第373話 トラブル
なにを、言いやがったんだ、このおっさんは?
しん、と場が沈み緊張が走る中、陛下だけが脳天気に椅子へともたれ掛かる。
あのお気楽皇子殿下ですら、陛下の方に向かって信じられない、というような表情を浮かべている。
皇后殿下なんて、驚きの表情のまま固まってしまっている。
なんなの?
皇太子妃へのお祝いじゃなくて、お中元でも期待していたの?
ああ、やばい。
今、口を開いたら確実に不敬罪でとっつかまるようなことを口走ってしまいそうだ。
「とても、可愛らしい入れものですね。いったい、何でできてますの?」
涼やかな柔らかいそよ風に乗ったような声が、俺のトゲトゲした気分を和ませた。
微笑む皇太子妃殿下は、香炉を手に取り俺に語りかける。
「殿下と、わたくしの加護色がとても素敵だわ」
いかん、落ち着け。
ここは祝いの場なのだ。
この可愛らしい方と、お生まれになった新しいこの国の柱となる方のための慶びの場なのである。
俺如きの感情で、乱していい場ではないのだ。
ああ、祝われるべき方に気を遣わせてしまった。
深呼吸をして、皇太子妃殿下に向かい、笑顔を作る。
そうだ。
俺はこの方を祝うために、ここにいるのだ。
あのおっさんは、関係ない。
「失礼致しました。少し、緊張しているようです」
「教えてくださいますか? スズヤ卿」
「はい」
ゆっくり、呼吸を整えながら、献上品の説明を始める。
グランディディエライトという名前は、この世界にはいない人の名前から付けられたものだ。
そして、こちらでは全く流通していないこの石に、まだ名前はない。
だから『
錆山の奥の奥、未だ入り込んだ者の少ないその場所でひっそりと待ち続け、やっと光り輝く外界へと取り出された。
新たに生まれたこの国に輝く『星』に相応しい、蒼と緑に祝福された石。
その全てが薫る風の中で、安らかに健やかにいられますように。
「新しき祝福の石……なんて素晴らしい贈り物でしょう! これ、香炉なのですね! 嬉しいわ。わたくし、香木を焚くのが大好きなのです」
「こちらは火ではなく、雷光を熱に変えて香り立たせる仕組みです。蓋を閉めていれば熱源には触れませんし、蓋を開けると熱は引きますのでお子様が触られても大丈夫です」
「なんという気遣いでしょう。感謝致しますわ、スズヤ卿。あら……この蓋の花は……」
「睡蓮です」
「……!」
「蒼翠石は魔法を使い竹を編むように仕上げ、キリエステス御家門の花をあしらいました。いつでも、皇太子妃殿下が故郷をお感じになり、安らかでありますように、と」
「……嬉しい……竹も、睡蓮も、故郷の庭にありました……とても、嬉しいわ」
受け取ってもらえて、ほっとした。
この場を収めるためかもしれないけれど、感謝の言葉もいただけたのだから、充分だろう。
素敵な人で良かった……エルディ殿下には勿体ないくらいだよ、セレディエ皇太子妃殿下。
礼をとり、脇へと下がる。
ふぅー……終わった、終わった。
ビィクティアムさんが、俺の肩に手を置く。
謝罪と労いの感情が交ざっているみたいに感じる。
そして、怒りが……少し。
そのまま、軽食や菓子が準備されているホールへと向かう。
ここでちょこっと、皆さんと歓談などして……午前の部は終了……なんだけど、俺としては機嫌が悪いのでもの凄く苦痛だ。
しかし、俺は午後のお食事会は出ないと伝えてあるし、了承ももらっている。
もうちょっとでおうちに帰れる。
頑張れ、俺。
「……すまん、タクト……まさか、あのようなことになるとは……」
「いえ、大丈夫です、セラフィラント公。皇太子妃殿下のおかげで、なんとかなりましたし」
「よくぞ、耐えていただけた……礼を言う」
セラフィラントの四人がめっちゃ申し訳なさそうにしているが、そもそも皆さんのせいじゃないですから。
軽食会場には陛下は来ないだろうと思ってたので、少しは心穏やかに……と油断していたら突然、陛下が現れた。
……皇后殿下、ちゃんと止めてよぉー。
あ、あとから慌てて皇后殿下が。
「タクト!」
うわー……ご指名、はいっちゃったよー。
ここでご飯食べないとか、泊まらないとかで文句言われるのかなぁ。
「なぜ、すぐに儂の所に来んのだ!」
そっからか。
挨拶がないって、怒ってんのか。
ヤンキーの先輩みたいだな!
