第370話 ショコラ・タクト伝授

 皇宮南側の中庭を歩きつつ、主神の像を見上げる。

 ほんの一年前だが、妙に懐かしいと感じてしまう。

 裏に回り『シシリアティア』と彫られた名前の部分を指でなぞる。


 神典にも全ての神話にも主神と宗神が『ひとつの身体を共有する二柱』であるということは書かれてはいなかった。

 だが、この像が作られたのだから、絶対にそういう考えや文書が存在したはずなんだ。

 やっぱり、この信仰が消えかけた『空白の期間』に何かがあったのかもしれない。


 ぼんやりそんなことを思いながら噴水の前に来ると、なんだか水が濁って視えた。

 なんだろう?

 何かが混入しているのかな?

 水を鑑定してみると、毒性がかなり高い。

 な、なんだって皇宮の噴水に毒が?

 これって……どこかに流れている水なのか?


 サーチをかけて水の行方を見たが、この中庭内の水路でだけ循環させている水のようだったので少しほっとした。

 周囲の植物たちへも、供給されていないようだ。

 ……あ、なんか、小さい塊が沈んでいるぞ。

 うん、あいつが毒の発生源っぽいな。


【文字魔法】で、表に出すように指示ができないかな?

 アレが何かが解れば指定できるかも、と神眼と『鉱物鑑定』を併せて発動してぎょっとした。

『雄黄』または『石黄』と呼ばれる砒素の化鉱物だ。

 ルゾナイトを分解した時に鑑定して覚えた砒素に反応したのか!


 かつては黄色を出す顔料の原料として使われていた、水溶性の高い毒物である。

 めっちゃ猛毒のこんな鉱石が、どうして噴水に?

 この近くでこんなものが採れるのか?


 まさか誰かの毒殺を謀っているのかと思ったが、だとしたらこんな人気のない中庭を選ぶはずもない。

 実験にしたって、ここは相応しいとは思えない。

 とにかく、この厄介なものを取り出してから、水を浄化してしまおう。

 ……うん、綺麗になった。

 おっと、雄黄もこのままじゃ危険だな。

 硝子でコーティングでもしておけば、大丈夫かな。


 ついでに水が巡っていた水路も綺麗にしてもらえるように、浄化水にしちゃうか。

 やれやれ、この皇宮のセキュリティは相変わらず甘いんだなぁ。

 危機管理が杜撰すぎるんだよ、要人が沢山いる場所だっていうのに。

 いや、ここでは変な考えを持つ者などいないっていう信頼……なのかなぁ。


「え? スズヤ卿?」


 急に後ろから聞こえた声に、反射的に振り返った。

 おや、あの侍従の方は紅茶の入れ方を教えた……水系の魔法が使える人だ。

 名前は多分、聞いていない……はず。


「失礼致しました! つい……」

 あ、そっか。

 身分的に下の人から声をかけるのは『無礼なこと』なんだったよな。


「いいえ、構いませんよ。知り合いが殆どいませんから、気軽に声をかけてくれるのは嬉しいです」

 俺がそう言うと、侍従の方の表情が緩む。

 そっか、きっと普通の貴族は怒るんだろうな。

 俺は『貴族』じゃないからいいんですよ、そんな気を遣わなくて。


 去年のことを思い出しつつ、少し話をした。

 あの後、紅茶の入れ方を全ての侍従達で共有したらしい。

 どうやら『選定会』そのもののやり方が変わったらしく、どの茶房でも紅茶が格段に美味しくなりましたよ、と教えてもらった。

 ……これは、お茶会が楽しみになったな。


「ただ……菓子が……まだ納得いくものが作れていなくって」

「どんなお菓子が多いんですか?」

「元々は蜜を使ったものが殆どなのですが、最近はカカオを使うものが増えているのです」

 おお!

 それは素敵だ。


「だけど、ショコラ・タクトのように、滑らかなカカオにならなくって……」

 そうだよなー、結構温度とかで、口当たりが変わるからねぇ。

「まだ、皆さんとのお茶会まで時間がありますから……俺で宜しければ、お教えしましょうか?」

「い、いいんですかっ?」

「ええ」


 手持ちぶさただし、お菓子作りできるなら、きっと気分も上がりそうだし!



