第434話 リエルトン港へ

 セラフィエムス別邸地下室書庫の、独立本棚は四本。

 壁一面に作り付けで三面分。

 痛み具合は一律でなく、触ったら瓦解してしまいそうなものから、なんとかまだ読めそうなものまでがランダムに置かれている。


 放置期間は七百年だろうが、本自体は千年、二千年を超えているものもありそうだ。

 いや、もっとかもな……一万年越えも覚悟しておいた方がよさそうだ。

 充分な魔力注入がなくなったから、一気にここまで劣化したとも考えられるしね。

 でも、壁の本の方が独立本棚の分よりはまだマシなのは、家自体に注がれた魔力を微量ながら受け取れていたからかもしれない。


 遊文館を造ったら絶対に魔効素変換注入を続けないと、三椏紙の本は結構劣化が早いかもしれない。

 三椏紙自体の魔力量を上げる改良も必要だな、と考えつつ、各本棚の本を修復していく。

 そしてサクサクと【文字魔法】で複製しながら、『転移方陣』に放り込む。


 予め、左掌に『転移方陣』を書いて透明化してある。

 複製を作って左手に持ち方陣を起動させれば、ぱっと本が消えるのです。

 本はうちの地下に新しく作った『秘密書庫』へ

 そのままの文字での複製ならいいって言われたから、本そのものの複製でいいってことですよね!


 半刻ほどで全ての複製本の転移が終了したので、今度はこの部屋全体の整備。

 本に最良の環境を整えた後、全ての魔法を永久磁石いり不銹鋼に記載した【複合魔法】を作ってメンテナンスを自動化する。

 このプレートは、セラフィエムス本邸に置いてもらう。

 これに魔力を注入したら、この部屋の整備が完了するという『自動メンテナンス遠隔操作』である。


 できましたよー……と、扉を開けたが廊下には誰もいない。

 そりゃそうか。

 一時間半もただぼんやりと、廊下に立っている訳はないよな。


 地下は書庫だけなので、一階に上がるとカチャカチャと食器をセットする音がしている。

 扉が開かれていたその部屋に入ると、ゆったりとソファに座って本を眺めているビィクティアムさんとテーブルに『軽食』を準備してくださっている侍従の皆様。

 ……いつ来たのだろう、この人達は。


「なんだ、何かあったかタクト?」

「いえ、修復は終わったので」

 あ、吃驚してる。

「早いな、相変わらず」

「夢中になっちゃいまして。はははは」


 テーブルに用意されているのは『軽食』のはずなのだが、俺のイメージしていたものとは随分違う。

 サンドイッチというものはなくても、せめてオープンサンド的なものかと思ったのだが割としっかり『お食事』ですよ。

 もしかして、ひとつの皿に纏められているっていうことで『軽い食事』なのかな……?

 そうなると庶民の食事は、全部『軽食』ですなぁ。


「あ、美味しい……!」

 俺の呟きに侍従さん達が、ぱぁっと笑顔になった。

「最近、うちの料理は結構旨いんだぞ」

 おやおや、若旦那様もご自慢なのですな。

 鰺のバターソテーなのだが、ちょっと隠し味があるな。


「醤油、使ってくれているんですね?」

「よく判ったな」

「自分で造っているものですからね。こんなに美味しく使ってもらえて嬉しいです」

「おまえの所でも、似たような料理があったよな」

「うちは米の酒に砂糖を入れて煮溶かしたものを一緒に入れていますから、もう少し甘みと照りが出るんですよ」

「米の酒……か。それは造っていないのか?」

「ただいま準備中です。でもお酒って、売ったらいけないんでしょう?」


 折角麹菌もあるし、醤油蔵の半分が使えそうなので区切って調理用酒を造ろうかとは思っていたんだよね。

 販売しなければいいって言われたしね。

「そうだが『調味料』ならば別だ」


 じゃあ『味醂』を造れば平気かな……いや、あれも本味醂だと酒か。

 焼酎を造ってからとなるとちょっと大変だが、こっちの白ワインを蒸留してブランデーとかできたら代用できるのかな?

 でも酸味が強くて甘みが少ない白ワインなんて、あったかなぁ……

 リバレーラのワインでも酸味が足りない気がする。


 やっぱ、酒造りが先かなー。

 どっかで米の酒造り、やってもらえないかなぁ。

 ん?

 そういえば、セラフィラントは米を作っているよね?

