第375話 お知らせ

 家に戻った俺が、まず一番初めにしたのは『皇室認定証書』の取り外しである。

 認めない、と言われたし、俺ももう作らないと言ってしまったからね。

 母さんが凄く喜んでくれたものだから……ちょっと残念ではあるが、未来のためにこれは必要ないのだ。


 そもそも、ショコラ・タクトはメイリーンさんのために作ったケーキなのである。

 今後は、メイリーンさんが食べたいって言った時だけ、作ることにしよう。



 二階での夕食時に、皇太子妃殿下がどんな方だったかとか、いろいろ聞かれた。

 やはり『皇室』というのは、この国でも人気があるのだろう。

 そして、これからのカタエレリエラのカカオに合わせて、ショコラ・タクトはもう作らず新しいケーキにする……と言ったらもの凄く残念そうな顔をしたけど、応援してくれた。


 ……陛下に言われたこととかは、話していない。

 言えば絶対に父さんは怒り出すだろうし、母さんは悲しむだろう。

 俺に……ではなく、陛下に対して。

 うっかり外で悪口を言うなんてことはないだろうけど、万が一にもふたりを不敬罪なんかにしないために、言ってはいけないのだ。


 ショコラ・タクトを楽しみにしてくれてた人達にも、謝っておかないとなぁ……

 お兄さんのカカオでショコラ・タクトが作られないって知ったら、サラーエレさんは残念がるかもなぁ。

 次のケーキ頑張るから、許してもらおう。



 翌日、今年最後の紅茶の買い出しと、香辛料の調達に東大市場へ。

 まずはサラーエレさんに、試食用として作ったエイリーコ農園カカオ製のショコラを食べてもらった。


「ん、ん、んーーっ! これ、美味しいねーーっ! やっぱり、タクトのお菓子だと、すっごく、おにーちゃんのカカオも、美味しくなるのねー」

「エイリーコさん達の作るカカオ自体がとても美味しいんだよ。ただ……今までのカカオとは随分味が違うから、ショコラ・タクト向きじゃないんだけど」

「うん、いいのね。ショコラ・タクトは好きだけど、このカカオのお菓子は、きっともっと素敵ねー」


 よかった。

 絶対にショコラ・タクトにして欲しいとか言われたら、困っちゃうところだった。

 今までのは、カカオを七割にしちゃうと苦味が出過ぎてしまったし、魔法での調整なしだと酸味が強過ぎて合わせるクリームやジャムが限られてしまう感じのカカオだった。


 でも、この新しいカカオは八割までカカオを増やしても、旨味とコク、そして仄かな甘みさえあるのだ。

 砂糖やミルクに頼らずともカカオ本来の美味しさを味わってもらえるし、ベリーにナッツ、柑橘類だけでなくあらゆる果物にも合わせられると思うんだ。


「これで沢山、カカオ売れたら、おにーちゃん、南の畑みたいにならずに済むのね」

 あれ?

 エイリーコさんちの更に南側になんて……なんかあったっけ?


 俺が尋ねるとサラーエレさんは、ちょっと悲しげにうん、うん、と頷いて話し始めた。

「一緒にミューラから来た人、だったの。でも、やっぱり、あまりじょーずにカカオ、作れなくて、やめちゃったのね。おにーちゃん、その人ととても仲がよかったから。別の土地に行くって言ってて、かわいそーだったの」


 そっか……そういう人もいるよね。

 そしてなんと三年前にその二束三文の畑を高値で買い取って、その人が他でも暮らせる資金を渡してあげたのだそうだ。

 いい人過ぎだろ、エイリーコ一家。

 そうか、それでやけに南側に広がっていたのか。


 そういえば、魔虫の巣ができた木を切り取ったって言ってたのも南側だったなぁ。

 あの辺のカカオがあまり良くない状態だったのは、もともと栽培に失敗していた場所だったからなんだな。

 その整備を上手くできなくて、元々のカカオ達までイマイチな状態になっちゃったのかもしれない。


「その畑も、カカオなんだけど、違う物もできてて……でもねー、見たことないものなのねー」

「カカオと一緒に? 他の物も植わっていたの?」

「そーなの。蔓が、こう、くるくるくるーて、カカオに巻き付いてるのね。随分と長い間、何もできなかったから、雑草だと思ってたんだけど、この前、野菜ができてたのねー。持って来てるけど、ぜーんぜん売れないのよー」