 早速案内してもらって、侍従さん……ランタムさんと厨房に入ったらめっちゃくちゃ吃驚された。

 まぁ……そうですよね。

 すみませんね。

 でも、俺の気持ちの平穏を取り戻すためにご協力ください。


 久し振りに【複合魔法】なしでのチョコ作り。

 初心にかえるのは、必要なことだ。

 まずは、発酵までの加工が終わっているカカオポッドから取り出したカカオの選別。


 潰れたものなどを取り除いて、ロースト。

 本当はカカオの味を鑑定しつつ揃えてからやりたいところだが、ここにいる方々ではその判別ができないので割愛。

「いつも、焼いてもあまり綺麗に皮が取れないのです」

「温度が低いか、逆に焼き過ぎでも取れにくくなりますよ。だいたい……このくらいの温度で、四半刻間がいいですね。」


 こちらの世界には、残念ながら調理用の温度計がない。

 魔法でぱぱっと作っちゃうことが多いからなのだろうか、調理用の器具がもの凄く少ないのである。

 だから、状態や行程も鑑定等を使い、目と感覚で覚えてもらうのだ。

 職人的だよね『見て盗め!』みたいな感じって。

 魔法があるってのも、善し悪しなのかもしれない。


「皮を綺麗に取ったこの中身を粉砕します。この粉砕の細かさ次第で、滑らかさが変わりますのでいろいろ試してください」

「ショコラ・タクトにかかっているのは、どれくらい粉砕したのですか?」

「あれは……一番最初はだいたい三日くらいかけて、もの凄く細かくしました。一度作って感覚を覚えれば【加工魔法】や【調理魔法】で調整して、半日もせずにできるようになりますよ」


 この辺は調理系の魔法や技能を持っている皆さんなら、時短でできるはずである。

 俺には【調理魔法】がないからねぇ……

 あの方陣、まだ試していないけど、流石に今ここでぶっつけ本番的には使えないよな。


「そして砕いている途中で砂糖……俺はきび砂糖を使っています。ルシェルス産のものですね」

「ルシェルス……!」

「俺達、蜜を入れていたよな」

「蜜だと水分が多いので、あまり適さないですね」


 そして温度を下げ過ぎないように、上げ過ぎないように魔法で調整しながらどろりとするまで。

 温度が高くなり過ぎると、香りが飛んでしまうからね。

 次の工程、テンパリングも温度管理が大切。

 艶を出して、常温で溶けずに口の中で溶けるチョコの要の作業ですよ。


「……こんなこと、してなかった」

「凄い、どんどん艶が出てくる」


 結晶を揃える……って言っても解らないだろうから、鑑定をかけながらできあがりに近づけてもらうしかない。

 あ、そうか。

 できあがりを見れば解るだろうと思ってたけど、それに到るやり方を知らないから魔法でもその状態に仕上がらないんだな。

 うむ、やはり『試行』が大切なのだ。


「カカオ分が多いと適正温度が変わります。乳脂が多い物より、すこーしだけ調整温度を上げるといいです」

「温度……温かさ、ということですよね?」

「あ、そうです。菓子作りには、適正な温度と分量が大切なので」


 うーん、どういう語句が伝わりにくいのかまで考えながらだと教えるのって難しいなぁ。

 ……『教官育成講座』の時、結構突っ走って喋ったけど……いろいろ伝わっていないのかも。

 アフターフォローした方がいいかな。

 誰かに教えるって行為は、いろいろと見直すべきポイントが明確になっていい。


「俺達が作ると、どうしてもショコラ・タクトのような味にならないんです……砂糖だけの違いなのでしょうか?」

「多分、カカオの品種と育てる魔法が違うからですよ」

「『品種』?」

「はい。育ってきた環境や、育て方で、様々な特長を持つカカオができます。それが代々続いていくと適した環境に合わせた変化が起きますから、味も香りも変わりますので」


 皆さん、きょとんとしていらっしゃる。

 血統とかに拘る身分制度社会なのに、植物の『血統』には……無頓着なんだなぁ。

 食べものについては、素材の血統より製法の伝統なのかな。

 同じ味、多いもんなぁ王都は。


「味の調整は魔法で、ある程度できますよ。ただ、あまり魔法に頼って味を変えてしまうと、折角の個性がなくなっちゃうので、まずはカカオとできあがったショコラの味を見てから、相応しい菓子に仕上げればいいんじゃないかなーと……」

「ショコラ・タクトが作りたいのです!」

 うーむ、皇室認定品ってやつだから、ですかねぇ。


 カカオ自体の味の調整は砕きながら砂糖を入れる前に、苦味と酸味を変えればいいと教えた。

 早速やってみた皆さんが、味が近付いたと喜んでいるので……まぁいいか、と納得することに。

 真似したいと思ってもらえるのは、光栄だしね。


 そうこうしているうちにショコラ・タクト簡易版ができあがり。

 おおっと、俺はお茶会とやらに行かねば!

 ビィクティアムさんが探し回っているかも!


 慌てて厨房を後にして、中庭へ戻ると丁度ビィクティアムさんが迎えに来てくれたタイミングだった。

 セーーーーフ!


「……で、おまえは、上着をどこに置いてきたんだ?」


 アウトーーーっ!

 全速力で厨房へと走る俺の後ろで、ビィクティアムさんの盛大な溜息が聞こえた。

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