第302話 貴族の条件

 刺身を平らげた後、デザートのカフェジェリを甘いクリームたっぷりで食べながらビィクティアムさんが呟く。

「婚約者がいるとか、いないとかまで関係あるのか?」

「ええ、多分」

「それなら、もうすぐ価値は暴落するな」

「は?」

「昨日付けで、婚約者を迎えた。正式な手続きの完了には、ひと月ほどかかるが」


 はいぃぃぃぃ?


「それ……俺なんかに言っちゃっていいんですか?」

「ああ、今日の昼過ぎに発表になったからな」


 俺が忙しくって、知らなかった情報ってことですね。

「おめでとうございます。でも、婚約だけなんですか?」

 もう充分結婚できる年齢なのに。

「当たり前だろ? まだ子供がいないのに、結婚なんかできないだろう」


 ……当たり前じゃないっす。

 え?

 結婚より子供が先なの?

「そうか、十八家門と皇家は……その他の者達と婚姻の条件が違うからな」

 俺が余程不思議そうな顔をしていたからか、思い出したかのように説明をしてくれる。



 まず、皇家と十八家門は家門の『絶対遵守の家系魔法』と『聖魔法』の両方が顕現した、血統を厳守し続けている直系の者だけが嫡子となれる。

 その嫡子の婚姻のみ、かなり特殊なのだそうだ。


『血統を厳守している』とは、必ず現当主と正当な配偶者との間に生まれた実子であること。

 正当な配偶者とは、同じく血統を厳守している皇家、または十八家門の者で、家系の魔法または聖魔法を顕現させている婚約者のこと。


 なので本来であれば従者の家系から婚約者は選ばれないが、従者家系と親密になるためにとひとりは婚約者が選ばれるのだそうだ。

 その者との間に子供ができれば『配偶者』にはなれるらしいが、その子供は嫡子にはなれない。


「……『ひとりは』?」

「ああ、婚約者と配偶者は三人まで持てるからな。男系であれば妻を三人、女系であれば夫を三人……だ」


 一夫多妻で一妻多夫……?

 これは全然、常識が違う。


「全部、魔法を守るためなんですか?」

「そうだ。必要なのは『魔法』と『血統』だ。血統が厳守されなければ、この国に必要な魔法が失われてしまう。そのためだけの……婚姻だからな」


 好きな人と家族になるためではなく、愛する人と一緒に暮らすためでもない『婚姻』。

 十八家門の魔法は、確かに絶対に失われてはいけないものだと知っている。


 このイスグロリエスト皇国を覆っている魔獣などを寄せ付けないようにする結界や、もし襲ってきた時に対抗する強大な攻撃魔法をその血統が維持しているのだ。

 必要なのは『名前』ではなく『血統』だから、養子や家系の魔法を持っていない者は絶対に家門を継げないということだ。


 その魔法がなくなってしまったら、この国の人々も周辺国家と同じように魔獣が跋扈する命の危険が倍増した地で暮らすことになる。

 周辺国のように作物の実りも海からの恵みも激減した状態で、心も体も疲弊し荒んでいくだろう。

 そして、ガウリエスタのように砂漠化してして行くか、国中に迷宮ができてしまうヘストレスティア共和国のようになっていくだろう。


 そのことをこの国の臣民達は、よく知っている。

 だから、十八家門と皇家には最大の敬意を払うのだ。

 この国のために自ら人としての幸福のためではなく、この国の一部となって生きると決めてくれた人達だから。


「嫡子の婚約者は、一切外部と接触できなくなる。そして、女性は女性達だけと、男性は男性達だけと暮らすことになり、絶対に婚約者以外の異性と同じ場所にいてはならない」

「……他の人との子供を作らせないため?」

「そうだ。そして、婚約から二十年の間にひとりも子供が生まれなければ、婚約自体が解消される。そうなれば実家にも帰れるし、何処の誰と関わろうと自由になる。だが、十八家門と皇家の嫡子とは、公的な場以外では二度と接触できなくなる」

「二十年間……」


「だから、嫡子の婚約者は立候補制なんだよ。自ら、この制約を絶対に護ると誓う者達だけの中からしか選べない」

 うわー、人気なかったら可哀想……あ、でも、大貴族ってみんなルックスは悪くないんだよな。


 それにしたって複数の婚約者がいたら、修羅場になったりしないのか?