 あまり国内で消費されないから、ヘストレスティアに買いたたかれるのがムカつくって言ってた気がする。


「米の酒造り……作り方をお伝えしたら、セラフィラントで造ってもらえたりします?」

「いいのか? うちで造って」

「俺の家だと限界ありますし、米の産地で造ってもらった方が、確実に美味しいものができそうだし」


 うちでも使う分くらいは造ってもいいかと思うけど、売るとか広めるなんてことをする気はない。

 産地で造ってもらえたら買えるようになるし、米も糯米もあるから絶対にセラフィラント向きだと思うんだよね。


「セラフィラントでは葡萄を作っていないから、酒造りは一部でしかしていない。米から作れるのであれば、米作りの支援にもなるから助かるが」

「ならば、是非とも! 作り手によって味わいの違う酒もできるでしょうし、旨い酒があるところは、絶対に料理も美味しくなりますし!」

「そうなのか……食べものも旨くなるのなら、いいな」


 次期ご領主様がやる気なので、これは期待ができますよ。

 あとで酒造りの基本的なやり方と、使用魔法をお伝えしよう。

 あ、麹菌も渡さないとだな。

 そういえば、食事時に酒を飲むっていう習慣は、あんまりなさそうだな……なんでだろう?


「酔うと、魔力が不安定になりがちだからな。【耐性魔法】や制御系魔法の練度が低いと悪酔いするから、食事と一緒になんて無理だな」

 そういえば、ライリクスさんは耐性も制御も持っていなかったな。

 そっか、あのへべれけ具合はそのせいか。


「魔眼を持っていると酔いやすいそうだから、おまえが【耐性魔法】の段位が高いのに酔うのはそのせいだろう」

「……そういわれてみれば……酔ってくるとなんでもかんでも、キラキラに見えちゃいますね……」

「そういう魔眼の暴走は、よくあることらしい。身体がなんともなくても、視界が歪んで立てなくなったりするみたいだから気をつけろよ」


 ほろよい加減ってのが好きで、お酒に関しては状態異常防止に入れていなかった。

 立てなくなるとか視界が歪むってのは、ちょっと怖い。

 だけど、飲むのは父さんと同じで家飲みオンリーだから、大丈夫……かな?


「で、どうする?」

「はい?」

「泊まっていくか? それとも、夕食までに帰りたいか?」


 あ、いつも俺がやたら帰りたいって言うから、お気を遣ってくださったのですね。

 えーと……どーしよっかなぁ。

「お食事が美味しかったから……泊めてもらっちゃおうかなぁ」

 書庫ももう少し整理したいし、港も見たいし……ね。

 おお、ビィクティアムさんだけでなく、侍従の方々までめっちゃ笑顔だ。


「なら、先に港を見に行くか。リエルトンには、ルシェルスやカタエレリエラからの船が着くから結構賑わっているぞ」

「行ってみたいですっ!」

 船の入港とか、出港とかってなんかワクワクするんだよね!

 飛行機もいいんだけど、俺はやっぱ船派かなー。



 別邸を出て、ふつーに歩いて行こうとするんだけど……大丈夫?

『迅雷の英傑』が、その辺ぷらぷら歩いちゃってて平気なのかな?

 と、思ったらいつの間にか侍従さんの何人かが、横と後ろに!

 手慣れていらっしゃる……


 そして、そんな護衛は当たり前なのか、特に歩調を変えることなく歩くビィクティアムさん。

 流石なSPに囲まれて、なんとなく道行く人の視線が英傑の横をチョロチョロ歩く俺に集まっているのは『何? あれ?』なんだろうなぁ。


 そういえば……ご領地だと、ビィクティアムさんも衛兵隊の制服じゃないんだな。

 まぁ、自領で直轄地の隊服は着られないよね。

 白シャツにサファイアの襟留め飾りだけのシンプルな装いだが、むしろこういう『素材と仕立ての良さで勝負』は、上流階級だよね。

 すげーいい色味の、ロイヤルブルーサファイアだなぁ。


 シュリィイーレは直轄地だから『長官』が衛兵隊のトップだけど、各領地では領主が『総督』であり衛兵隊のトップだ。

 次官が『副総督』で、セラフィラントでは各街区ごとに『街区長官』がいる。

 そういえばセラフィラントには衛兵隊の中に『海衛隊』というのもあって、海の護りに専念してる方々もいるんだよな。

 海軍……というより、海自?


