第342話 方陣の扱い

 翌日、俺は完成したフルスペックの『縹色の泉』を持って、ビィクティアムさんの家を訪ねた。

 簡易モデルの方陣鋼のことと、それを使った水筒の販売についてのご意見を伺おうと思ったのだ。

 朝食デリバリーのついでに。


 今日はベーコンエッグのホットサンドと野菜たっぷりミネストローネ風スープである。

 ビィクティアムさんはその朝食と椪柑マーマレードのヨーグルトを口に運びつつ、俺の計画を聞いて頷く。


「ああ、いいんじゃないか? あまり大きな魔力を必要としないのであれば、広くこの町の者達に普及した方がいい。非常時用の物が各避難施設にあれば、使用回数に限りがあっても問題ないからな」


 どうやら完全版は、全ての外門食堂保管庫と教会に複数個常備してくれるようである。

 よかった、よかった。


「家庭用は『縹色の泉』の廉価版として、外門の衛兵隊事務所とか教会で売ってもらえるといいんですが……」

「そのつもりだ。ああ、作った方陣には魔力を入れなくていい、というのは聞いたか?」

「はい。ディレイルさん達が知らせてくださいました。教会の神官さん達も協力してくださるとか」


 ありがたいことである。

 皆さん、防災意識が高まっていて、非常にいい傾向だ。


「水筒と水筒用の『取替方陣鋼』も魔力を入れずに販売します。方陣鋼に一度の魔力充塡で水筒に三杯分、水が出せるくらい。だいたい十回程度の繰り返し使用ができます。家庭用廉価版の魔力充塡回数制限はほぼないですが、温度調節はできませんし斜めにした時の湧水量にも制限があります」


「うむ、それでいい。水筒の販売はどうするつもりだ?」

「取替用の方陣鋼のみの販売は、魔法師組合に委託します。水筒とそれに組み込む最初のひとつは、水筒を作ってもらう工房の販売店にお願いしようかと」


 俺が考えているのは、ベルデラック工房。

 水筒の外側は金属、内側は金属と硝子を層にしたもので成形する。

 そして外側と内側の間に空気の層を作ることで、温度調節機能なしでも外気温に左右されにくい水筒ができあがる。


 この加工ができるのは、燈火作りで腕を上げているベルデラック工房の方々だけであろう。

 そして、錆山で使う燈火を売っている店で一緒に販売してもらえれば、『錆山探掘グッズ』が同じ店で揃うのである。


「……その水筒、衛兵隊にも欲しいな」

「あ、衛兵隊の皆さん用なら、救助用品の一環として俺が作った『完全版湧水水筒』をご用意いたしますよ?」

「それは助かる。夏場の外回りは、なかなか水が飲める場所がないからな」


 そうだよな、公園や公共の場所で給水できる所なんてないし、自販機で売っているわけでもない。

 持ち歩くにしたって限度があるし、見回り中に気軽に店に入れるわけでもない。

 西の森とか碧の森では、要救助者に水を飲ませるとか、傷口なんかを水で濯ぐ……なんてことが必要な場合もあるからね。


「簡易版の方陣は魔法師組合に登録しているから構わんが、その他の方陣は見えなくするか、読めなくしておけよ?」

 あ、盗用登録防止ですね。

 了解です!


「それと『廉価版』と『完全版』はできることならば、このシュリィイーレから出さない方がいいな」

「シュリィイーレから?」

「そうだ。簡易版の方は回数制限もあるし『清水の方陣』を強化したものとしての認識程度だろうが、家庭用廉価版ですら今使われている方陣では説明がつかない」


 そういえばそうか……

 一応見えなくするとはいえ、水が湧くなんてものは『宝具』だと父さんも言っていた。

 回数制限なく、大量の水が出せる道具がこの町から外に出たら騒ぎになるのは目に見えている。

 しかも簡易版とは言え『湧泉の方陣』が、俺の名義で登録されるのだ。


 その『宝具』の魔法が『方陣』であるということが簡単に推理でき、シュリィイーレと俺に辿り着く。

 そんなことになったら、また神司祭様達とか陛下とかにお呼び出しをくらうかも……それは、嫌。


「まぁ……おまえの隠蔽が見破れるとは思えないが、使われている魔法が『方陣』であると突き止められてしまったら、王都辺りで大騒ぎになるぞ」

「方陣だと、問題があるんですか?」


「方陣は魔法としては弱いとされている。方陣魔法師でない限り、その効果を十全に使うことができないからだ。だが、おまえのものは廉価版も完全版ですら、書き替えてもいない古代文字の方陣なのに『誰でも最も高い効果で』使えてしまう。しかも回数制限がない。そんな魔法が『いつでもどこでも使える方陣』なんて『神聖陣』扱いだ」


『神聖陣』……って、皇宮の宝物庫に保管されている本に載っているとか言う、あれですか?

