第447話 精神系魔法
俺が訳した【非嫌魔法】の説明を読み終え、セラフィラント公とビィクティアムさんは不思議そうに顔を見合わせる。
「常時発動は……解っていたが『強制』では、ないのか?」
「父上、この【非嫌魔法】は、支配系なのですか?」
「そうだ。その、はずだ」
ん?
【非嫌魔法】は『精神系』で、『支配系』って分類じゃなかったはずだぞ。
そーいえば、魔法師一等位試験の時に俺を拉致ろうとしたやつらが『支配系』を使ったらしいってのは聞いたことがあるけど……そもそも『支配系』ってどういう魔法なんだ?
『生命の書』にもそんな分類、見た記憶がないんだけど。
「支配系ってどういう魔法があるんですか?」
「ああ……あまり馴染みはないだろうな。皇国では禁止されている魔法も多くあるから。相手を従わせる【従属魔法】や【隷属魔法】、誘惑して思い通りにする【誘引魔法】【
それ、やっぱり『精神系』だ。
人の心に作用はするが、強制力はない。
全部、聖属性の【精神魔法】や【感応魔法】の下位互換で中位以下の白魔法だな。
聖属性ふたつだって、全くその気のない人の心を無理矢理ねじ曲げて従わせることはできない。
当然、この【非嫌魔法】も、どこかに『許したい』『嫌いになりたくない』が相手側にあるからその気持ちが増幅されるだけだ。
精神系は『もともと持っている気持ちや感覚』を増幅させたり、減退させたりする魔法だ。
子供とか、自分自身の確固たる考えを持たず依存心が強い人だと精神系魔法にかかりやすいけれど、かかったからといって『命令』はできない。
魔法で『強く訴えかけ』て、それに乗ってくるかどうかは相手次第。
しかも、魔法自体の持続時間は短く、段位が高かろうと一刻ももたない。
側を離れてしまえば、効果が切れるのはもっと早くなる。
だからかかる効果がバラバラで、魔力を多めに使う割には思ったほど上手くいかないことの方が多い魔法だ。
「随分不思議だという表情だな?」
「……俺が知っている魔法分類に『支配系』なんてなかったので。今教えてくださったものも『精神系』と呼ばれていて、支配力も強制力もないものばかりですし」
俺のこの発言には、ふたり揃ってそんな馬鹿な、と言わんばかりの表情になった。
やっぱり『生命の書』時代とは、魔法の感覚が違うものが随分あるみたいだ。
俺が知っていることを説明すると、ふたり共青天の霹靂だ……とショックを受けている。
そして、セラフィラント公が昔のある事件を教えてくれた。
「随分と昔の話だが、ある事件を起こした者が【隷属魔法】で操られ、意に染まぬことをしたと審議会で申し開きをしたことがある。そして調べてみると、その【隷属魔法】を持つ者の周りでは、やはり同様に『なぜこんなことをしたのか解らない』という犯罪者が数多く出現した」
犯罪を犯した者が、罪の在りかを他に転嫁するために『自分だけが悪いんじゃない』とか『唆された』というのは常套手段である。
確かに【隷属魔法】や【従属魔法】がかけられたことがきっかけかもしれない。
でも『元々そうしたい気持ち』があったから、やったのだ。
そして、精神系魔法でそういう気持ちが増幅されたとしても、やってはいけないことだ、やってしまったら引き返せない……というちゃんとした信念と、道徳心があったら絶対にしない。
魔法があったって、なくたって、そんなことは起こりうる。
どんなに煽られたとしても、やった本人が悪いのだ。
当然、煽った方にも責任はあるし、罪もある。
どちらも『加害者』だ。
そして怖いのは、その犯罪を犯しておきながら『魔法などかけられていないのに【隷属魔法】のせいにする』やつも、絶対いる、ということだ。
その証明は、ライリクスさんのような魔眼やよほど高位の看破技能などがない限り、解らないだろう。
加害者も被害者も作らないためにそういう魔法を禁止したり、制御するのは仕方ないことだ。
しかし、本当の原因は魔法じゃない。
全部『人の心』なのだから、魔法を憎んだり蔑んだりするのは間違いだ。
剣は人を殺せるが、剣に罪があるのではなくそれを人に向けたやつに罪があるのだから。
「魔法で、人を完全に支配するなんてできません。嫌がることをさせたり、まったく好意を持たない者を好きにさせるなんてできないです。他人の『意志を無効化して自分の思い通りにする』には『その人の全てを壊す』必要がある。自我も意識も何もかもぶっ壊して、初めて『支配』できる。ただ……そうなると、歩くにも食べるにも全部に命令が必要になる。その人の生命維持活動から、何から何まで全て請け負えない者に『支配』はできないですよ」
支配系……といわれてしまうのは、一方の効果だけに注視されてしまったからだろう。
【隷属魔法】でも、かける側にだって制約が発生するのだ。
