第376話 新作試食会

 届いた食材達の下ごしらえや、保管対策も完了した翌日から『ポストショコラ・タクト』となるケーキの試作である。

 ショコラ・タクトは、ザッハトルテをベースにしたものだった。

 確かにザッハトルテは、チョコレートケーキの最高峰と言えるものだと思う。

 しかし、俺的にその最高峰と双璧を成すチョコレートケーキがある。


『オペラ』である。

 七層のスポンジやクリームからなるこのケーキの特徴は『コーヒークリーム』だ。

 ショコラ・タクトを作った当初は、絶対に手に入らないと思っていたコーヒーが今、ここにあるのだ。

 ロートレアの小麦は、ケーキに最適であり、ミルクもバターも充分。

 ゼラチンではなく、植物由来の天草から作る寒天にしよう。

 アーモンドも豊富にあるから問題ない。


 そして、コーヒーとエイリーコ農園のカカオは非常に相性が良いのだ。

 苦味と酸味の少ないコクのあるカカオに、コーヒーの仄かな苦味のあるクリームがマッチしないわけがない。


 いつものココアスポンジを作る時に、粉末にしたアーモンドを混ぜてとろみを出してからメレンゲを入れて生地を作って焼く。

 バタークリームには珈琲を入れて、ガナッシュクリームもしっかりカカオの味が引き立つように。

 グラサージュも忘れてはいけない。

 ココアと砂糖に生クリームを加えつつ混ぜて煮詰め、あら熱を取ったら溶いた寒天を混ぜて漉す。


 スポンジが二枚焼き上がったら、それぞれ厚さ半分に横からカット。

 コーヒーシロップを染み込ませて、バタークリームを塗ってまたスポンジを重ねて、コーヒーを染み込ませる。

 その上にガナッシュクリーム……と。

 もう一度スポンジとバタークリームそしてグラサージュを上に流して、冷やし固める。


 これが基本の、お酒を使わないタイプ。

 オレンジリキュール等の果実酒を染み込ませたスポンジを使い、モカシロップのクリームを使うものも多い。

 お酒は……止めておこう。


 おっさん達に受けがいいより、お子様やお姉様方に楽しんでいただきたいと思うのは男子として当然である。

 酒の味が好きな女性もいると思うが、昼間からそういう味の菓子を好む人はシュリィイーレには多くはない。

 お祭りの時とか、夜にデザート付きメニューを出す時だけの特別仕様として作るのはアリだな。


 問題は『金箔』を飾るかどうか。

 これはオペラ座の屋根に立つ、太陽神アポロンの黄金の琴にちなんでいるものなのでこちらの世界ではまったく意味をなさない。

 しかも、金箔……金属を食べるということに慣れていないので、抵抗があると思う。


 ……チョコレートでメダルを作ろうか。

 メダルがちょっとキラキラするように、うすーーーい飴細工をコーティングしたら綺麗かも。

 歯を立てるとすぐにパキッと割れるくらいの、舌の上で簡単に解けるくらいの飴なら邪魔にならずに食感を楽しむこともできるだろう。

 長方形にカットしたケーキの真ん中にガナッシュクリームを絞り出して、その上にメダルを斜めに置く。


 おっ、光の加減で飴が金色っぽくなるぞ。

 ミルクチョコだけど、ちょっと甘みを少なめにしよう。

 その方が、ケーキ本体といいバランスになるかも。


 カカオの配分やガナッシュクリームの厚みなどを変えたものを何種か作り、父さんと母さんに食べてもらって決めようか。

 ……メイリーンさんも呼ぼう。

 意見は多い方がいいし……やっぱり、一番に食べて欲しい。


 ライリクスさんとマリティエラさんも……呼ばないと拗ねるかなー。

 ビィクティアムさんにも、声をかけよう。

 そうだ、この間の鉱石はかなり綺麗な半透明のキャッツアイが見えるクリソベリルが来たんだよな。

 その報酬の一部として、ガイエスにも試作品全品を送ってやろう。



 そして翌日、新作ケーキの試食会を行います! と、ご招待メンバーに連絡。

 スイーツタイム後の休憩時間に、応接室にお集まりいただいた。


 ライリクスさんとマリティエラさんは、滅茶苦茶わくわくしている。

 マリティエラさんは、まだ安定期じゃないらしいけど……平気なのか?

 ご本人曰く、胎児の魔力の流れが安定してるから平気! だそうだ。

 すげーな【身循魔法】……自分の胎児の魔力状態まで解るのかよ。

 母親の精神状態が良いと胎児にも良いらしいから、スイーツで幸せ気分になるのはありなのかもしれん。


 父さんと母さんも揃い、ビィクティアムさんも来てくれた。

 ……あれ?

 メイリーンさん、何でそんなに緊張しているの?


「だって、タクトくんの新しいお菓子だもんっ! ドキドキ、するよっ!」

 この人が喋る度にちゅーしたいし、ぎゅーってしたくなっちゃって危険だな……

 我慢しすぎて、俺の心臓がもたなくなっちゃったらどうしよう。

 きゅん、きゅん。



「……というわけで、このように七層に重ねた菓子となりました。カカオの味も今までとは全然違うので、いくつかの組み合わせで作っていますから、気に入ったものを教えてください」

