第306話 苺、収穫

 翌朝、ラディスさんの畑へと足取りも軽く、麗らかな春の風を感じながら歩いて行く。

 たまには転移じゃなくて、お散歩がてら歩くのもいいかと思ったのだ。

 苺の交配はどうなったのかってのも気にはなるのだが、収穫量そのものも気になる。

 上手く結実してくれているといいんだがなぁ。

 今年、俺が作っていた実験用の苺は、あんまり結実状態が良くなかったのだ。


 西市場経由でしか行ったことがなかったので、違う道を歩いているのだが……西地区は、病院が多いんだな。

 魔獣とか魔虫の被害者が多いのは、やっぱり西側なのかもしれない。

 そうなると、スピード勝負の治療が必要な場合が多いから、自然とこの地区に医者が多くなるのだろう。

 それに、西地区の方が錆山や碧の森がある北側からも来やすいしね。


「おや、タクトくんじゃないか、珍しいね」

「おはようございます、リシュリューさん。早いですね?」

 医師組合副組合長は、早出なのかな?


「そろそろ魔虫被害が出る頃だし、山開きもしたから怪我人も増えているんだよ」

 いつもより遅れていた山開きに痺れをきらしていた人々が、まだ雪の残る難易度の高い時期に山に入っており、怪我人が例年以上なのだとか。

 どうやら、魔虫被害はまだ全くないということなので安心した。

 まぁ、多分これからなんだろうが、大量発生の心配はないはずだ。


 そうだ、ちょっと気になってたことを聞いておこう。

「魔獣の血って、魔虫の解毒剤の材料なんですよね? その薬は、他のものからはできないんですか?」

 リシュリューさんは俺にそんな質問されると思わなかったのか、ちょっと吃驚したような顔をしたがすぐに答えてくれた。

「できないことはないんだけど、その土地の魔獣の血で作った薬っていうのが一番効くんだよ。魔虫の毒は地域によってかなり違いがあって、その土地の魔虫を食べている魔獣の血から作る方が効き目が強いんだ」


 なるほど。

 抗体を持っているから、か。

「その年の魔獣じゃないと、薬にならないの?」

「いや、そういう訳ではない。ただ、足りなくなって他から取り寄せたとしても他の地域の薬では効きが悪いからね。毎年必ず、作っておかなくちゃいけないんだ」

「そっか……それで、定期的に魔獣狩りに行っているのか」


 魔虫の毒消し薬は、塗り薬と飲み薬がある。

 塗り薬は応急処置的なもので、医者にかかるまでの一時しのぎみたいなものだ。

 身体から完全に毒を消すのは飲み薬であり、この世界の飲み薬は基本的には液状である。


 つまり、さほど保存可能期間が長くはないということだ。

 毒消し以外は粉薬もあるのだが、種類は多くない。

 作成過程の問題なのか、粉より液状のものの方が効き目が早く強いものが多い。

 ……いや、魔力や魔法の保持力の問題かな?


「薬に興味があるのかい?」

「少しだけ、ね。西の畑で作付を頼んでいるから、被害が出た時のことも知っておきたくて」

「そういえば、苺を作っているって聞いたよ! 今年もあるんだろう? あの『苺バニーユ』!」


『苺バニーユ』はクリームと苺をサンドするショートケーキではなく、薄目のスポンジに苺ムースをのせ、ホイップクリームをたっぷりかけて苺をトッピングしたものでクリームがメインなのだ。

 ショートケーキタイプのものは『上にも中にも苺がある』ので、苺という意味のフランス語を重ねて『苺フレィズ』。

 スポンジケーキにカスタードクリームをかけて苺を乗せたものは『苺クレマ』と、名前を分けてみた。

 今年は苺がいっぱい採れたら、これらをローテーションで提供したいのだ。

 苺パルフェも作りたいよなぁ。

 シャーベット、作ってみようかな。


「はい、勿論! もう少ししたら作れると思うので、楽しみにしててくださいね!」

「辛口カリーの日に苺バニーユという組み合わせは最高だと思うから、是非頼むよ!」

 リシュリューさんは、激辛好きの激甘好きという極端な人だ。



 今日のルートで来るとラディスさんの家の方が近いので、まずはご挨拶をしてからだ。

 扉を開けてもらった途端に……またしても、エゼルの突進を防げなかった……

 子供爆弾、マジやめて……

 避けたら怪我させちゃうし、十二歳男子の突進を受け止められるほどの安定感はないんだよ、俺には!


