第333話 よい靴は幸運を運ぶ

「ごめん、び、びっくり、しちゃって」

 やっと落ち着いたこの職人さん、エトーデルさんは去年の夏にこの町に来たのだそうだ。

 ロンデェエストの北側の出身らしいが、父親と一緒に旅をしてあちこち回っていたのだとか。

 その後結婚して、ルシェルス領の一番南・トーライルの町で革職人をしていたらしい。


 確か、トーライルって、珊瑚礁を見に行った海に近い町だよな。

 そうか、ゴムはルシェルスではよく使われる素材なのか。

 あの辺にあるのかな?


「へぇ……そんな遠くから」

「凄く、明るくて、か、活気のある町なんだけど……僕には、ちょっと……」


 南の方は陽気な方が多いみたいで、ノリについて行けなかった……ってことみたいだ。

 そしてどうやら……奥さんには、逃げられちゃったらしい。


「すみません……なんか言いにくいことを……」

「い、いや、全然! 彼女は……陽気で、人付き合いの好きな人で、僕みたいなのには……」


 まぁ、性格の不一致というのは、どこででもあることですよね……

 しかもこのエトーデルさん、ロンデェエストに戻ろうとして間違えて馬車に乗ってしまい、シュリィイーレに来ちゃったんだとか。


 その後あの大雪で閉じ込められて、蓄えも底をついてきてここで稼がないと……と、十日ほど前にこの場所を借りて、営業を始めたばかりらしい。


「き、君の所で、去年食べたショコラ・タクトが、もの凄く、美味しくて、ね。ロンデェエストに帰ったって、誰もいないし、ここで、暮らしてもいいかなって」

 俺のスイーツで生きる場所を決めてくださったとか……重い、けど……嬉しい。

 この天才の琴線に触れることができたってことが、めっちゃ感激だ。


「この靴、本当に素晴らしいです。履いて帰ってもいいですか?」

「ああっ! 勿論だよ! う、う、嬉しいなぁっ!」

「今、ショコラ・タクトは出していませんけど、他にも沢山お菓子作っていますから是非食べに来てくださいね!」


「うんっ、うんっ、絶対に行くよ! あ……そ、それと、その、履いてた靴、直した方がいいと、思うんだ。革が、随分すり切れてるし」

「直せるなら、是非お願いしたいです。やっぱり愛着あるし。あと、他にも西の森でぬかるんだ所も歩くのでそれ用の靴とか、正装用のものもお願いしたいんですが」

「うん、そ、そうだね、用途で靴を取り替えるのは、いい。凄く、いいよ。君の足形を、ちゃんと取ったから、作って持っていくよ」


 やったーーっ!

 あっちの世界でも靴はいつももの凄く悩んで、結局安物買いをして三足のうち二足は失敗していたから、オーダーメイドでちゃんと作ってもらえる靴は本当に嬉しい!

 いくら魔法で強化とか防水ができるっていっても、やっぱり靴は場所によって履き替えたいよね。



 エトーデルさんという最高の靴職人に作ってもらった靴を履いてうちに帰ると、母さんがもの凄く食い付いてきた。

 どうやら母さんも、靴には悩んでいたらしい。

 立ち仕事だもんな。

 靴は大切だよ。


 エトーデルさんのことを教えてあげたら、父さんとふたりで行ってくる! と……お出かけ支度を始めた。

 え?

 これからランチタイムですけど?


「大丈夫! 料理はできてるから、盛りつけて運ぶだけ!」

 そう言って、母さんと父さんはいそいそと出かけてしまった……

 ……えええええーーっ?


 そしてこういう日に限って、お客さんが多いんだよ!

 盛りつけては運び、運んでは下げ、そして盛りつけ……

 パンのおかわりまで、いつもより多い気がするっ!


 厨房と食堂の行ったり来たりで、ゴムがついてる靴の切れのいいステップが冴えまくりですよ!

 雨の日の床でも、全然滑りませんよ!


 まぁ、うちの床は魔法付与されててすぐに乾くから、さほど影響はないんだけどね。

 こんなにも方向転換クイックターンが容易で、しかも中で足がずれないから余分な力がかからなくて疲れにくい。


 素晴らしくいい靴なのだが、だからってこんなに忙しくなくてもよくないか?

 本当に忙しいぞ、ランチタイム。

 ……俺が出掛けている時は、こんな感じなんだね。

 ごめんね、母さん……


 そして怒濤のランチタイムからスイーツタイムの終了間際、にっこにこの父さんと母さんが戻ってきたのは客の波が引いた頃。


 そーいうものだよね。

 人がいない時に限って忙しいんだよね。

 ふたりは久々のデートも満喫できたらしく、超ゴキゲンであった。

 まぁ、こんなことは滅多にないんだし、楽しかったんならいいか。



 そして翌日の昼過ぎ、俺が頼んだ全ての靴を取りそろえてエトーデルさんが現れた。

 ちょっと!

