第462話 画家の事情

 マダム・ベルローデアが、画家のフーシャルさんを紹介してくださる前に至急やっておかねばならないことがある。

 それは、応接室をもうひとつ作ることである。

 珊瑚礁部屋は『飲兵衛仲間の飲み食い部屋』か『食堂で対応できないVIPさん達のお部屋』になってしまったので、そういう方々が来てしまったら昼でも夜でもそちらが優先なのだ。


 だから、普通に商談や会話目的でいらっしゃるお客様向けの小部屋が、ひとつ欲しいのである。

 あまり内装で驚かれたくないというのも、ある。

 珊瑚のディスプレイは、未だに飲兵衛おじさん達が凄い凄いというので、ちょっとやり過ぎだったと反省はしている。

 ということで……実験厨房のスペースに、ちっこいお部屋を作ることにした。


 広さとしては江戸間の七畳くらい。

 装飾は殆どせずに、食堂と一緒でカラーチェンジ機能のレリーフだけを取り付けて、スッキリさっぱり小会議室仕様。

 楕円テーブルで何人でもかけられるようにしておけば、折りたたみ椅子での対応ができる。


 元々流し台があるので、水も使えるしお茶の用意もその場でできる。

 裏庭向きに窓があるから、狭くてもあまり圧迫感はないだろう。

 まぁ、見えるのは、うちの硝子製温室だけなのだが。

 苺は苗作りだけだし、メロン様メインで絶好調育成中である。

 リルーゴさんも、勿論元気だ。


 会議室として使っていない時は、実験厨房へとチェンジ可能。

 アイランドタイプのキッチンシステムをがつっと床下収納できるようにした、ツーウェイルームとして作り替えたのである。

 ダイニングキッチンのキッチン部分を隠すことができるんですよ、というお部屋だ。

 醤油蔵の屋根がちょっとだけ低くなってしまったが、許容範囲である。


 この部屋は、中に人がいると自動的に点灯。

 部屋を使っていることが解るように、壁上部に横スリットが入っている。

 中にはインターホンも付いているから、呼びかけも呼び出しも簡単である。


 もし母さんのお友達が来たら、この部屋でお茶会を楽しんでもらうこともできる。

 離乳食販売を始めてから、ちっこい子がいたり妊娠中のママさん達の幾人かと親しくなったみたいだからね。

 食堂と物販スペースの間にある廊下から、気兼ねなしに入ってもらえるし。

 これには母さんも喜んでもらえたので、きっと使ってもらえるだろう。



 ツーウェイルームができた翌日、マダム・ベルローデアがフーシャルさんを連れてきてくださった。

 どうぞどうぞと早速小会議室へお通しして、紅茶とケーキをサーブ。

 漠然とだが、マダム・ベルローデアのご友人といっていたので女性かと思っていたんだが、男性だった。

 しかもルドラムさんくらい体格がいいし、猟師組合の人達並みに強そうなお顔立ちである。

 全然あの可愛らしいデフォルメ絵と、ご本人のビジュアルが結びつかない。


「こ、こん、にちはっ、僕、君の作った、千年筆が、好きで、ホント、大好きでッ!」

 好きになってくださって、嬉しい限りですよ。

 それにしても緊張し捲りですよ、フーシャルさんったら……意外と声が高い。

「まぁま、フーシャルさんは心のお優しい方で、ちょーっと人見知りでいらっしゃるのですけどねっ、初めてですのにこんなにお話になるのはとても珍しいですわっ」

 マダム・ベルローデアと喋る速度が全然違うの、面白いなぁ。


「ようこそ、フーシャルさん、ベルローデアさん。いらしてくださって嬉しいです」

「あらあら、タクトさんったら、フーシャルさんの絵本を! どぉでした? 可愛らしかったでしょお?」

「はい。俺はこちらの絵本のような絵が怖いなぁって思っていたので、フーシャルさんの絵はとても好きです」


 緻密に書かれた細密画っぽい挿絵の絵本と並べておいてあったので、マダム・ベルローデアもそーね、これもお話によってはいいのに、と苦笑いだった。

 だが、フーシャルさんは少し悲しげな表情だ。


「フーシャルさんの絵は、どれもお話に合っていて俺は好きなんですけど……もう絵をお描きになっていないとか?」

「……僕は……下手なので」


 これだけ描ける人に下手っていわれちゃうと、俺は立つ瀬がないのだが?

 でも、描ける人って『理想の絵』があって、それにどれほど遠いかって考えちゃうから『下手』っていう評価になるんだよね。

 それは俺も書道の時に随分と凹んで、身に染みているからなんとなく解る。


「フーシャルさんは、どんな絵がお好きなんですか?」

「ぼ、僕は……可愛いのが、好きなんですけど」

 だったら今の自分の絵、好きなんじゃないのかな?

 あ、もしかして、可愛く描けなくなっちゃったとか?