 後宮のどろどろな感じとか、大奥みたいにさ。

 だが、どうやら婚約者同士は絶対に顔を合わせないらしい。


『子供ができていない婚約者』という存在が公の場に出ることはなく、自分の侍従達以外とは絶対に顔を合わせない。

『箱庭』のように区切られた別邸で暮らすのだとか。

 そして、その別邸と箱庭は各婚約者毎にひとつずつ、徒歩でなど訪問できないくらい離れた場所に建てられているらしい。

『箱庭』はまるで、牢獄のようだな……と思わずにはいられない。

「婚約成立した時点で、もう自由に外出もできなくなるのを納得してる人だけってことなんですね……大変ですね、大貴族の婚約者」


 そうなんだよな、と溜息をつきながらビィクティアムさんは少し俯く。

「子供ができれば、いいんだが、魔力量に差がありすぎるとできにくい……と言われててな。今までは俺が少なすぎて、今は……逆の意味で、なかなか決められなかったんだが」

 そ、そうなのか……

 てことは、俺とメイリーンさんも子供はできにくいのか?

 夫婦ふたりでいつまでもいちゃいちゃってのもいいけど、やっぱり子供は欲しいよなー。


「どうしたって、婚姻はしなくてはならない。なら、好きな人の方がいいからな」


 へぇ……

 好きな人に立候補してもらえた……と。

 なるほどー。

 心から、ご婚約おめでとうございます、と言って良い状況のようだ。


「だが、本当にその人を想うのであれば、子供などできない方がいいのかもしれん」

 ビィクティアムさんが悲しそうな笑顔でそう言う、


 子供が生まれたら、婚約者と正式に結婚する。

 だが、その配偶者は本邸で一緒に暮らせるわけではないのだ。

 ……そこには異性がいるから。


 今まで通り、妻であれば女性達だけと、夫であれば男性達だけと別邸で暮らす。

 子供も同性の子供は成人しても一緒にいられるが、異性、つまり、嫡子となる可能性のある子供とは、五歳までしか共に暮らすことはできない。

 そして、その後も異性の子供とは、配偶者と一緒でなければ会えないらしい。

 一緒に暮らせるようになるのは、領主の座を次代に渡した後か、年齢を重ね子供をつくることができなくなってから……だそうだ。


 その時は当主の暮らす本邸ではなく、全く別の場所に邸宅を構えるそうである。

 ……どの『配偶者』と一緒に暮らすかは……きっと大きな問題になったりするのだろうが、もう魔法も血統も受け継がれてしまっているので誰からも制約を受けることはないから、当人達同志で解決するのだそうだ。

 これは……なかなか老後の方がヘビーかもしれない。


「配偶者と一緒に過ごすのは、その……夜、だけなんですか? その時は本邸に来るから、子供にも会えるんじゃ?」

 俺の疑問に、ビィクティアムさんは首を振る。

「本邸には入れない。本邸にいるのも男系ならば男性だけ、女系ならば女性だけだからな。異性のただ中に来させることなどできない」


 つまり、嫡子の方も家では全く異性に触れることも、会話をすることもないのだ。

 そういえば、皇宮に行ったときも侍従は全員男性だったな……

 そっか、使用人も近衛も全員同性だけなんだ。

 外出時には必ず複数の『お目付役』がいるそうなので、ひとりになることはできないのだそうだ。

 こちらも……虜囚のようだと思わざるを得ない。


 あれ?

 てことは、ビィクティアムさんにもいるんだよね?

『お目付役』……誰?

 隠密的に影に隠れているとか?



 閨の交渉は別邸とは別にある専用の邸宅で行われ、その中に入れるのは共に過ごすふたりだけ……らしい。

「そこには使用人もいないから、一日中そこにいる、ということは少ないようだな。食事などを持ち込んでいれば、別だが」


 どうやら、この辺りの制約が近年厳しくなったらしく扉も窓もない、外に出られない造りの邸宅へ移動するのだそうだ。

 方陣門でのみの移動なので、登録した者だけしか通れないという。


「……そこまで……管理されるんですか?」

「過ちを犯さないためだ。絶対に、婚約者、配偶者以外の者との間に子供を作ってはいけない」

「……もしも、婚約者や配偶者以外の人を好きになってしまって、どうしても一緒になりたかったら?」

 血統のために引き裂かれるのだろうか?

