィクティアムさんとファイラスさんもだろうけれど、俺としてもそこ迄低い魔力量は想定外だった。

 他国の人って、ガイエスやエイリーコさん達くらいしか魔力量を知らなかったからなぁ。

 俺の知っている人達は全員千二百を超えていたから、気にしていなかった。

 神務士用は、作り替えるしかなさそうだな。



 今年の冬は試験研修生より、たった三人の神務士の方が……大変、かな?



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『緑炎の方陣魔剣士・続』の貳第124話・『アカツキは天光を待つ』の第47話とリンクしております。

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