 そんなに頑張り過ぎないで!

 また倒れちゃうよ!


「な、なんか、嬉しくって、夢中に、なっちゃって」

 もー……この人の集中力、昨日まざまざと見せつけられたからなぁ。

 もしかして、ひとつひとつに集中しすぎて、沢山のお客に対応できないのかもしれない。


「そ、そうなんだ。僕は、一日に四足くらいが……限界で……」

 スイーツタイムに入っていたので、食堂で本日のシトラスムースとチョコムースを交互に重ね、生クリームにスプレーチョコを振りかけたケーキを食べてもらいながら一休みしていただくことにした。

 この生クリームは母さんが作ってくれたものだから、緑系のキラキラなのでエトーデルさんにはぴったりだ。


 持ってきてもらった靴を試し履き。

 うーん、やっぱりジャストフィット!

 この『正装用』で頼んだやつなんて、イスグロリエスト大綬章授章式典の時に王都で用意された靴より格段に良い。


「はー……さすが、エトーデルさんの靴は履き心地がいいなぁ。昨日作ってもらったこれも、滑らないし疲れないし最高ですよ」

 えへへへへ、と照れ笑いのエトーデルさんに、俺達の会話を聞いていたチェルエッラさんが声をかけてきた。


「あの……靴職人の方ですか? 私、衛兵隊資材調達担当のチェルエッラと申します」

「は、はひぃっ?」

「ごめんなさい、突然。でも、タクトくんの靴を昨日見てて、いいなぁって思っておりましたの」


 おや、チェルエッラさん、お目が高い。


「このエトーデルさんは、もの凄く腕のいい靴職人さんですよ!」

「ええ、そのようですね。今タクトくんに渡された靴……正装用のものと、こっちは滑らない靴……ですか?」

「は、はい、あの、ぬかるんだ場所、用……で、濡れた岩とかでも、滑りにくいように、です」


 緊張してて説明がいろいろ足りていないぞ、エトーデルさん……ファイト!


「実は、衛兵隊の靴は王都で作られているのですが、どうしても大きさだけで発注すると足に合わないことが多くて困っていたのです。見回りも多いですし、靴はとても重要です。この町の職人さんを捜していたのですけど、革職人さんが少なくて」


 ああ、そうだよね。

 メイリーンさんも言ってたもんな。

 この町では、革職人の工房が少な過ぎて働き口がないって。


「エトーデルさんはひとりで作っているから一度に沢山は難しいと思うけど、丁寧でもの凄く良い魔法を使って作ってくれるんですよ」

「まぁ、タクトくんが良い魔法って言うくらいなら、相当ですね。是非一度、衛兵隊の靴を作ってみていただけないかしら? 長官にお見せしてからになるけど、できれば、専属契約で作ってもらえる職人さんを捜しているのです」


「ぼぼぼ、僕で、よ、宜しいのでしたら……こ、光栄ですっ」

「よかったね! 決まった店舗や工房がある人だと専属は難しいかもしれないけど、エトーデルさんはまだ借り店舗だけだから、衛兵隊で工房を用意してもらえるかもよ」


 絶対に、ビィクティアムさんは気に入るはずだ。

 だってできあがった靴は、どれもこれもキラキラなんだから。


「それはありがたいわ! 是非、見本をお願いいたします!」

「はいいっ! で、では、明日までに……!」

「あら、無理はなさらないで。疲れない程度で、お願いしますね」


 よかった。

 俺のお菓子で引き留めちゃったエトーデルさんのこの町での仕事が軌道に乗ったら、俺としても責任が果たせたみたいな気がして嬉しい。

 でもまぁ、エトーデルさんの実力なんだけどね。

 俺がきっかけになれたってだけで、いいんだよね。


 そして翌日、エトーデルさんは倒れる寸前の状態で見本の靴を何点か仕上げたようだ。

 詰め所に行く前にうちに寄って、物販でたんまり買ったスイーツをその場で食べてからプレゼンへと向かったのである。


 当然、結果はその場で採用。

 まずは文官のお姉さま方の靴作りから、となったようだ。

 喜び勇んで報告に来てくれたエトーデルさんだが、ただ、ひとつ困ったことがあるという。


「一日に作るのは、三足までにしろって、言われてしまった……どうしよう……」

「うん、無理するなってことだよ。ちゃんと休憩とりながら、きちんと食事して眠って。それで、最高の靴を作って欲しいってことじゃないかな」

「そ、そうか、最高の。うん、頑張るよ! あ、ひ、引っ越し、しなくちゃ」


 今いる所は来月までの借り受けで、しかも北西の方らしく革が入荷する東側にはかなり遠いのだとか。


「み、南側に良い部屋があるって、衛兵隊で、教えてもらったんだよ。すぐに引っ越すから、そしたら、この食堂も近くなって、食べに来られる、ようになるよ、へへへっ」


 是非とも毎日来てくださいよ、美味しい料理とスイーツでお待ちしてますよ。

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