第337話 ルリーゴ、解析

 病院と言えば、爺さん婆さんで午前中から混んでるイメージだったのだが、まったく患者はいなかった。

 それもそのはず、本日の午前中は外来患者は受付しておらず、衛兵隊の各詰め所へと往診に行っているのだそうだ。


 まぁ、健康チェックみたいなものだ。

 これは衛兵隊指定病院のいくつかだけで、他ではやはりご高齢の方々の社交場(?)となっているみたいである。

 で、病院には研究中のメイリーンさんや、他の薬師さん、看護士さんが数名残っている。


「……その様子だと、あまり芳しくないのかな?」


 通された応接室に来てくれたメイリーンさんの雰囲気が、朝からどんよりとしているのである。

 初夏の明るい日差しとは対照的に、まるでツンドラの曇り空ようである。


「どんどん、酸っぱく、なるの……」

 どうやら魔法が強くかかればかかるほど、酸味がアップするようである。

 クエン酸サイクルの高速化が止めどない……


 俺はルリーゴと味覚修飾物質について説明する。

 お、メイリーンさんの目に光が戻ったぞ。


「味の感じ方が、変わる……?」

「そう。酸味を甘みとして感じるんだ。でも、そんなに長い時間はもたない」

 俺はルリーゴの実を囓ってもらい、舌の上に擦り付けるように、と教える。

 そして、改良版の激烈に酸っぱいエナドリを飲んでもらうと……


「ふぁっ? 甘い……! 嘘っ!」

「どう? 効果はちゃんと変わらないかな?」

「うん、多分……あ、ちょっと、アエリアさん、呼んでくる!」


 そう言ってメイリーンさんが連れてきたのは、明らかにお疲れ気味の看護士アエリアさんだ。

 お子さんがまだ小さくて、育児疲れが半端ないらしい。

 だが、勧められたエナドリを見て、明らかに尻込みをしている。

 もしかしたら、前にも飲んで大変なことになっちゃったのかもなぁ。


「え、えっと、お気持ちは嬉しいのだけれど、そのぉ、それは、ちょっと……」

「大丈夫! 酸っぱくないから! 先にこれを、舌に付けてみて」


 半信半疑のアエリアさんだが、メイリーンさんの迫力に押されて渋々ルリーゴを口に入れる。

 そして……おそるおそるエナドリを飲んでみると……?


「……甘い」


 お、メイリーンさんが無言で小さくガッツポーズ。

 そして、ゴクゴクと飲み干すアエリアさん。

 最後にちょっとだけ酸っぱさがあったのか、喉を押さえてる。

 ……口の中で広げるのに、ひと工夫必要かも。


「身体の具合、どう?」

「……うん、肩が軽くなった。それになんだか怠かったのが、抜けてきた。うん、これ、いいね! 凄く、身体が楽になるよ!」


 おおおっ、なんという即効性!