「ごめん、タクト兄ちゃん……」

「いや、レザムのせいじゃないから……」

「タクト! 苺が真っ赤だ! すっげー沢山できたよ!」


 お、おお……

 そいつぁよかったが……頼む、突進の後にぐわんぐわん身体を揺すらないでくれ。

 おまえ、本当、力強すぎだ。


 ふたりに引っ張られるように畑の硝子ハウスにやってくると、ラディスさんが手入れをしてくれていた。

「ああ、タクト! 丁度、呼びに行こうかって思っていたんだよ。もの凄く沢山実ったよ!」

「おおーっ! 本当に凄いですねぇ! ちゃんと土を管理してくださったおかげですよ」


 懸念していた結実状態も、もの凄く良好だ。

 俺の育てた苺より、ずっとキラキラしている!

 やっぱり、きちんとした技能持っている人が作ると違うんだなぁ。


 まずは作ってきた糖度計を使って、交配したもののデータを取っていく。

「これ、何を調べているんですか?」

「『甘さ』だよ、レザム。この石板には『果物の甘さ』を数値で調べられる魔法が組んであるんだ」


 味という個人的な好みに左右されるものを、数値化することで目安にする。

 うーん、流石にまだ、糖度は低いものが多いな。

 でも、丸みのある形が多い交配もあるぞ。


「交配で味や形が変わるから、より形がよくて、甘くなる交配のものを探していくんだ。来年作るものは、もっと甘く、綺麗な形になるからね」

「毎年、味が変わるってこと?」

「試している期間はね。安定して良い味のものが沢山採れるようになったら、うちで使う分だけじゃなくて西市場で売ってもらえるようになるしな」

「え? いいのか? そんなことをして」


 ラディスさんはできたものは全てうちだけで使うと思っていたみたいだが、良いものが沢山作れるようになったら素材として売ってくれたっていい。

「うちで必要な分より沢山採れたら、ですよ。もし収穫した日に売りに出して売れずに残ったら、うちまで持って来てくだされば買い上げます。心配しないで、たっくさん作ってください」

「……わかった! ありがとう! 頑張って美味しいものが作れるようにするよ」

 そのまま食べても美味しい苺ができあがるまでは、まだ時間が必要かもしれないけど、きっとこの家族ならできそうだ。

 データもとれたし、さぁ、収穫していこうか!



 収穫後もまだ色づいていない実が三分の一くらい残っているので、これができあがったら子株作り。

 でも実は今年はもう一回、秋に収穫できるタイミングで苺を作ってもらうのだ。

「もう一度? でも植える子株は……?」

「それは俺の家の裏で作ってました。この硝子部屋の中は温度調節などができますし、土の状態もラディスさんとレザムがしっかり管理してくれていると解ったので、是非挑戦してもらいたいんですよ」

「タクト! 俺も手伝ってるよ!」

 突進して抱きついてくるのは、こいつの癖なのか?

