第344話 夫婦喧嘩?

 水筒作成を引き受けてもらえたので、方陣鋼をベルデラック工房にだけ『直売』することを魔法師組合に報告に行く。


 方陣の販売は基本は魔法師組合か、魔道具を取り扱う『魔具屋』と呼ばれる店で行う。

 魔道具も魔具も言い回しが違うだけで同じことだ。

 魔具屋は組合から方陣札を仕入れるか、魔法師と契約して方陣札を書いてもらう。

 魔法師が直接特定の店や工房に売る場合には、魔法師組合への報告と販売価格の認証が必要になるのだ。


『謝りに行く』が気になったので、ラドーレクさんを捜したが、外出してしまっていた。

 ……本当に、何をやったのだろう……?


 手続きの時に受付のコーザスさんが、直売価格だからって割り引かなくてもいいんじゃ? と不思議そうにしていた。

 大抵は割引などないらしいが、今回は……俺の押し売り的な感じもあるし、俺は方陣に全く魔力を入れない。

 それに、この水筒をなるべく早く普及させたいからいいんですよ。


 さて、作ってもらった販売価格承認書に、ベルデラックさんの署名をもらいに行こうかな……と思った時に、組合事務所の時計を見て吃驚した。

 思っていたより時間が経ってしまっている……あ、地下室を作っていたからか!


 今日は朝早くから外に出てしまったので、ランチタイムの準備をまだ何もやっていない。

 魔法師組合から慌てて転移して、なんとか間に合いそうだ、と、戻った食堂で何やら事件があったようだ。

 父さんと母さんが、言い合いをしている。

 なんて珍しい!


「だからよぅ、そんなに怒るなってぇ……」

「何言ってるの! なんで怒っているかなんて、全然解ってもいないくせにっ!」


 ……いや、言い合いではなく、一方的に父さんが怒られているみたいだ。

 俺がおそるおそる入っていくと、母さんが凄い勢いでこっちに振り向くので思わず竦んでしまった。


「聞いてよ! タクト!」


 この『聞いて』というワードは、とても注意が必要な単語である。

 特に、お怒りモードの女性がこう言ってきたら、決して逆らってはいけない。

 その状況下における『聞いて』は、『話を聞いて同調して欲しい』という意味を多分に含んでおり、冷静に判断して欲しいという意味ではない。


 そしてちゃんと目を見て、真剣に耳を傾け、相槌以外は殆ど口にせず、それでいて理解を示すように、話している人となるべく近いテンションで『絶対に否定も批判もせず自分の感想を言う』くらいの高難易度コミュ力が求められるのである。


 カルチャースクールのおば様方から、何度このワードを言われたか……

 その度に張り巡らされた『釣り言葉』の罠に惑わされず、『若干の感情的な理不尽を見逃しつつ誠実に対応する』という複雑怪奇なミッションを突きつけられ……轟沈したことか。


「どうしたの、母さん」

 まずは聞く態勢であることを表明し、なるべく真横に立つ。

 正面では攻撃対象と同位置となってしまい、後ろに下がっては消極的で協力する意志がないと見受けられてしまう。

 だが、決して近付き過ぎてはいけない。


「この人ったら、最近よく二階で、いつもの人達と酒を飲んでいたでしょ?」

「うん、みんなで飲んでいたね」

「だからぁ……」

「あんたは黙ってて!」


 そう、何があっても話の腰を折ってはいけない。

 遮ってもいけないし、ましてや『先回りして話してもいけない』のだ。

 なんせ、今は『聞いて』欲しいのであって、まだ『解って』欲しい段階ではない。


「昨夜も飲んでいたでしょ? それは、まぁ、いいのよ。仕事は終わっているんだし?」

「いつもおつまみを母さんが作っていたよね」


 やってあげていることをちゃんと知っていますよ、というアピールは挟んでおくが、否定も肯定もせず、話を急がせてもいけない。


「そうなのよ! まだ片付けとかで忙しいのに、ちゃんと作って用意してたのよ。それなのに、二階の台所を漁っていろいろ盗み食いして!」

「えぇ? それはよくないなぁ」

「でしょう? それでも、昼の残りとか、そーいうんならいいのよ。でもっ! 二日間漬け込んで、今日家族みんなで食べようと思ってた『青シシ』を勝手に焼いて食べちゃったのよ! その上、台所は片付けもせずにぐちゃぐちゃで! 漁った食料庫から出した物は、出しっぱなしだし! 食べ終わったあとの食器だけじゃなく、ゴミとか酒瓶とか転がしたまんま!」


 ……これかぁ。

 ラドーレクさんが言ってたのはーーー!

