第355話 銘印章
「『銘印章』……ですか?」
「はい。農園の扉に掲げましたでしょう?」
翌日、俺はカタエレリエラ同行と数々の交渉をしていただいたお礼に、新作のヘーゼルナッツと枸櫞ピールのシャーベットを持って教会にやってきた時、優しく微笑むテルウェスト司祭から言われたのだ。
公文書用の『銘印章』の登録をしてください……と。
「指輪印章のご登録はあるようですから、すぐにでも」
「……それって……王都に行ったりしないと駄目なやつですか?」
やだ。
行きたくない。
この間のカタエレリエラ訪問だけで、お腹いっぱい。
当分、お外には出たくない気分なんですぅ!
「大丈夫でございますよ。タクト様は十八家門ではございませんので、在籍地の教会と役所にさえお届けいただければ」
そっかー、それならいいやー。
あー、安心したぁ。
呆れたようにクスクスと笑うテルウェスト司祭であったが、俺にとっては大問題なのだ。
どうやら貴族家門でなくても、銀証以上の魔法師であれば、公文書用『銘印章』の登録をしておく方がいいらしい。
独自魔法や聖魔法の行使を要請された契約には、『銘紋』としての印章が必要な場合があるようだ。
「特に、貴方は神聖魔法をお持ちですから、国からの要請を受けるにしても断るにしても銘印章は必要です」
「……国からの要請って……断ってもいいんですか?」
「はい。当然でございますよ。タクト様は『神聖魔法師』なのですから。魔法に関しては、貴方に強制できる方はセラフィエムス卿唯一人でございます」
あー……なるほど。
全体的な身分に関係なく、魔法の行使に関してだけはビィクティアムさん以外の誰も俺に『命令』で使わせることができないって訳か。
だから、皇王陛下ですら俺に『皇宮に魔法付与して欲しい』とは要請できるが、『魔法付与を命ずる』と命令も強制もできないということか。
俺はその場で作って登録してしまおう、と部屋を借りて凹印面の金属製印章を作ることにした。
コレクションから『冶金セット』でまとめてあるトートバッグを取り出すと、テルウェスト司祭が驚いたような顔をする。
「……鞄……?」
「あ、実は魔法で収納ができまして」
嘘ではない。
【収納魔法】じゃないけど、同様の効果がある魔法だと言わないだけだ。
「ああ! 左様でございましたか。【収納魔法】からの取り出しを間近で見るのは初めてでございましたので、吃驚致しました」
そーか、貴族とか司祭様だと、荷物なんか持ち歩かないもんなぁ。
【収納魔法】持ちの人は、少ないんだろうな。
八十人以上いるシュリィイーレ衛兵隊でも、確か七人だけしか持っていなかった魔法だ。
「市場で沢山仕入れた物や錆山の採掘品を魔法を駆使して運んでいたのが、いい『試行』になったのかもしれないです。これからはもう少し楽に運べそうですよ」
堂々と鞄の出し入れができるって、ホント、楽。
やっぱり魔法は解ったつもりにならず、ちゃんと理解と試行をしないとね。
その内本当の【収納魔法】が出てくれたら、いいんだけどなぁ。
さて、作るのはいいが、素材は何にしようか。
緋色金は、なんだか俺のものとしてはゴージャス過ぎる気がする。
……まあ、指輪印章は緋色金で作っちゃったんで、今更と言えば今更なんだけど。
公式用はもう少し、煌めきすぎない素材にしたい。
あ、そーだ。
コバルトと炭化タングステンがあったはずだから『超硬合金』を作ろう!
クロムも一緒に混ぜて冶金加工すれば、硬度も靱性もある強い金属になるはずだ。
人工関節とか、この金属だよね、確か。
でーきたっと。
印影は、指輪印章と同じでいい。
持ち手は、まだ紫檀が残っていたからそいつを使おうか。
はい、公文書用の『銘印章』が完成致しました!