「だけど、ぼ、僕の絵は、画家仲間には『正しくない』って、言われてしまうんです……」


 マダム・ベルローデアの補足説明によると、現在の王都で人気のある画家というのは『写実主義』らしい。

 風景や動物などをありのままに、リアルに描く細密画が好まれるというのだ。

 それを壁に飾るとまるで窓の外にその風景が広がっているかのような絵画や、触れたらその質感が味わえるのではと思わせるような動物や鳥の絵などが求められているらしい。

 なるほど、それで絵画なのに『正しさ』なんてものが、評価基準になっているってことか。


 だが、これに関しては良いも悪いもないのだ。

 そもそも心に訴えかけるものであればどちらでもいいという人もいるし、正しいディテールだからこそ心が動くという人も勿論いる。

 感情のスイッチは全員が違うのだし、誰もが揺るがぬ基準を持っているものでもない。


 その時代によって、どういう方向でスイッチが入りやすいかという傾向だってあるだろう。

 だから『評価される』ことを基準にしてしまったら、絵だって描けないし、文字だって自分の書きたいものとの差が出てしまうということなのだ。


 俺が『祖父に比べて……』なんていう周りからの駄目認定に腐らなかったとは言えないが、なんとかやり過ごせていたのは『そのフィールドが俺の本当にやりたいことではない』と思えていたからだ。

 他人の評価ではなく、自分の『好き』だけが表現者にとっての軸でなければ、つらくなるだけだ。

 売れたい、儲けたいというのであれば苦しくなんてならない。

 だけど筆を折ってしまうくらいだというのであれば、フーシャルさんが求めるものはそれではないだろう。


 なら、好きなものを好きに描く方がいいのだ。


 ただ……この場合は儲け度外視、生活という基本概念無視なので『職業』でいられなくなる可能性はある。

 好きなもので生活も潤う……のが一番いいのだが、それができることが少ないというのも……よく解っている。


 妥協点が見つけられる人は、それでいいと思う。

 だけど、譲れない人も少なくはない。

 そういう人は、ゼロか百かになってしまうんだよね。


 フーシャルさんは……どこまで譲ってもらえる人なのだろう。



 俺はフーシャルさんがどうしたいのかということには触れず、俺が集めた伝承などを絵本にして描いてくれる人を捜しているということを話した。

 ほんの少しだけ身を乗り出したから興味はあるみたいだけど、やっぱり、僕なんかじゃ……なんて言い出す。

 なんで彼は、すぐに自分を否定してしまうのだろう?


「だって……タクトさんは……あのタク・アールトの絵を描いた人なんだから……解るでしょう?」


 は?


「……実はねぇ、タクトさん……フーシャルさん、あぁたが描いたタク・アールトの説明書きの絵を見て……とても、落ち込んでしまいましたのよ」

 はぁーーー?

 え、それってつまり……描かなくなったのが俺のせいってことですかい?

「そぉなのよ、この方、あぁたのような魔法師があれ程の絵が描けてしまったら、自分には価値がないとか仰有ってますのよぉ」

 なんだよそれーーー!


「あの絵は、俺じゃなくて俺の父が描いたものですよ」

「あらまっ!」

「父が描いてくれたものを、俺が魔法で説明書きに複写して載せただけです」

「魔法……? 技能じゃなくて?」

「そうですよ。父が描いたのも【精画魔法】で、技能ではありません」

「ほらほらっ、フーシャルさんっ! あたくしが言った通りではありませんのっ! タクトさんは魔法師なのですから『描画技能』ではないと申しましたでしょっ!」


『描画技能』というのは画家として認められるには必須の技能で、一流の画家はたとえ魔法を持っていたとしても、技能のみで描いたものだけが『良い』とされるのだとか。

 魔法至上主義だというのに、珍しい。


「そ、それは、魔法だと『時間がかからない』し『同じ物がいくつも作れる』からなんです……」

「絵画や楽器の演奏などというのはですねっ、時間をかけて習得した『技能』が評価されるのですわ。そして、その技能だけを使った、唯一無二というものが価値があるとされますのよ」

「魔力が少ない人でもね、認められることができる……仕事、なんだ」


 ……なるほど。

 魔法で描けば精密で写真のような絵は描けるし、精神系魔法を付与した絵の具を使ったりすれば感情に訴えかけることもできなくはない。

 だからこそ、純粋に技能や技術で描かれたものだけが『芸術』としての評価になるということなのか。


 魔力や魔法が少なかったとしても、感性と技術を磨けばという希望があるのだろう。

『描画技能』を手に入れることが、画家としての才能があると認められたという意味になっているのかもしれない。

 その技能、俺には絶対に出ない気がするな……


「魔法が使われていたとしても、中にはもの凄く、価値の高いものもあるんだ。そういうものはその魔法自体が特別なもので、獲得している人が極端に少なくて尚且つ技能も高い……からなんだけど……タクトさんの魔法が凄いものって知ってたし、そんな人が、あれ程の絵が描けるなら……僕なんかって……思ってしまったんだ」


 芸術家はもっと自己中心的で、メンタル強めじゃないとやっていけないですよ。

 ファイト!

 だけど、唯一無二……かぁ。

 そういう画家になりたいなら、絵本は無理かなぁ。

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