「制約だと?」
「【隷属魔法】をかけた方は、非常に感情が不安定になります。それは、魔法をかけた人との『絆』ができてしまうことで、魔法が切れた後でもその人の感情に左右されやすくなるからです」
この場合の『絆』は、決していい意味ではない。
断ちきりたくても断ちきれない、終わらせることができない『鎖で繋がれあった状態』になってしまうということだ。
そしてその絆は『かけた側』の方に、より強く負担がかかると書かれていた。
かけた方もかけられた方も、互いに『隷属状態』になる……という意味なのかもしれない。
「魔法がかかった人と長期間物理的に離れていれば、繋がりはなくなるかもしれません。ですが、かけた魔法が強ければ距離が離れたとしても近付いた時にまた、鎖は甦ってしまうでしょう。人にとって『長時間他人の感情が流れ込み続ける』状態なんて、苦痛でしかない」
言葉で現されるような表面的なモノではなく、奥深くの醜いもの、それと反する慈しみ、そうかと思うととんでもなく残酷な激情も、人は多くの感情を言葉に表せなくても意識していなくても持っている。
自分だけのものだって持てあますほどだというのに、他人の渾沌としたものまで入ってきてしまうのだ。
その人の考え方や倫理観、正義感などが自分と違えば違うほど、かけた側へのフィードバックは不快感と嫌悪感を与えるだろう。
不安定になり自分が解らなくなり、支離滅裂なことをし始めるようになる。
そして隷属させているのだから何をしてもいいはずだと、【隷属魔法】にかかっていると信じている人に対して暴力的になったり憂さ晴らしに使ったりするようになる。
そうすると……その人からまたとんでもない受け止めきれない感情が渡される……こうなったらもう、おしまいだ。
だけど、ここまでになることは少ないと思う。
多分、その前に不快感に耐えかねた方が、もう片方を『排除』してしまうだろうから。
その時に排除されるのが、魔法をかけられた側とは限らない。
「【隷属魔法】の持続時間は、どんなに長くても一刻もありません。【隷属魔法】をかけた方も、かかった方も、効果が続いていると思い込んでいるだけ」
「どうしてだ? かかった方は嫌がっているはずだろう? どうしてその状態から抜け出せないんだ?」
「それは『意識してはいないけど意志に反していない』から。そう思いたい、そうしたいという感情があっても、人は理性で制御しています。でも、その感情を増幅されてしまったら『どんなに社会的に悪だったとしても自分のせいじゃない』から、その感情を持ち続けてても罪悪感がなくなる。そして本当は自分の意志でやっているというのに、何をやっても『これは魔法がかけられているせい』で、『自分のせいじゃない』と思い込める」
ほんの少しだけ頼りたいとか、助けて欲しいと思っていただけでもそれが増幅されてしまい『依存』になってしまうこともある。
だけど、嫌だとか不本意という感情が消えたわけではないから『無理矢理従わされている』と思い込む。
その方が楽だから。
「自分の意志だと認めなければ……【隷属魔法】ならば何をしても許されるはずと、どこかで思っているから……か」
「そうだと思います。乱暴な言い方をすれば、精神系は『かかりたい人がかかる魔法』なんです」
「タクト、その精神系の知識は、どこで聞いたものだ?」
ビィクティアムさんは、こういうところをスルーしてくれないんだよな。
「シュリィイーレにあったものを読みました」
水源奥や三角錐の石板、とは言えない。
「……教会の地下部屋……神典のあった場所か?」
「神典や神話と一緒にあったものの内のひとつですが、前・古代文字で書かれたもので、まだ全てが揃っていないようでした」
場所は肯定せず、状況だけを認める。
「蔵書を見せて欲しいなんて言ったのは、それを探すためでもあったのか」
「ご明察……」
これは、本当だからね。
「別邸の本にその一部らしきものは見つけたんですけど、多分、俺が読んだものが部分的に書かれているだけみたいです」
別邸で見つけた『生命の書の抜粋版』は、黄属性魔法の解説が書かれている部分だった。
何カ所か印がついていたり、書き込みがあるのでセラフィエムスのご先祖様が研究に使っていたのだろう。
タイトルが書かれていないから、この本はきっと大元からの写しかもな。
だが、その本はおいといて……【非嫌魔法】の方が問題だよな。
セラフィラント公が大きく息を吐き、低い声を漏らす。
「……そうか、【非嫌魔法】も、その精神系というものなのだな。自らにも……影響するという」
「父上、陛下は常時意識しないで使っているんですよね? 周りの方々は、大丈夫なんですか?」
「わからん。最近陛下の周りには……殆ど誰もおらんからな」
え、一番まずいパターンでは?