「……なんじゃ、なんで黙っておる」
「陛下、お許しがないのに、スズヤ卿が声を出すことは……」
皇后殿下がフォローしてくださったが、それは考えていなかった。
呆れてものも言えなかっただけだ。
初めて気付いたというような陛下から、許す、と示されて口を開く。
「……大変申し訳ございませんでした。しかし、私は皇族でも十八家門でもございませんから、直接陛下にご挨拶するのは憚られると思っておりましたので」
などと、心にもないことを口にする。
ちょっとだけゴキゲンになったみたいだな、陛下。
「なんじゃ、そんなことを気にしておったのか。だが、それだけではあるまい」
おや、俺ができるだけ会いたくないと思っていたことは解っているのかな?
「カカオを断ったことを後悔しておって、顔を合わせづらいのであろうが」
……
あ、ダメかも。
絶対に言っちゃいけないこと、言っちゃいそう。
「菓子を作ってこなかったのも、そのせいだな? ん? 今なら、まだ送ってやれるぞ?」
俺が困り果てて、付け届け持参で謝りに来るのを待っていたのか。
その時に恩着せがましく、献上品を横流しして悦に入りたかったとでも言うのか。
てか、こっちから断ってるってのに、図々しく前言撤回して詫びに来るだろうなんて、どーして思えるんだよっ!
……感情を高ぶらせては、いけない。
怒りでは、常識的な意見では、こういう『身勝手クレーマー』は口を噤まない。
だって、自分は悪いことなんかしていない、おまえのことを考えてやっているんだ感謝しろ……というスタンスなのだ。
俺は殊更に感情の乗らぬ口調で、全く親しみなど込めず、取り敢えずの敬語だけで答える。
「ご心配お掛けして、申し訳ございませんでした。カカオは無事に手配ができておりますので、陛下のお心を煩わせることはなくなっております」
「なん、じゃと?」
「カタエレリエラの契約農園より、収穫されたカカオが既に届けられております。お心遣いありがとうございました」
陛下の下賜も横流しも必要ない。
これは、ちゃんと言っておかなくちゃいけない。
曖昧にして、期待なんかさせちゃいけない。
陛下に一切頼らないって決めたのは俺だって、解っててもらわなくちゃいけない。
「……ならば、なぜ菓子を作ってこないのだ」
「私は魔法師で、菓子職人でも調理師でもございません」
その、貴族でもない一介の魔法師に祝いの『物品』を披露させるってのが、そもそも変な話だってことにも気付いて欲しいんだが?
「そうですわ、陛下。スズヤ卿は魔法師でありながらもとても美しくて、見事な品を皇太子妃にお贈りくださったではありませんか」
「……まぁ、そうではあるが……タクトの菓子を食べられる機会など、殆どないのだし……」
皇太子妃の出産祝いをなんだと思っているんだ、このおっさんは。
もし仮にお菓子を作ってきたとしても、差し上げるのは皇太子妃殿下であって
「ショコラ・タクトをお望みでしたら、今後は皇宮でお召し上がりになれます」
「え?」
「南茶房の方々に、作り方を伝えました。カカオはどうぞ、そちらでご使用ください」
「……あなたは、自分の作ったものを……認定品の詳しい作り方を、他の者に教えたのですか?」
皇后殿下が不思議そうに尋ねてくるが、登録商標とか限定銘菓ってもんでもないので、大勢の方に楽しんでいただけるのでしたらいいのですよ。
「おまえ自身が作らなくては、ショコラ・タクトとは言えぬであろうが! 正しい材料で伝統に則って作られてこそ、皇室認定品なのだぞ!」
ますます、言っていることの意味が解らなくなってきたぞ。
「……失礼を承知で申し上げますが……そもそも、ショコラ・タクトは、まだたった二年ほどしか経っていないものですよ? 『伝統』というのは少なくとも三、四代は続いてこその物だと思います。それに、正しい材料ということであるのならば……もう絶対に、作ることは敵いません」
「ど、どうして、作れぬのだ?」
「一番初めに作ったショコラ・タクトに使われていたカカオは、カタエレリエラのものとディルムトリエンからの輸入カカオを混合させて作った物だからです」
耳を
あーあ……
本当は、言いたくなかったんだよなぁ。
皇室認定品に他国のものが混ざっていたなんてのは、多分歓迎される事実ではないから。
『他国のものは魔力量が少ない三流品』っていう意識が絶対に強いはずなんだよ、この国の人達には。
あ、でもこの事実で『認定品』から除外されたら、それはそれでいいかも。
「ディルムトリエンからカカオが入ってきたのは一昨年まで。去年の夏には市場でも殆ど見かけなくなり、今年はカカオ自体がシュリィイーレには入って来なくなりました」
「……しかし、去年のショコラ・タクトも味は……」
「カカオを魔法で調整して味を調え、ショコラ・タクトとして問題ないようにしておりました。しかし、それをやったのは一回だけです。それ以降、ショコラ・タクトは作っておりません」
本当は夏場だから作ってなかっただけなんだが、この際そういうことにしてしまおう。