「じゃあ、こちらで申請を……テルウェスト司祭?」
「あ、も、申し訳ございません。タクト様の魔法は何度見ても……展開と発動が早くて美しい。今の魔法は?」
「【冶金魔法】という金属を合成する魔法と、必要な技術を使いながら【加工魔法】で仕上げました」
「冶金……? それは、神聖魔法でございますか?」
「神聖属性ですが、独自魔法の一種ですよ」
神斎術は、独自魔法という解釈をしております!
個人的に!
「素晴らしい……先日農園に掲げられた金属板とは、また違う輝きの金属ですね。なんという名前なのですか?」
「……名前?」
「はい。銘紋の申請には、印章に使われております材料名の記載が必須でございますので」
忘れてたーーーっ!
そーだよ、ビィクティアムさんが登録する時に言ってたじゃーーーんっ!
指輪印章は必ずしも必要はないけど、銘印章と印璽には絶対に要るって!
えーと、えーと、超硬合金……っていうのは『名前』っていうよりカテゴリーっぽいし、コバルトもタングステンもなんて言ったら……
コバルトって
炭化タングステン……は、ああっ『徹甲弾』に使われたってことしか覚えていない!
「えっと……『妖』……いや、『
うわぁ!
なにそれーっ!
意味もなんにも通じないよぅ!
「初めて聞く名前でございますが……もしかして『貴剛鋼』……ですか?」
え?
あ、そーいえばリデリア島でもらった神斎術の『貴剛鋼』って……いや、でも、それ認めちゃっていいのかな?
確かにアレも、コバルトとタングステンの超硬合金だったけど。
俺が今作ったのは、クロムが入っているから厳密には同一じゃないし。
「えっと、多分その一種……ってくらいで、そのものでは……ないかなー、と……」
神斎術に関係があるとは、思われたくないよなー。
あくまで『神聖魔法』の範囲でいて欲しいっ!
「ああ、そうですよね……貴剛鋼は『金剛石より硬く黄金に輝く天光を宿し何ものにも侵されぬ神鋼』……この金属『精徹鋼』の輝きとは、少し違うかもしれません。失礼致しました」
あれ?
リデリア島のもの、金色じゃなかったけど?
「知ってるのと違うな……いくつか種類があるのか?」
俺の呟きを捉えたテルウェスト司祭の顔が、ぱっと明るくなる。
「……! ええ、そうかも知れません! きっと神聖属性のもので、金剛石より硬い物をそう呼ぶのかもしれませんね!」
いや、それだと俺が作る合金が殆ど『貴剛鋼』になっちゃうじゃん。
流石にそれは駄目でしょ。
「そういう金属は沢山ありますし、おそらく違うと……」
「お使いの指輪印章の金属も、あの農園の物も『貴剛鋼』の一種なのですね! 道理で、素晴らしい物ばかりです!」
こらこら、今、俺、否定したでしょうに。
そっちは聞いていなかったのかな?
教会の方々って割と思い込みで突っ走る人、多いよね?
なんか勝手に納得されてしまったが……まぁ、いいや。
沢山あるうちのひとつって解釈なら、たいしたことないって思ってもらえるだろう。
それでは次は、役所に行って登録承認してもらいますね。
「……はい、確かに」
「よろしくお願いします」
役所ではいつもの如く所長さんがお見えになり、ささっと手続きをしてくださった。
この教会と役所の承認書を、王都の章印議院に送れば完了ということだ。
「最近、タクトさんの所の食堂でも魚料理が増えて、私、とても嬉しいですよ!」
あ、そういえば所長さんはお魚好きだった。
そう言っていただけると、作りがいがありますよ。
「まだ市場では売られていませんが、その内シュリィイーレにも普通に魚が入ってくるようになったらいいんですけどね」
「そうですねぇ。以前よりは、魚を出す店も増えてきましたからね。今度北東門の食堂で、魚料理が出るらしいので行ってみようと思っているんですよ」
あ、そうか。
北東と北門では今、ラウェルクさんの店やサティルさんの店から、料理人が来ているって言ってた。
魚料理も出るのか!