 ケラケラと笑うサラーエレさん……

 まぁ、偶然できていた物だというなら、別に売れなくてもいいんだろうけどさ。

 見せてもらった『野菜』は隠元豆というか、大角豆ささげまめみたいな緑色のさやに入っているもの。

 特に香りもないし……確かにあまり美味しそうには……あれ?

 あれれれれ?


 俺の神眼様が、この植物を絶対に買い取れ! と教えてくれた。


 これは『バニラ』だ!


 そうだよ、バニラって確か、カカオの木に這わせて栽培するやり方もあったはずだ!

 結実には特定の虫とかハチドリとかでの受粉が必要だし、花が咲いても開花時間が短くて結実しないこともあるっていうし。


 ちゃんとした『実』ができるのに、三年以上はかかるって書いてあったのを読んだことがある。

 そして、キュアリングという発酵・乾燥の作業をしていない物は全く香らないのだ!

 南の栽培地にあったってのは偶然なのか、それともやめちゃったって人が育てようと態々持って来たものだったのかは解らないが。

 ホント、サラーエレさんって、俺が欲しいと思っている物を提供してくれるんだよなぁ!


「へ? これも、お菓子にするの? ふへぇ……タクトはやっぱり、変わっているねー」


 ……バニラはあちらの世界では、結構昔っから香料として使われていたはずなんだけど……?

 あ、そっか。

 原産地がミューラの南だったら、イスグロリエストじゃ元々種も苗もないか。

 元々南の農園をやっていた人は知っていたかもしれないけど、皇国で収穫できなかったから伝えていないってこともあるよな。


 そして今のミューラでは、もしかしたらカカオもバニラも絶滅してしまうかも知れない。

 現地ではこれを使っていた人達がいたのだろうけれど、その製法が廃れてしまう可能性はあるだろう。


 これからはエイリーコ農園でカカオだけじゃなく、バニラまで採れるのだ!

 キュアリングは俺がやるから、絶対に栽培を続けてもらわなくちゃ!

 これでカスタードもアイスクリームも、グレードアップ間違いなしだ。


 ところで、こちらではなんて言う名前なのだろう……と思ったが、もうすぐカカオの納品に来るであろうエイリーコさんに尋ねることにした。

 ……サラーエレさんって、そういうことには拘らない人みたいだから絶対に正しい名前を覚えてなさそうだ。



 そしてお次はウァルトさんとアリアさんのお店に、紅茶ときび砂糖を買いにやってきた。

 多分、今年もそろそろこのおふたりはシュリィイーレを離れる頃だから、冬の間も楽しんでもらえるように焼き菓子を沢山持って来た。

 ふたり共喜んでくれるので、作りがいがある。


「え? 冬の間も、シュリィイーレにいることにしたんですか?」

「そうなのよ。あなたがいつもいっぱい買ってくれるから、お金が貯まって家を買えたのよ」

「南東門の近くじゃよ。ほれ、外門に食堂ができたじゃろ? それで、便利になったからの」


 夏場に借りている家の近くでいい物件があったらしく、買い取ったのだそうだ。

 紅茶の茶葉ときび砂糖は、仕入れ先の人が持って来てくれるから問題ないらしい。


「冬場に食堂が開いてないと困ってしまうんで留まれなかったが、外門の食堂は冬場もやってくれると言うからのぅ」

「色々なお料理が楽しめて、とても美味しいから助かっているのよ」


 確かに南東門の近くからだとうちまでは結構遠いし、他の食堂も冬場はランチがないとか、逆にランチのみとか営業を縮小するからね。

 外門食堂は避難所としての機能を保つために、冬場も基本的に休まず営業するのだ。

 よし、大雪対策のために今度は保存食も差し上げよう!