このおっさんが拘る味の『ショコラ・タクト』はもう作れないし、同じ製法だとしても違うケーキになるのは明らかだ。
「カタエレリエラのカカオを使えるのなら、味を変えて作れば良かろう。皇室認定品を作らぬ理由にならん」
……駄目だよ、陛下がそんなこと言っちゃ。
自国の物を、他国の物に合わせて変えちまえ、なんて。
「カタエレリエラのカカオは、ディルムトリエンのものとは比べものにならないほど素晴らしい味わいを持っております。ですが、カタエレリエラのカカオに相応しい、最もその味を引き立たせる菓子は、去年までのショコラ・タクトではありません」
「ならば、その名を使うことは許さんぞ!」
「……畏まりました。材料と製法が変わるので、同じ名前を使用するつもりはありませんでしたが、これですっぱり諦めがつきます。ショコラ・タクトは今後、皇宮の南茶房の方々が作ってくださるでしょう」
感情的になるなって方が無理だよ。
どうしても、突っ走ってしまう。
「私は、別の菓子を考えることに致します。カタエレリエラのカカオを、最も活かせるものを」
そうとも。
エイリーコ農園のカカオは、それだけのスペックを持っている。
ショコラ・タクトを超えるケーキができるはずだ。
陛下が俺を睨んだまま、何も言わない。
これは、不敬罪ってやつになっちゃうのかなー……
「わかった。勝手にせい。儂が認める品を作ってみせよ!」
……別に、陛下に認めてもらわなくてもいいよ。
献上なんか、する気もない。
俺は、家族や、うちの食堂に来てくれるお客さん達が美味しいって思ってくれればいいんだから。
皇家や貴族のために作っている訳じゃねーもん。
そして、どうやら不敬罪にはならないみたいだ。
近衛の人達が、俺を捕まえたりはしてこないみたいだし。
良かった。
陛下がまだ返事を待っているみたいだったけど、何も答えずにただ会釈だけをしてその場を去る。
セラフィラント公の声が聞こえたが……聞こえないふりをして俺はその部屋を出た。
帰っちゃおっかなー。
あ、でも、ビィクティアムさんいないのに、転移で帰っちゃうわけにはいかないか。
ちょっと……廊下の端っこで待ってるか。
気分も落ち着かせたいし。
すぐにビィクティアムさんが駆け寄ってきてくれて、俺は取り敢えず騒がせてしまった非礼を詫びた。
「本当に、すまなかった……よく、あれだけで引いてくれた……」
ビィクティアムさんが詫びる必要はないんだよ。
溜息混じりのビィクティアムさんは、珍しく随分と怒っているみたいだ。
何度となく、こういう場面に遭遇しているのかもしれない。
どうして、陛下の周りの人達はアレを放っておくんだろう?
周りの人達には、陛下はああいう態度をとらないのかな?
俺にだけ……なのか?
だとしても、アレはないよなっ!
いかん、ムカムカが再燃してきた。
深呼吸して、少し落ち着こう。
「多分、陛下に悪気はないんでしょうし、ショコラ・タクトを愛してくださっていることも解っているんですけどね」
溜息と深呼吸が混ざったような呼吸を何度か繰り返し、自分に言い聞かせるように落ち着ける。
今ここで俺が陛下を罵倒したって、文句を誰かに言ったって、あのおっさんには何ひとつ響かないだろう。
そして、俺自身もスッキリなどしない。
ビィクティアムさんから、怒りよりも後悔に似た感情が感じられる。
……ビィクティアムさんが、あのおっさんの言動に責任を感じる必要なんかないのに。
「陛下の言い分を聞く必要はない。ショコラ・タクトはおまえのものであり、止める必要もなにも……」
「いえ、いいんですよ。もともと……変えようとは思っていたんです。これから入ってくるカタエレリエラのカカオには、今までのショコラ・タクトは相応しくないですから新しい菓子を作ります」
「新しい物を作るって……できるのか?」
「やりますよ。美味しいショコラが作れますからね、新しいカカオで! あ、でも陛下に認めてもらうためとか、皇室認定をもらいたいなんてことはないです。寧ろ知られたくないですから、献上なんかぜーーーーーったい、しませんよ。欠片だって食べさせたくないです」
「……欠片も、か?」
「だって、絶対に面倒ですもん。農作物ってのは、毎年毎年違ってて当たり前なんです。それに合わせて美味しいものを作る。それを『伝統』とか『格式』とか『認定品』なんてものに制限されたくありませんからね」
また溜息をつかれてしまったが……呆れられても俺のスタンスは変えられないですよ。
本気であのおっさん、どーでもいいしっ!
不敬罪とか言われたら、魔法階位の方を主張してやる!
通用するかは、わかんないけど!
ささ、早く教会に行きましょう!
そんで越領方陣門、開けてください!
おうちに帰って、食材達の下ごしらえをするのですから!
あ、その前にできあがった移動方陣鋼とか、お渡ししておかなくては。
後のことは、そちらでよろしくっ!
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