「もともと……陛下のおそばには、あまり多くの者は居らぬのだ。あの魔法に耐えられる者は、少ない。それに、殿下に男児がお生まれになった。今後の行事などは……殿下に比重が置かれる」
「それは、どうして……?」
「【非嫌魔法】をお持ちで、それを抑える魔法も技能もない皇王は……次代までの
なんだよ、それっ!
ただの間に合わせってことか?
当座しのぎってことなのか。
「ビィクティアム、皇史を全て読んだであろう?」
「……もしや、あの不自然に在位の短い皇王達は……」
セラフィラント公が、深く頷く。
「五、六代にひとりは【非嫌魔法】を持つ方が現れる。そして稀に……現皇王のような耐性も制御もない方しか、絶対遵守魔法をお持ちでないことがある」
「それで、前皇王は在位が長かったのですね? 陛下が即位なさっても『上皇』として、今でも皇家に在籍があるのは……殿下の補佐役ということですか」
「ああ。だが、上皇陛下から直接殿下に魔法継承はできん。そして、皇家血統魔法発動の『継承の儀』は、少なくとも三十年経たねば……次代へは継げない」
「それで……最も短い方で三十二年のご在位の方が……いらっしゃったのですね」
何人か、いたんだ。
今までも、そういう方々が……そして、短い在位で、息子に位を譲った。
この本によると、皇家の血統魔法はかなり特別で、継承の儀が行われて初めて使えるようになる。
そして継承が済んだ前代は、その魔法を発動できなくなる。
代を飛び越して継承ができない理由については詳しくは書かれていないが、それも『受け継いだ血』による制約なのかもしれない。
だからって、精神系魔法常時発動のまま、その三十余年をただ周りが我慢したり、腫れ物に触るようにやり過ごすだけでいいはずがない。
周りの人達の、そして本人のその時間は、無駄にしていい時間じゃない。
それに継承が終わったって、死ぬ訳じゃないんだから!
その後の人生に、絶対に必要なことをちゃんと……
……その後、どう暮らしたんだろう。
皇王は、政治を主導するわけでもないし、経済活動をするでもない。
その地位ならば、魔法さえ継げれば固執することもないだろうし、むしろ退位後の方が気楽に暮らせるかもしれない。
位を降りた後は……どうなったんだろう?
本当に、たったひとりになってしまったんじゃないだろうか。
人の気持ちがわからなくて、ただ人が離れていって。
自分の何が悪いのか、どうして愛されないかも解らないままだったとしたら。
「退位後のことは全く、どこにも記録はない」
それでも、どこで暮らしたとか、何かをなしたとか……ないのか?
ビィクティアムさんは、ただ首を横に振る。
だめだ。
今のままじゃ、絶対に駄目だ。
このまま、エルディ殿下に政務や行事を任せるのはいい。
でも、陛下のその状態を放置しておいちゃいけない。
まだ『皇王』なんだから。
常時発動の精神系魔法……誰も周りに人がいなくなった時に、陛下自身にどう作用するか解らないじゃないか!
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