 加護色で好き嫌いが出てしまうと判定に狂いが生じるので、色相はなるべく同じになるように揃えて作ってある。

 どうしても使う材料の分量で少しは偏りが出てしまうが、大きな違いはない。


「これは……艶やかで美しいですね!」

「カカオだけじゃないのね? いろいろな味がするわ」

「珈琲の味が強い所とカカオの味が強い所があって、実に面白いです。うん、美味しい……!」


 グルメレポーター夫妻がその舌で分析しつつ食べているが、ビィクティアムさんとメイリーンさんは、ただ幸せそうな笑みを浮かべて味わってくれている。

 父さんと母さんは……どれがいいか、真剣に悩んでいるみたいだ。


 そして皆様お悩みの末に選んでくれたのは、満場一致で一番ガナッシュクリームの多いものだった。

 やはり珈琲味よりチョコ味の濃いものの方が、ケーキとしては人気があるみたいだ。

 ……俺も、一番好きな組み合わせだったので心の中でガッツポーズである。


「どれも旨かったがなー。やっぱ、こいつだよなぁ」

「そうねぇ、一番カカオが美味しかったものねぇ」

「あたしも、これ、大好きっ!」

「そうね。もの凄く甘いって訳じゃないのに、満足感があったわ」

「ええ、上にかかっているカカオジェリも濃厚ですから、この重ね合わせが一番いいです」

「……全部旨かった。たが、もうひとつ食べたいのは、これだったな」


 ありがとうございます。

 これで、次の新作ケーキは決定でございます。


「うん……俺は今までのショコラ・タクトより……こっちが好きだな」

「そうね、お兄さま好みよね。甘いだけじゃなくて、奥行きがあるって言うのかしら?」

「カカオと珈琲という組み合わせも絶妙で、今までにない新しいものですね」

 グルメレポーター夫妻にここまでお気に召していただけるとは、正直思っていなかった。

 もっと甘みを欲しがるかと思ったのだが。


「甘いだけなら、他にいくらでもお菓子はあるわ。でも、タクトくんの作るものは全部違う甘みなんだもの」

 マリティエラさんの言葉に、メイリーンさんが激しく同意している。

 ヘッドバンキングのしすぎで、首を痛めるのではないかと心配するほどだ。


「タクトくんのお菓子は、なんか、幸せ、なの。そういう味なの」


 あ。

 限界。

 もう抱きしめずにはいられない。


 隣のメイリーンさんを、ぎゅって抱きしめる。

 テーブルの向かい側のライリクスさんが立ち上がるが、制止はできない。

 だってテーブルの上にはまだケーキがあるし、テーブルを回り込んでくるには距離がある。


 はー……久しぶりに堪能した……

 おでこにチュッてして、抱いていた手を弛める。

 おっと、邪魔者が。

 でも、もう平気だもんねー。

『カワイイ』のチャージしちゃったもんねー。


「ありがとうね、メイリーンさんにそう言ってもらえるだけで、俺、なんでもできそう」

「う、うん……えへへっ」

 もいっかい抱きしめたいけど、おっかないおにーちゃんがいるから、また今度。


「で、タクト、この菓子の名前は決まっているのか?」

「うーん……どうしようかと思ってて……」

 ビィクティアムさんが三個目の試食分を平らげながら聞いてくるが、実は一番困っているのは『名前』なのだ。


 なんせ歌劇オペラなんて、まったくこちらではないものだ。

 当然そういう音の単語も、存在しない。

 名前に意味のない音を当て嵌めるよりは、某かの意味のある単語にしたいのだが。

 ショコラ・タクトほどのインパクトがある名前など、なかなかみつからない。


「そうねぇ……タクトくんの加護神がアールサイトスなのだから、それに肖ってはどう?」

「それは、恐れ多いというか……」

「一部だけ使えばいいじゃないですか」

 ……メイリルクトの悪夢が甦るやりとりですよ、これは。


『アールサイトス』は古代語では『新しき天光』という意味で、夜明けとか朝とかを現す言葉でもある。

 分解すると『アール』『サイトス』……だから……


「じゃあ、新しいショコラってことで『アール・ショコラ』?」

「だめっ」

 え、愛しの君からダメ出しがっ?

「タクトくんの名前が入ってない! ダメっ!」


 ええええー……そこは別に拘らなくてもいいじゃーん。

「そうだな、タクトの名前が入った方がいい」

「僕もそう思いますね」

「そうだよ、タクト! あんたが作ったものなんだから!」


 い、いや……元々のものは……違うっていうか……

「アール、タクト?」

「それは絶対にやだ!」

『新しい俺』とか、言ってて恥ずかしいからっ!


「言い方を変えたら? そうねぇ……タク・トアール……とか」

 それも、ハズい〜っ!

「タクタク・アールなんて、どうです?」

 楽しんでやがるな、このグルメ夫婦は。


「……タク・アールト……?」


 メイリーンさんの口から漏れた言葉に、父さんが即座に反応する。

「おっ! いいな、メイちゃん!」

「そうね、いいじゃない『タク・アールト』! タクトの名前と、神のお名前が合わさったみたいで!」

「母さんまで何を……」

「うむ。それくらいであれば不敬にもならぬし、おまえの名前の音も入っていて判りやすい」

 ビィクティアムさんの言葉に、ライリクスさんもマリティエラさんも納得顔で頷いてますけどっ?


「タクトくん『タク・アールト』で、いい?」


 う、どうしようっ、可愛くて反論ができないっ!


「いいに決まってるぜ、メイちゃんがつけてくれた名前なんだからなぁ」

「そうですね。言いやすくて覚えやすいですし」

「『アールト』は、古代語で『波』だったな」

「……あまりカカオにも、お菓子にも関係なさそうだわ、お兄様」

「この上の所に、波模様を描くといいかもしれないねぇ」

「うーん、タクトに絵は……なぁ」


 もう、みんなが勝手に盛り上がってしまっているので、反対意見なんて耳に届きませんしね。

 まぁ、いいか……代替案もないし。



 こうして……またしても俺の意見などほぼ無視されて、新しいケーキの名前が決まってしまったのである。

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