「一緒になれないわけではないよ。ただ、そうしたいのであれば『貴族でも皇族でもなくなる』だけだ」


 下位貴族や臣民と恋に落ちてもいい、契りを結ぶことも構わない。

 だが、そうするためには『全てを捨てる』しかないということだ。

 血統を裏切り、国を守ることを放棄し、責任を負うことを投げ出すのだから、それを全て担っている者達と同等に扱うことはできない。

 当然だ。


 家門からは完全に除名され、顕現していた血統による家門の魔法と聖魔法は強制的に閉じられ、騎士位を獲得していたとしても無効となり、名前も変えてただの『臣民』になれば、可能なのだ。

 そして家門の魔法がなくなってしまうせいか、二度と子供ができなくなるのだという。

 そんなことに耐えられるような貴族など滅多にいやしない、とビィクティアムさんは暗く微笑む。

『滅多に』ということは……かつて、いた事があるのだろう。

 そこまでしても愛する人と暮らしたいと願った、大貴族の嫡子が。


「ああ、いたな。女系家門で、当主になったばかりの女性だった。愛する人ができた……と家も子供も捨て、その男の元に走って……全てをなくし臣民となった。だが、その男とは、一緒になれなかったんだよ」

 え?

 幸せに暮らしました、じゃないのか。


「相手の男にしたら、とんでもないことをしたって思うだろう? 十八家門の当主を惑わせ、この国に絶対に欠くことのできぬ魔法を失わせたのだから。何処に行っても誰に会っても非難しかされない。恨み言を言われ、石を投げられる一生を送らねばならない。誰からも、祝福も歓迎もしてもらえない配偶者を迎えるなんてできっこない。この国の全てを敵に回す大恋愛なんて……幸せになれると思うか?」


 御伽噺のように、平民が貴族と一緒になってめでたしめでたし……なんてものは、この国では存在しないのだ。

 どちらも全てをなくす。

「その、臣民になった元ご当主はどうなったんですか?」

「男に見捨てられたすぐ後に……遺体で発見された。犯人は解らなかった。全身の骨が折れ、かなり酷い状態だったそうだから『神々を裏切った神罰によって死んだ』と噂されたようだ」


 なんとなく、その元当主を追い詰め、殺したのは……その領地の臣民達ではないか、と思ってしまった。

 神々から与えられた国と民を護る役目とその魔法を捨てて、自分勝手に生きようとした者への身勝手な復讐。

 信仰にも似た敬意は、裏返せば何よりも強い憎悪になる。

 裏切られたと思った臣民が、そのような暴挙に出たとしても不思議なことではない。


 そしてどうやら、その男も……すぐに亡くなってしまったようだ。

 死因は『撲殺』。

 犯人は不明のまま。


 ちゃんと調べられなかったのは、死んだのが『臣民』だったせいもあるのだろう。

 貴族達だって許せなかったはずだ。

 一時の感情で護るべきものの全てを放棄した者が、自分たちと同じ貴族の中にいたことが絶対に許せなかっただろう。

 その責任を放棄させてしまうほどの恋仲になったくせに、我が身可愛さに彼女を切り捨てた男のことも、絶対に。

 だとすれば、彼らの死など憂うことも嘆くこともなかっただろう。

 ……身内でさえ。


「その後……その家門は大変だったでしょうね」

「ああ、新しく当主を立てるにしても、その時の嫡子は五十になったばかりで結婚して子供はいたが、まだ血統魔法も聖魔法も出ていない赤ん坊だったからな」

「……そういえば、子供に聖魔法が出ないと、当主になれないって言ってましたっけ」

「そうだ。嫡子と定められた者の実子に、絶対遵守の血統魔法と聖魔法の両方が顕現した次期嫡子となれる者ができない限り、家門を継ぐことはできない。その家門では成長したその子に聖魔法が顕現するまでの三十五年間、空位だった」