外門食堂ではローテーションでいろいろな店の人達が担当するから、全てのメニューが『期間限定』だ。
そして、経済的にも物理的にもなかなか本店には行きづらいという人々が、外門食堂で本店より少し安めで食べられると知り、結構人気らしい。
所長さんは仕事帰りに何度か西門食堂に行ったみたいだが、少しでも遅くなると売り切れてしまうんだとか。
こうして避難所でもある『外門食堂』に親しんでくれれば、いざという時にもその場所へ行くハードルが下がるので避難がスムースになるだろう。
避難した方がいいと解っていても『馴染みのないよく知らない場所』には、行きづらいものなのだ。
「ところで……タクトさん、ショコラ・タクトを作らなくなる……というのは本当なのですか?」
は?
なんですと?
あ、もしかして『夏場は作らない』って言ったのが、ずっと作らないって誤解された?
「なんだ、夏のうちだけの話ですか!」
「ええ、冷たい菓子を作りたかったので、一時的に休んでいるだけですよ」
「いやぁ、吃驚しましたよー。皇室認定品ですし、何より美味しいですからなぁ! そうですか、秋になったらまた食べられるのですねぇ」
結構心配されていたみたいで、あからさまにほっとされてしまった。
「でも、どうしてそんな話に?」
「タセリーム商会は店主が旅に出ているとかで閉まってますし、他の店でもココアを全く扱わなくなりましたし、市場でもカカオが手に入らない……と言っておりましたから」
タセリームさんや他の店がココアの取り扱いを止めたのは、もう随分と前の話だ。
旅に出てるのか……それは知らなかった。
だが、カカオを売りに来ていた商人は、東市場には何人かいたはず。
やっぱり高くて、あんまり需要が定着しなかったのか?
「ミューラとディルムトリエンが戦争のまっただ中らしいですし、セラフィラントからの船もなくなりましたからね。どこからもカカオが届かず、カタエレリエラの物は高騰しているらしいです」
ああ……そうなのか。
下らない人と人の争いで、その国々からカカオはなくなってしまうのだろうか。
もしかしたら、カタエレリエラのご領主は南方の国々の情勢からこうなる事を見越して、領内の各農園を何年も前からバックアップしていたのかもしれないな。
先見の明がある、素晴らしいご領主だな。
スイーツ部としては、感謝に堪えないところだ。
でも、国内の需要全てには、まだカタエレリエラ産カカオだけでは足りないんだろうな。
ホント、エイリーコさん達と契約できてよかったよ。
冗談でも間違いでもなく、ショコラ・タクトどころかチョコレート菓子全般がシュリィイーレでは幻の菓子になっちゃうところだった。
サラーエレさんにお礼を言いに行かなくちゃ!
おっと、忘れるところだった。
『越領通行承認証』登録しておかなくては。
これがあると越領検閲がスムースだし、越領料金も都度支払いじゃなくなるから面倒がないだろう。
「ほぅ、カカオを運ぶ方がご使用なのですね? 馬車用……では、ないのですか?」
「【収納魔法】をお持ちの方々で、俺の登録してある方陣を使って移動してもらうんですが、越領は徒歩なので。えっと、四人分です」
「なるほど! それは魔力が保たれる、素晴らしい運搬方法ですなぁ! ますます、秋のショコラ菓子が楽しみになりましたぞ!」
ご期待に添えるよう、頑張ります!
どんなカカオが来るか……によるんだけど、きっと素敵なお菓子ができるはずだ。
エイリーコさんの所に『越領通行承認証』を届けに行かなくちゃな。
今度はレーデルスまで行っちゃえば、方陣でサクッと移動できるから楽だぞー。
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