 流石ターボ全開。

 アエリアさんはまるでスキップでもしそうなくらい、軽快な足取りで戻って行った。


「タクトくん! ありがとうっ! これ、分析するっ!」

「それについては、ちょっと『視て』欲しいものがあるんだ」

「?」


 俺は『タンパク質』というものがあり、この味覚修飾物質がその一種で、それを見られる道具を作ってみたと話す。


「……『見える』の?」

「見えた方が、メイリーンさんが『知覚』できた方が、解析と精製が早いと思うんだ。どうかな?」

「うん! 見えたら、分析もすぐできるし、取り出すことも、簡単!」


 それでは……と、俺は持ってきた『顕微鏡』と『視界共有レンズ』を取り出す。


 まずは顕微鏡。

 ルリーゴをセットして、覗いてもらう。

「どう?」

「うわぁ……こんなに小さいものがいっぱい。そっか、こういうのが集まってできてるのかぁ……」

「味覚修飾物質に、ちょっと色をつけてみるね」


 俺は、緑っぽくクルクリンだけを着色するように【彩色魔法】を使ってみた。

 ここで、一旦分析してみる、と、メイリーンさんがクルクリン抽出にトライ。


 シャーレのようなものにルリーゴを入れ、魔法を展開している。

 へえ……なんて綺麗なエメラルドカラーの魔法なんだろう……

 母さんの【調理魔法】とも、全然違う緑色なんだなぁ。


「ど、どうかな? ちゃんと、取り出されているかな?」

 メイリーンさんに差し出された物を視ると、取り出せているものもあるけど違うものと混じったままのものもある。

 そして、まだルリーゴにはクルクリンが随分と多く残っていた。


 やはり、色づけしたためか、顕微鏡の精度の問題か、はたまた『見る』のではなく『視る』方がより『知覚』ができるのか……


 結果を伝えると、メイリーンさんは悔しそうに俯く。

「そっかぁ……やっぱり、まだちょっと、理解できていないのかも……何度も見れば、大丈夫かな?」

 やはり魔力不足で倒れる未来がチラつくので、俺が取りだした『クルクリン』だけをもう一度、魔法顕微鏡で見てもらって再チャレンジ!


 うーむ……さっきよりはかなり分離できているが、やはりタンパク質というものは『見る』だけではその物に辿り着けないのだろう。

 いくら魔法でも、視覚だけでは限界があるのかもしれない。


「ありがと、タクトくん。これを繰り返していけば、絶対に、ちゃんと、分けられるようになる」

 なんて頑張り屋さんで素敵な人なんだ……でも、この顕微鏡でのやり方では繰り返し見ても難しいかも。


「その前に、もうひとつ試してもいい?」


 では、次は視界共有レンズだ。

 俺自身がタンパク質を『視る』ことができるという説明をした。

 まぁ……『神眼』の『真態看取』は『目』で捕らえている訳ではないっぽいので、正確には違うんだろうけど。

 そして、俺の視たものをそのままメイリーンさんに見せられると思う、と。


「俺が『視た』ものの知覚情報が、こちらの青い石に魔法で送られる。それをこの磁石が鮮明化して、もう片方の紫の石……メイリーンさんの瞳の色の石で拡大されて、メイリーンさん自身に『視える』ようになる。つまり、一時的に俺の視界を使って『投影の魔眼』ができるようになるって……感じかな?」


 いや、多分厳密には違う……

 だけど、これ以上の適切な説明がイマイチ思いつかない。

 俺は映像特化で青硝子に送っているつもりだったのだが、神眼での『真態看取』の場合はどうやら違うということが解っている。


『見える』と『視える』は違うから、映像と共にかなりの情報も含まれている。

 ただ、その情報が『ルリーゴの中のものだけ』であれば問題ないし、むしろその方が良いのでは? と思ったのだ。

『見る』と『視る』の違いを、魔眼でない人に説明するの、難しい!


 ただ、問題はその全てを映像と共にメイリーンさんに伝えられるかどうか、メイリーンさんの魔法がその情報まで理解できるかどうか……なのである。

 ハイビジョンで放送発信しても、受信できるテレビがないと意味がない……ってことなのだ。

【調薬魔法】の説明にはそんなことまでは書かれていないので、どこまで神斎術での情報を伝えられるか。


「凄い……そんな、道具まで作っちゃうなんて……」

「でも、これは長時間は無理。それと、俺とメイリーンさんにしか使えないし、俺からメイリーンさんへの一方通行。メイリーンさんが拒絶したら、視えない。それと、メイリーンさんの魔力も、さっきの顕微鏡よりは多めに必要なんだ。大丈夫かな?」

「平気! 魔力量は、朝なら二千五百くらいはあるから!」


 おお、なかなか高い魔力量だ。

 それなら大丈夫だな。

「じゃあ、青い石の方を俺の掌に触れるように乗せて、メイリーンさんはこの紫の石に触れるように手を重ねて」

「はい」


 向き合って座り、俺は目の前におかれたルリーゴだけを見つめる。

 繋いだ手と手の中には『視界共有レンズ』。

 いや、『知覚共有』……だな。

 これって、俺自身が『顕微鏡』ってことかな?

