第340話 『縹色の泉』
その青い水瓶は
清らかな、命を育む水を。
手で掬って、口に運ぶ。
うん、青硝子の瓶を使ったせいか、シュリィイーレの水に近い『硬水』になった。
「問題なさそうですね。質も量も」
「……どうしてだ?」
ビィクティアムさんが、水が湧き続ける瓶から目を離さずに問いかけてくる。
「どうして、これを作ろうと思ったんだ? 水系の魔法なんて、全く持っていないおまえが……方陣まで使って」
この質問は、想定内。
「だって、この間みたいに凄く寒くて全部凍る日が続いたら、今度はもしかしたら水源が凍っちゃうことだってあるかもしれないでしょう? 俺の生まれた国では、毎年のように、滝が凍る所だってありましたからね。そうなったら、水をどこからも調達できないじゃないですか!」
そう、あくまでこれは『次の冬に備える』ために作ったもの、と思ってもらう。
だって、水源が干上がるなんて『起こってもいないこと』なんだから。
「町の水道だって、凍っちゃうこともあるし、こういう水瓶が避難所や外門食堂にあれば、そこでは絶対に水と食べ物があることになりますからね。避難所施設の充実のため、ですよ!」
町の水道が【付与魔法】で、凍らないようにしてあるのは知っている。
でも、レザムが『今年はずっと温かかったし、水もお湯も出たから』と言っていた。
つまり、例年は、水さえ出ない時があったのだ。
全ての水道に均一に魔法が入っているわけではなく、切れかかっていたり、弱くなっていたりする場所もある。
それが、自分の家や職場ではないと、誰が言える?
誰もが最悪に備えてこそ、自然災害は乗り越えられるのだ。
「それに、これなら材料は錆山に沢山あるものばかりだし、方陣さえ書いてあれば誰の魔力を入れても魔法は発動するでしょう? 元々入っていた魔力がなくなったとしても、誰でも方陣に魔力さえ入れられれば簡単に飲み水を確保できます」
「……スズヤ卿……あなたは、そこまで考えて……!」
「いや実のところは、方陣がいっぱい手に入ったから、なんか使えないかなーって感じだったんですよね」
うおおっ?
突然、ビィクティアムさんに抱きつかれた。
いや、痛い、痛いですって!
力、強過ぎですって!
はぁ……苦しかった……だから、男に抱きつかれても嬉しくないって、何度も言ってるでしょう!
「おまえには、助けられてばかりだ……本当に、心から感謝する」
「もーなんですかぁ。『まだ起きてもいないこと』で、感謝されるのは変な感じです」
「……そうだな。『まだ』何もない、な」
よかった。
助けになれたみたいで。
「タクトくん、これ、量産できるの?」
「はい。方陣なんて簡単に書けますからね。なんてったって、俺『書師』ですから!」
そーだった、そーだった、とファイラスさん達にも笑顔が戻った。
「タクト、外門の工事もあるのにおまえにばかり頼むことになってしまうが、この『
「はい、材料はたっぷりありますから、いくらでも。あ、でも頑張るのでちょっとはご褒美欲しいです」
「なんでも言え! なんだって用意してやるぞ!」
さっすが、ビィクティアムさん太っ腹ぁー!
それでは後日、お願いに上がります、と言って俺は中央広場をあとにした。
青硝子、量産しとかなくっちゃな!
スイーツ用の硝子食器も作ろうっと!