「そういえば、王都に行っておったようだが……随分早く帰って来たのぅ?」

 あ、王都強制招集の決まったあと、買い物に来た時に話したんだっけ。

 だってさー、愚痴りたかったんだよねー。

 勿論、皇宮に行くなんて言ってないけど。


「衛兵隊長官のご厚意で……越領門を使わせてもらっちゃって」

「あら、そうだったの。タクトは、衛兵さん達と仲が良いものねぇ」

 仲良し……で、ご納得いただけるとは……

 普通は『仲良し』での越領門利用なんて、できないよねっ!

 相変わらず、脇が甘いな、俺!


「そんなに早く帰って来たかったのかい、タクトは?」

「だって、王都よりうちの食事の方が美味しいんだもん……」


 ……ちょっと、もう一回愚痴ってもいいかな?

 父さん達には言えないしさー。

 でも、ビィクティアムさん達に言っちゃうと、絶対にもの凄く謝られちゃいそうだし。


「実は……出産祝いで……呼び出されたというか、なんというか……」

 皇家のこととは絶対に言わず、一般的な『知り合い程度の人に、嫁の出産祝いに来いと呼び出された』ってことで話をした。

 贈り物にダメ出しされたとか、付け届けを持って行かなくて文句言われたとか……まぁ、悪口にならない程度に。

 いや、悪口……なのかなー。

 自分自身に怒っていないと言い聞かせてても、やっぱりムカついたまんまなんだよなー。


「で、売り言葉に買い言葉……みたいな感じで、もうショコラ・タクトを作らないって言っちゃいまして……新しいお菓子を考えようと思っているんです」

「まぁ……残念だわ。ショコラ・タクトはとても美味しかったのに」

「しかし、カタエレリエラのカカオで作る新しい菓子も、楽しみだのぅ」

「できあがったら、必ず持って来ますからね! 楽しみにしててください!」


 良かった……聞き役に徹してもらえて。

『それはおまえが悪い』って言われたりしたら、滅茶苦茶凹んでしまっただろう。

 すっ、とウァルトさんが真剣な面持ちで尋ねてくる。


「タクトは、その呼び出してきたおじさんを……どう思うとる?」

「……正直、迷惑ですね。どんどん不快感が増すって感じです。悪意がない分、何言っても通じなそうだから、態々怒る気にもなりませんけど」

「そうか。悪意がないとは……思っておるのか」


 あれ?

 ウァルトさんだけでなく、アリアさんまでちょっと不思議そうな顔をしているぞ?

 もっと怒っていると思ってたのかな?


「ところで……おふたりの新しい家ってどこなんですか?」

「南東・銀白通り三十二番じゃよ」


 そこって、この間俺が三椏みつまたを見つけて、庭を整備したおうちじゃん!

 ……なんと言う偶然。

 確かにあそこなら南東門にもの凄く近いし、南東市場や東市場にも便利だよな。


「とても素晴らしい水枦みずはぜが植わっていたのよ」

 ハナミズキって、こっちでは水枦って言うのか……

 ウァルトさんとアリアさんはガーデニングの趣味とか、あるのかな?

 どんなお庭にするのか、楽しみだな。


 そして、新しいお家への付与魔法を依頼されたので、勿論ふたつ返事で了承した。

 大切な取引先様ですからね、ご不自由はさせませんよっ!


 その日の内にウァルトさんのお宅に『おうちまるっと魔法付与』を施して、お庭もこれから何を植えても楽しめるように土を調整した。

 ……なんか果物、作ってくれたら最高なのに……

 あ、いかんいかん、人様のおうちである。

 既にビィクティアムさんの家の庭を私物化してしまっているのだから、これ以上はまずい。

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