 そういえば『法典』にも書かれていたっけなぁ。

『神聖陣の流出阻止の厳守』って……他国には絶対に知られるなってことっすよね?


『湧泉の方陣』がそんなものになっちゃったら、シュリィイーレで気軽に使えなくなっちゃうかもしれない。

 それは絶対に避けねば。

 この方陣は『シュリィイーレのため』の方陣なのだ。


「では……使用範囲を指定しましょう」

「できるのか?」

「呪文にも組み込みますが、【文字魔法】と【臨界魔法】を組み合わせて方陣を書くことで、より強く『シュリィイーレの町の中以外は無効』にできるはずです。どうやらこの方陣は俺以外に描けそうもないみたいですし。方陣に必要な魔力量も変えずに……いや、寧ろ範囲指定した方が魔力は少なくて済むかも」

「そうか。それならば、その方がいい」


 ビィクティアムさんがちょっとほっとしたって顔になったので、本当に外部に知られると使えなくなる可能性があったんだろう。

 相談してよかったなぁ。



「で、欲しい『ご褒美』は決まったのか?」

 あ、そうそう。

 考えたけど、結局はここに行き着いちゃったんだよね。

「えっと、カルラスの生姜、デートリルスの蜂蜜、オルツの椪柑の優先買取権が欲しいです!」

「……優先……買取権?」


 自然相手のものは魔法で栽培していたとしても、毎年同じ品質の物が充分な量生産できるわけではない。

 しかし、俺のオーダーにはなるべく、希望数量の通りでの出荷を優先してもらえませんか? ということなのだ。

 そんなに大量じゃないから、よろしくね? って感じ。


「そんなことでいいのか?」

「はい。無料で送ってもらうのは気が引けるし、他にも競合がいるから少なくして欲しいって言われるのも困るし、安定した供給をお約束いただきたいのです」

「……解った。その他の木の実なんかも、そうしておこう。勿論、魚も、な」

「ありがとうございます! 菓子作りに欠かせないものばかりですし、お魚もうちの食堂では評判が上がってきているので、本当に助かります!」


「小麦はいいのか? ロートレアのものは、菓子に最適なのだろう?」

「えっ、いいんですか?」

「あの地区のものは領内に余り気味だから、使ってくれると助かる」

「それでは是非! 菓子用の小麦って、シュリィイーレには少ないから凄く嬉しいですよ!」


 どうしても主食であるパン用の強力粉が主流なので、菓子用の薄力粉はとても少なかったのだ。

 ふふふふふ、スイーツ部、更なる飛躍の時ですぞ!

 方陣ひとつで延縄漁のように、やたら沢山釣り上げてしまったな。



 その日の夕方、ガイエスから手紙と小袋が届いた。

 中に入っていたのは、銀貨数枚と今居る東の小大陸にあるカシェナ王国というところで採れた岩石数個。

 石は砂岩で特に目新しいものは含まれていなかったが、碧の森でよく採れる『硬砂岩』とは違い『正珪岩』だった。

 風化で残った石英だけが固まった、ちょっとガサガサした感じの石だ。

 日本でも、これを使って盃とか作っている所があった。

 これは、シュリィイーレでは採れないから結構嬉しいぞ。


 そして手紙には『明日の朝、カバロにやる飼い葉がないから送って欲しい』と書かれていた。

 カバロの餌を切らすとは、なんという怠慢!

『夜中だからオルツに行っても入国できないんで、悪いが頼む』……夜中?

 ……あ、時差か!