 ここで見誤ってはいけない。

 最も怒っているポイントは何か、ということを。


 まずは『青シシを勝手に食べた』そして『家族で食べる物を断りなく友人に振る舞った』『用意した料理で満足せず食料庫を漁った』『台所を勝手に使った』しかも『食べ終わった物の片付けを一切していない』『散らかしたままゴミを捨てていない』『それに関して、適切に謝罪をしていない』……という多角的憤怒である。


 ……俺、自分の部屋から転移で魔法師組合に行っちゃったからなぁ。

 二階のリビングもキッチンも、見てなかったなぁ。


「ごめん、母さん。俺も全然片付けようって思ってなかったよ……」

「あら、あんたのことを怒っているんじゃないのよ! 食べた人が片付けるのが、当たり前でしょう? 夜遅くまで自分達で食べ散らかしておいて、そのまま帰るなんて! うちは酒場じゃないのよ!」


 しれっと自分を攻撃対象から外すことに成功。

 あとは『最も怒っていること』を……絶対に否定しないこと。

 そして、起きてしまったことは仕方ないなんて落ち着かせようとしたり、『次はどうしたらいいか』なんていう提案をしないことだ。


 怒っている人間は、今、怒りたくて怒っているのだ。

 冷静にして欲しいわけではない。

 そして、第三者からのアドバイスなど、まっっっっったく求めていないのである。


「どれだけ、どれだけ楽しみにしていたのかも考えずに! どうやって料理したら一番美味しくなるか、ずっと考えてたのに!」


『丹精込めて準備した物を台なしにされた』が、正解だ!


「そうだよ! 折角母さんが準備してくれていたのに、酷いよ、父さん!」

「で、でもよぅ……いいじゃねぇか、まだ青シシ肉はあるんだし……」

「だったら、地下の倉庫から持って来て、焼いてあげたらよかっただろ? だけど、それにしたって母さんにはちゃんと断らなくちゃ!」


「……近くにあったら……そっちを使うじゃねぇか」

「あたしが漬け込んでいたのを入れておいたのは、鍵付きの保冷庫よ? 鍵をこじ開けて取り出すって、どういうことなの?」


 はい、これは父さん完璧ギルティ。


「どーせ食べるんだし、いいじゃねぇかぁ」

「父さん、根本的に間違っているよ? もし父さんが母さんに何か作ってあげるために取っておいた石や鉱石を、母さんが『どうせくれるんだから』って勝手に持っていったらどう思う?」

「う……」

「しかも、それを『どうせ自分のものになるんだから、友達にあげてもいいよね』って勝手にあげちゃったら……?」


「そ、そんなん、怒るに決まって……決まっ……てるよな……」

「そうだよ。それに、台所はいつもいつも母さんが、どれだけ丁寧に大切に使っているか、知ってるよね?」

「……ミアレッラぁ……すまん……」


 ここで父さんに同情したり、母さんを煽るように同調してはいけない。

 そして一番大切なのは『第三者的立場である俺が、勝手に話を切り上げるように仲裁をしてはいけない』ということだ。


 暴力沙汰になっているとか、どうしようもなく感情的で支離滅裂になっているなんていう状況でない限り、第三者は絶対に当事者より先に結論を口にしてはいけないのである。

 第三者は『司会者』ではない。

 仕切ってはいけないのだ。


「……二階、使わないで」

「え?」

「もう二度と、二階での酒飲みは許さない。二階は『家族のため』の場所なの! あんな風にめちゃくちゃにして欲しくないの!」

「う、うん……解った……でもよぅ、そしたら食堂……」

「それも、絶対に、駄目」


 母さん、強いなー。

 流石だなー。

 あ、目が座っていらっしゃる。

 お怒りは解けてはいないし、許す気もまったくないってことだね。


「うちは、酒場じゃあないのよ? 店で酒を飲むのは、絶対に駄目」

「あ、物販でも駄目だからね、父さん。夕食後も買いに来る人はいるから」

「えええぇー? じゃあ、どぉしろって言うんだよぅー」

「酒場に行けばいいでしょ?」


 父さんが雨に濡れた子犬みたいな目をして、今にも母さんに縋り付きそうだ。

 おっと、その姿に母さんも、ちょっとぐらっと来たか?


「……だってよぅ……ミアレッラとタクトの作った物が一番美味いんだから、他の店になんか行きたくねぇんだよ……」


 おおっと!

 これは父さんの必殺技『妻の料理が一番です』炸裂!

 だがここで、本日の母さんは『しょうがないわねぇ』とならない、確固たる意志を持っているッ!


「……工房で飲めば?」


 母さん、退場。

 父さんノックアウト。


「……タクトぉ……」


 しょーがねぇなぁ。

 しかし、これは考えようによってはラッキーかも。


「工房が少し狭くなってもいいなら、一部屋、造るよ?」

 一瞬、考え込み、唸る父さん……だが『家飲み』を諦めるより、工房縮小を選んだ模様。


 ……いいのか? それで。

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