その後の教会にて 〉〉〉〉
「雨が降り始めました、どうぞ中へ」
「ああ……ふぅ……」
「長官?」
「すまん、ちょっと、安心して、気が抜けた」
「俺達もです。なんか、ほっとしちゃいましたよ」
「本当ですね……タクトくんは、凄いなぁ」
「方陣は『魔法としては弱い』『一度しか発動できない』『質が高くない』と決めつけていた……俺の頭が固かった、ということだな」
「普通だと思いますよ、長官。タクトくんの考え方は『常識的』ではないですから」
「だが、毎回毎回、あいつに救われている。この町を本当に守っているのは、タクトの魔法だろう」
「セラフィエムス卿、あなた方衛兵隊が動いてくださっているからこそです」
「ありがとう、テルウェスト司祭。その言葉は何よりも嬉しい……よし、タクトが方陣を描いた不銹鋼を作ったら、魔力は衛兵隊で入れるぞ」
「はい!」
「そうですね! タクトくんだけに負担はかけられません」
「方陣への魔力注入なら、俺達でもできますしね!」
「あの、我々もお手伝いして宜しいですか?」
「……神官の皆様も……?」
「はい! 是非とも!」
「この町はわたくし達の護る町でもあります。できることがあるのでしたら協力させて欲しいです」
「私からもお願いいたします、セラフィエムス卿」
「テルウェスト司祭……神官の皆様のご助力がいただけるのでしたら、これ以上のことはありません。あなた方の魔力をお貸し願えますか?」
「ええ、勿論です!」
「それじゃ俺達、タクトくんにそのことを伝えてきますよ」
「『縹色の泉』は俺達が教会へお持ちしますので、よろしくお願いします!」
「ありがとうございます、衛兵隊の皆様」
「それにしても、あの冒険者か……どこの国の者だったか?」
「今はもう『皇国の魔法師』ですよ、セラフィエムス卿」
「ご存知なのか、テルウェスト司祭」
「セレステの教会司祭から連絡がございました。方陣魔法師である冒険者がスズヤ卿の推薦でセレステにて帰化、セラフィラント在籍となった……と」
「あいつの、推薦?」
「ええ。どうやらスズヤ卿はその冒険者に『依頼』をするために帰化を勧めたとか……確か、ガイエスといいましたか、彼」
「えええっ? ガイエスくん? あ、そういえば方陣魔法師だったな……」
「知ってるのか? ファイラス」
「はい。あの『毒貝』の事件の実行犯を捕まえた時に、協力してくれた魔法師です。凄かったですよ、方陣門の展開も早かったし、麻痺の魔法まで使える手練れでした」
「その魔法師を帰化させたのか。たいした慧眼だ。そいつが持っていた方陣というのであれば、相当なものなのだろうな。しかも、タクトが手直ししているとなれば、魔法が安定して強力なのも当然か」
「なんでも『特別派遣採掘員』とかで、各地で『鉱石』を採取して欲しいから、と推薦状に書かれていたそうです」
「そうか、それでシュリィイーレ以外で帰化させたのか」
「そーですね、シュリィイーレ在籍だと、移動に制限が付きそうですしね」
「でも、スズヤ卿はどうして態々、冒険者にそのような依頼をなさったのでございましょう?」
「タクトは『錆山に存在しない鉱石』の存在を知っているから、だろうな」
「錆山に……ない? そんなものがあるのですか?」
「ああ、おそらく。俺もそんなものがあるとは思っていなかった。『シュリィイーレには全てがある』と誰もが思っている。しかし、タクトは『それ以外の物の存在を知っている』んだ」
「……『神の叡智』……でございますか?」
「俺はその一端だと思っているが、タクト自身にとっては『当たり前の知識』なんだろう。この町と俺達は、いつもそれに助けられている」
「ホント、タクトくんの『当たり前』は、範囲が広過ぎですよ。だから対価が豆だったり魚だったり……しかも、それを使った料理を食堂で出しているんですよ? あんなに安価で、美味しいものにして!」
「そうだな、いつも食べ物ばっかりだなぁ、そういえば。今度も絶対に食材だろうな」
「僕もそう思います。法制省院が対価が安過ぎだから、もっと要求を聞いて来いって、まだ言って来るんですよ……」
「何が欲しいって?」
「貝と大豆と葡萄と、ちょっと珍しい南の方の果物……でしたが、それは皇国内でまだみつからなくって、それが無理ならあっちこっちの鉱石って」