「お、おお、そうだな、エゼル。でもおまえには、別に頼みたいことがあるんだよ」


 ぱっ、とエゼルの表情が明るくなる。

 大雑把なように見えて、実はエゼルはかなり細かい作業に集中できるタイプだ。

 この前の受粉作業の時に、もの凄く丁寧に最後まで全く気を抜かずに作業している姿に驚いたくらいだ。


 十二歳の男子なんて、わきゃわきゃしてて当然である。

 集中力ももたずあっちこっちに手を出して、冒険的にいろいろと試したいお年頃だ。

 でも、エゼルは興味のあることになら、もの凄い集中を見せる。


「何っ? 俺に頼みって! ね?」

「これで『虫除け香』を作って欲しいんだよ」


 俺が渡したのは乾燥させた除虫菊の粉末と椨粉たぶこである。

 実はカルラスから届いた、港印章の報酬の中に入っていた五袋のうち三袋が除虫菊だったのだ。

 あの時は茉莉花ジャスミンの袋しか開けなかったから、気が付かなかった。

 これもまた、素晴らしい贈り物である。


 椨粉は『たぶの木』……別名『イヌグス』の樹皮を乾燥させて粉にしたものだ。

 お香などの繋ぎで使われる。

 この粉には乾燥させた枸櫞くえんの皮も、粉にして混ぜ込んである。

 焚いたらいい香りがするはずだ。


 椨の樹皮は東市場の、いつも俺が香辛料を買っているサラーエレさんの店で見つけた。

 染料として売られていたのだが、買う時に樺色の服は似合わないと思うよー、などと言われてしまった。

 ……着ませんよ、そういう色の服は!


「虫除け?」

「そう、夏場に畑仕事をする時は、どうしても虫が多くなるだろ? この材料で作った虫除け香は家の中でも、畑の周りでも焚いておけば虫が来なくなるから」

「家の中でも平気なの?」

「時間をかけて小さい火で燃えながら煙を出すから、窓を開けている時は窓際の足元で焚くといい。畑での作業の時もこの入れ物に入れて足首の辺りに巻いておけば虫が来なくなるよ」


『虫除け香作成キット』には、混ぜる時に使う鉢、混ぜ棒、秤、計量カップ、成形型、乾燥させるときに使うトレーがセットになっている。

 至れり尽くせりの、実用的な学習キットなのである。

 作り方を教えながら、実際にやってみる。

 エゼルは目を輝かせながらすぐに、もの凄く真剣に作り始めた。


 円錐型に作るのだが縦に貫通している穴があり、足首用の容器は支え棒をこの穴に通すことで燃えている最中でも固定できる。

 もちろん、家の中用の容器も用意してある。

 どちらも何かがあたっても不用意に触れたりしないようにカバーを付けているので、引火したり水がかかって消えてしまうことはない。


 こんなものを作らなくても【文字魔法】を使えば、簡単に虫除けの指示はできる。

 だけど、この作り方を知っているってことは、今後農作業をやるにしても、その他の場所に行くにしても役に立つのだ。

 魔法以外でもできることを、子供の頃から『知識』として増やしておくのは絶対に必要なことだ。


「おまえの作る香で、ラディスさんとレザムを、勿論、畑も護ってあげるんだ」

「うんっ! 俺、こういうの作るの大好き!」

「タクトさん……エゼルに『植物操作』があるの、知ってたの?」

「え? そうだったのか? 知らなかった……そっか、だから苺の受粉が上手かったのかもなぁ」

「それを見ただけで、できるって思ったのかい?」


 レザムとラディスさんが不思議って顔で聞いてくるけど……色々やらせてみた方がいいかなって思っただけなんだよね。

「できると思ったからって訳じゃなくて、やってみて面白いと思ってくれたらいいな、と考えただけなんですよ。子供の内は絶対に、色々なことやった方がいいと思うんですよね」


 俺が、反面教師なんですよ。

 やりたかったことがカリグラフィーだけだったから、他の人に水を向けられないとやらないことばっかりで。

 大人になってカルチャースクールで初めて見たこととか、やったことがもの凄く沢山あった。

 世界が広がると、様々なモノや価値観に触れると、文字も変わるって初めて解った。

 もっと子供の内にしかできないこともしておけばよかったって、もの凄く思ったんだよ。


「できなくたって、一度でもやろうとしたってだけでもいいと思うんです。それが沢山積み重なれば、明日にはもっと色々なことができるようになるんじゃないかって、お気楽に期待しているんです」


 じゃあ俺も沢山やってみよう! と言うレザムと、そうだな一緒にやるか、と息子の頭を撫でるラディスさん。

 このご家族はきっと、俺の期待以上のことをしてくれるに違いない。

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