 いつの間にか、セラフィラントの衛兵さんも護衛団に加わった。

 なんかすげぇ……歩き方がキビキビしててカッコイーー!

 あ、衛兵隊の制服にあの外衣布がちゃんと付いてる。

 うん、皆さんいい身体しているから、似合っているよね、制服!


 この人達と比べると、シュリィイーレ隊は『貴族集団』って感じの体型だな。

 周りの人達、絶対に『あの見慣れないのが一番貧相』って思っているよね……

 くそぅ、この夏の目標は『身体を鍛える』だなっ!



 港が見える辺りに近付くと、ビィクティアムさんが船から降ろされている荷物を指差す。

「丁度、ルシェルスの船からの荷揚げが始まったようだぞ」

「何が届いたんでしょう。食べものかな?」

「いや……あれはビエステアス港からの船だから、エヴェアだな」


 ん?

『エヴェア』?

 自動翻訳さんで訳せないってことは、俺が知らないもの……かな?

 いや、この世界で俺がまだ見たことのないものってことか。


「なんですか? エヴェアって」

「『燈桑樹ひくわぎ』と呼ばれる、ルシェルスにある樹から取れる樹液の塊だそうだ」


 んんん?

 燈桑樹ひくわぎなんていう植物、日本あちらにはないぞ?

 あちらのものそのものと全く同じものではないけど、似たものがあるって時にこういう謎変換するんだよな。

 似硼素じほうそとかバニラの甘白蘭あまびゃくらんとかもそうだったよね。


 えーと『燈』……という文字で植物?

 燈火……燈台、そういえば燈台草ってのがあったよな。

 桑はもちろん桑の木なんだろうけど、燈台草で桑?


 俺が暗号変換の解読を考えているうちに、荷物の近くまで辿り着いた。

 検品している港の方々が取り出した『塊』を見た時に、名前がぽんっと浮かんできた。

『ゴム』だ。

 天然ゴムってやつか。

 そういえばゴムの木にはトウタイグサ科の種類と、クワ科のものとがあったよな。


「そっか、こっちでは『エヴェア』って言うのかぁ」

「おまえが知っているものとは、名前が違うのか?」

「あの状態だと多分『生ゴム』って呼んでいたものですね。加硫すると弾性が付くんで日用品によく使われていましたよ」


 そーか。

 あっちでもこっちでも全く見たことがなかったから、文字での知識しかなくて訳が出なかったのかな?

 ゴム製品は見てても、生ゴムは見たことなかったもんなぁ。


「……あれを乾かして、切り出して使うのではないのか?」

「それでも使えなくはないですけど、引っ張るとすぐ千切れちゃうし劣化が早いじゃないですか」


 確かにすぐに使えなくなるな……と、ビィクティアムさんが思案顔だ。

 何に使っていたかを聞くと、これから使えるかどうかの実験用に入れているものらしい。


「エトーデルの靴がかなり良くってな。セラフィラントの衛兵隊でも使いたいのだが、彼ひとりに加工させるのは無理だ。かと言って、彼のように『皮革鑑定』『縫革技能』【植物魔法】【皮革魔法】などを全部持っている職人は容易にはみつからない。何人かの職人が組んで作るか、他のやり方もないかと思ってな」


 しかも、この生ゴムエヴェアは、シュリィイーレにも持っていってエトーデルさんに材料として支給するらしい。

 確かに個人では、ルシェルスから買ってくるのは大変だもんなぁ。

 さすが、ビィクティアムさん。

 職人へのフォローも完璧である。


 それに、セラフィラントでも作ろうとは……いいものをすぐに研究して取り入れようとするのは、素晴らしいですな!

 たしかにエトーデルさんなら必要な上位の魔法も技術も全部持っているから、あの天然ゴムからでも弾性の高くなる加硫のようなことが魔法で可能なのかもしれない。


 でも天然ゴムに加硫……硫黄を架橋剤として加え、摂氏百度から二百度の熱で化学反応させれば……あ、反応時間が問題か?

 そこは魔法でサポートできるか。

【時間魔法】の方陣、方陣魔法大全の下巻に載っていたしな!


「ちょっと……やってみます?」

 俺がいつもの調子でそういうと、ここではやめろ、と止められてしまった。

 ……いけね。

 ここは、シュリィイーレじゃなかったっけ。


 他領で、しかも屋外で無闇に魔法使っちゃダメだよな、やっぱり。

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