「そりゃ、法制省院が頭を抱える訳だな」
「あの……もしかして、スズヤ卿への功績の褒賞というのは……いつも、セラフィエムス卿から?」
「殆どが俺からの依頼ですからね。魔法師に対して申し訳ないと思うものもありますし……それに、タクトにはセラフィラントにとっても、利のある物を提供してもらっているのだから、当然ですよ」
「左様で、ございますか……」
「そういえば、さっき聖堂にあった『光の苑球』、綺麗でしたねぇー。うちの兄がいたく感激していましたよ」
「スズヤ卿からのいただき物でございます。ここで多くの方にご覧いただければ、と」
「珊瑚が使われていたな。あいつ、褒賞品をああも惜しげなく……欲がなさ過ぎるのも考えものだ」
「わたくし共も驚きました」
「あんなクズ珊瑚で、あれほど美しい物ができあがるとは思ってもいなかった。その内『宝具師』の職位も神々から賜るのではないか?」
「今度の『縹色の泉』も、絶対に宝具級のものですからね」
「これ以上、褒賞品をばらまくような真似だけは、止めておけと言っておいた方がいいかもな。まぁ……あいつは、この町で使ってもらえるなら構わない、とか言いそうだが」
「長官、水瓶設置場所の候補を調べておきますね。あと、一般向けをどれくらい用意したらいいかも、試算を出しておきます」
「そうだな。販売するのは各外門事務所にしろ。災害用だから、なるべく多い方がいい。売上げの六割は、タクトに入るようにしておいてくれ。頼むぞ、ファイラス」
「はい、了解です!」
「教会の皆様方、方陣門使用、感謝する。いろいろ騒がせてすまなかったな」
「いいえ、セラフィエムス卿。これからも、なんなりと。我々もこのシュリィイーレを守る一翼となれれば、と」
「今でも充分ですよ。あなた方は、この町の人々の心を支えてくださっている。それでは、後日改めて『縹色の泉』をお持ちする時に」
「はい。よろしくお願いいたします」
◇◆◇
「……まさか、あの噂が本当だったとは」
「はい、驚愕いたしました……王都からも陛下からも、スズヤ卿に対して『何もなかった』……なんて」
「すべて、セラフィエムス卿が私財で賄っていらっしゃるなんて、思ってもいませんでした」
「セラフィエムス卿の私財と解っているから、スズヤ卿もそのような食材などで遠慮なさっていたのでは……?」
「そうかもしれません。しかも、その『褒賞』でさえ、全てこの町の方々へと還元されている」
「あの食堂の食事は、それほどの食材を使っていらっしゃるのに、もの凄く安いですよね……」
「確かにセラフィラントから贈られる物が多いとは思っておりましたが、少なくともその代金などは王都から出ているものとばかり……」
「王都も陛下も、この町を守ってくださっている方々に対して、全く報いる気がない、ということでございますね」
「……実は……私の友人が王都の近衛におりまして……耳を疑うようなことを聞いたのです」
「スズヤ卿に関してですか?」
「はい。陛下が『スズヤ卿へのイスグロリエスト大綬章の宝具下賜を、全く考えてはいなかったようだ』と。セラフィエムス卿が口に出さなければ、そのままやり過ごすおつもりだったのでは、とも」
「あの『正典』への褒賞を? 『考えていなかった』?」
「流石にそれはあり得ないと思っておりましたが、こうまで……色々ございますと……本当なのではと思えてしまって」
「そ、それについては……わたくしも……親戚の者が、陛下がスズヤ卿に褒賞をお渡しになった後に『もうこのようなことは懲り懲りだ』と仰有ったのを聞いたと……」
「なんと……」
「褒賞をお与えになることが『懲り懲り』と?」
「……信じられない……それが、それが陛下の本心なのか?」
「陛下は、王都はシュリィイーレをどこまで蔑ろになさるおつもりなのだ……ここは『直轄地』ではなかったのか?」
「セラフィエムス卿も仰有っておられた。今この町を守っているのは、スズヤ卿の魔法である、と」
「ええ、それとセラフィエムス卿率いる衛兵隊の方々です。皇家は……何もしてくださってはいない」
(この町は『神々の魔法』で守られている。決して、皇家の魔法ではない……!)
(このままでいいはずがない。絶対に)
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