 どうか、俺の『神眼顕微鏡』が、タンパク質の『情報全て』をメイリーンさんに伝えることができますように!

 さあ……上手くいくかどうか!


「メイリーンさん、目を瞑って。今……俺は魔法でルリーゴの『タンパク質』を視ている。視える?」

「見える……! さっきのより、ずっと、ずっと、細かく見えるよ! こんな風に『視える』の、初めて!」

「どれが『味覚修飾をするタンパク質』か判る?」

「うん、さっき取り出したもの、一度、魔法で確認してるから……うわぁ……綺麗!こんなに複雑な……あ、でも、うん……タクトくん、もう少しだけ、動かないで……覚えるから『タクトくんが知覚しているもの』全部……」


 なんとか瞬きせずに見つめていられるのは、一分程度だ。

「……うんっ! 覚えたっ!」

 え、凄ぇな。


 理解と言うより、丸暗記?

 でもその方が効率良いのかな?

 そういう魔法があるのかな?

 天才だなっ!

 その魔法、なんなのか教えて欲しい……


「ふあっ、もう限界かも」

 俺は首を上げ、瞬きを繰り返す。


「はぁぁぁー……凄かったぁ……タクトくんには、あんな風に『視える』んだね。えーと、タンパク質?」

「ごめん、この魔法、俺が瞬きしちゃうと切れちゃうんだよね。ちゃんと視えてた?」

「勿論! もう一回、分解してみるね。分けられたかどうか、タクトくん、確認してね」


 そしてまた、エメラルドの光がルリーゴを包む。

 さっきより鮮やかに視えるのは、彼女の自信の表れだろうか。

 メイリーンさんの魔法が、完全に『記憶』できたってことなんだろうか。


「多分、できたと思う。タクトくん、視てみて」


 どれどれ、とメイリーンさんの隣から覗き込む。

 おおおーー!

 これは素晴らしい!


 メイリーンさんの魔法のキラキラを残したまま、クルクリンが綺麗に整列している!

 しかも、まったく無駄なくすべて取り出せている。

「……うん! 凄い、しっかり分離できているよ!」


 俺がそう言って振り向いた瞬間、メイリーンさんに抱きつかれた。

 これは……抱きしめ返していいんだよ、ね?

 などと逡巡している間に、ばっ、と離されてしまった。

 そっか、感激のあまり抱きついちゃっただけ……なのか。

 ちょっと顔が赤い。

 可愛い。


「タクトくん! あたし、頑張る!」

「おお、頑張れっ!」


 思わず反射的にそう答えてしまったが、なんだろう、選手とコーチ? みたいな。

 オリンピックでも目指しそうな勢いで、メイリーンさんはルリーゴと取りだしたクルクリンを持って、研究室へと走っていった。

 ……倒れない程度に、ね。


 そして、机の上に残された『知覚共有レンズ』は……役目を全うしたからか、ぱっきりとふたつに割れていた。


 やっぱり神斎術を支えるには、どの素材も弱すぎたよね。

 一分もっただけでも、頑張った方だろう。

 これは持って帰って、別のモノに再利用……だな。


 魔法顕微鏡は……もう少し改良したら、これからも別の用途で使ってもらえるかもしれない。

 こういう道具って、魔法がある人だからこそ使って欲しいものだよね。

 きっと、そういう人達が『肉眼で見えないもの』を道具を使って見ることができるようになったら、飛躍的に医療が進歩しそうだよなぁ。



 さてと、お腹空いちゃったから、お家に帰ろうか。

 早くメイリーンさんから、いい知らせが聞けるといいな。

 あ、お菓子、いっぱい作って夕方、届けてあげよう。

 絶対に、頑張り過ぎちゃうはずだ。

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