 あいつのいるところ、皇国より東だからもう夜中なんだな。

 シュリィイーレとセラフィラントでも一刻半……三時間弱ほどの時差がある。

 でも東の小大陸まで行くと、結構な時差なんだろう。

 今シュリィイーレで夕方、だいたい日本の感覚で考えると春の十八時くらいの陽の傾き方である。

 セラフィラントだとすっかり陽が落ちているし、カシェナだと夜中……だいたい五、六時間くらいの時差なのか。


 とにかく、カバロを飢えさせてはならないと俺は閉まりかけの市場へ転移、たんまりと飼い葉を買ってソッコー送ってやった。

 ギリギリだったぜ。

 夕食時間で混み出す前だったから、間に合ってよかった。

 そしたらガイエスから『朝でもよかったのに。ありがとう』とすぐに返事が来た。

 朝って……こっちの朝だったら、そっちでは……あれ?

 あいつ、時差を意識していないのか?


 ちょっと気になったので、父さんに確認。

「今の時間、九刻過ぎだけどセラフィラントだと何刻になるんだろう?」

 そう聞くと父さんが何を馬鹿な事言ってるんだ?って顔になった。


「おまえ、どこに行ったって時間が変わるわきゃねぇだろうが。セラフィラントでも九刻は九刻だぞ」

 予想通りの答えが返ってきた……この世界では『時』は変わらないのだ。

 あちらの世界のように『日本時間で今は◯時、ワシントンでは△時』ではなく『九刻だとシュリィイーレは夕方、セラフィラントは夜、カシェナは深夜』という感じだ。


 まぁ、基本的に遠方と短時間で行き来できるのは方陣門を使う時だけだし、それだって領内だけでなら時差なんか気にしなくていい程度。

 こんなタイムラグなしでここまで遠方とやりとりができるは、今の所俺とガイエスだけだろうだからこの世界的にはさほど問題はないのだろう。

 日本みたいに、時間にキッチリしたインフラがある訳じゃないからね。


 日付変更線なんてものも、存在しないに違いない。

 ……船旅したら、日付めちゃくちゃずれそうだなぁ……

 辿り着いた先でリセットするのかな?

 そんな高速移動手段がないから、平気なのかな?

 そもそも、あんまり時間とか気にしていないから、どーでもいいのかもしれん。


 この世界の一日は『改日時』という『零時』にあたる時間から一日が始まる。

 そして一から十二までカウントし、十二時から一刻経った時が『翌改日時』となる。

 つまり、十二時の次に零時……『十三時』があり、一日は十三刻。

 一刻があちらの世界で二時間弱位の感覚だ。


『一刻』で一時から二時になり、『半刻』経つと一時半、二時半。

 半刻の半分くらいの『四半刻』が、時間としての最も短い単位になっている。

『分』とか『秒』までの細かい単位はない。

 いや、あるのかもしれないが、誰ひとり意識していない。


 ……約三十分が、最小単位って日本人的にはアバウト過ぎな気もするが、こちらでは『誤差』の範囲なのだろう。

 なので時計も大変シンプル。

 そして、円ではなくて、直線でできている設置型の時計しかない。


 ガイエスがくれた道具の中にあった『日数計』はそれの簡易版で、何日過ぎたかだけが解るものだった。

 使用者の魔力を通すことで稼働が開始され、その減り具合で目盛りが動き何刻間経ったかが解るのだろう。

 その魔力も二、三日程度しか維持できないので、小まめに魔力を入れ込む方式のようだ。

 元の魔力がなくならないうちに魔力を入れると目盛りはそのままキープだが、一旦空っぽになるとリセットされちゃうみたいだった。


 最初何に使うのかよくわかんなかったけど、多分迷宮内で使用するのだろう。

 地下だと時間感覚は狂うだろうし、確か一ヶ月近く潜っているなんて言ってたし。

 そーか、もしかしてそのせいで時間感覚狂って、迷宮から戻った時に真夜中とかで餌を買いに行けなくなった……なんていう間抜けか!


 ……時計、つくってやるか。

 腕時計……は、戦闘の邪魔かもしれないから、懐中時計にすっか。

 いちいち魔力を通す必要のないものにした方がいいな。


 今回の正珪岩の報酬ってことで、明日にでも送ってやろう。

 ……ちゃんと『今オルツは朝』とか、解る表示も入れとかないとな。

 こっちの真夜中に緊急案件とか出されても、対応できないし。


 カバロになんかあったら許さん。

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