 でも、その子供に家門の魔法と聖魔法が出て良かったよな……

 もしそうでなかったら、空位の期間が更に長くなったんだろう。

 そうしたら……本当に結界を維持できなくなって、大変な事態だったかもしれないよな。


「その間に全ての従者の家系がその家門から離れ、孤立してしまったが……あとを継いだ当主とその次期当主が傑物で、今ではすっかり持ち直している。相変わらず、従者は持っていないがな」

「当主が選んで任命するんですか? 従者って」

「そういうこともできるが、指名しても断られることもある。こっちも立候補してもらえないと、なかなか決まらないな。そのせいで従者欲しさに勝手に叙爵して下位貴族として扱うなどということをした、馬鹿な当主もいたくらいだ。従者の数も、家門の格になるからな」


 貴族の気にするその『格』ってやつ、よく解らないよねぇ……

 お貴族様ランキングには、どれほどの価値があるというのだろうか。


 俺が首を傾げるとビィクティアムさんが、近々明瞭になったモノが発表されるはずだ、と、なかなか重大な情報をぶっ込んできた。

 その情報こそ、俺に言っちゃいけないものなのではっ?

「いや、大丈夫。おまえには、話を通しておいてくれって頼まれたからな」

「……どなたに?」

 嫌な予感がする……


「魔法法制省院省院長閣下に。第一等位輔祭・書師殿に新たに整備・制定される『魔法師法全書』『イスグロリエスト皇国法』『皇室貴族典範』の法制省院蔵書の清書を頼みたいそうだ」


 ……でかすぎる。

 国家からのご依頼なんて!

 まぁ、確かに、神典とか神話とか書きましたよ?

 でもあれはなんというか、正式なご依頼……というよりセインさんの勢いと、俺の興味から書くことになっちゃったってだけで!


 法律書とか、典範……の原典に俺の文字が使われる……と。

 ああ、いかん、なんという権威の誘惑。

 こんなこと、一生に一度だよ? と耳元で囁く妖精さんの声に、このレア感に逆らえない……


「こういう『文字を書く仕事』はどうだ?」

「う……正直、ちょっと尻込みはしていますが……書きたくないわけではなくもないというか……」

「解りづらい表現をするなよ。何か、懸念することでもあるのか?」


 だってさー。

 神典書いたときに、イスグロリエスト大綬章とか貰う羽目になっちゃったじゃん?

 ああいうの、要らないんですよねー。

 叙勲とかされちゃいそうな凄いお仕事は……なんか、お腹いっぱいというか……

 よし、ダメだし条件を出そう!


「書くのは……構いません。文字を書くのは好きですし、そういう仕事は嬉しいです。でも、お引き受けするにあたり絶対条件がみっつ、あるのです」

「ほう? どんな条件だ」

 俺は居住まいを正し、落ち着いて話せるように一度大きく深呼吸をする。


「まず、書くにあたり、どこか別の場所へ移動させないこと。俺は絶対にシュリィイーレから出たくないし、自分の家で書けないのであれば引き受けません。勿論書き上げた後も、です」

「わかった。他には?」

「ふたつ目は、書いている最中に監視や警護などの方が、俺の側にくっついていないこと。気が散って書けないし、行動や他のことを制限されるのも嫌です」

「うむ」


「みっつ目は、書き上がったものにご満足いただけたとしても、叙勲、叙爵などを絶対に行わないこと。勲章の授与とか、称号とか、新しい役職を付けられるのもお断りですし、職業的な役割を課せられるのも絶対に嫌です」

「……寧ろそれが欲しくて、みんなこういう仕事をしたがるものなのだがな」

「要りません。イスグロリエスト大綬章だって別に欲しかった訳じゃないし。そんなものをくれようとして王都に行かされるくらいなら、俺はこの仕事はしません」


 そう!

 何が何でも、絶対に王都になんて行きたくないのだ。

 美味しくお食事を楽しむことができない所は、断固拒否!


「勲章なんて、なんの役にも立たないものをもらったって意味がないです」

「陛下から下賜されるものくらいは、もらっておいてもいいんじゃないか?」

「報酬としていただけるなら、なかなか手に入らない地方の食材とか、調味料や香辛料の方がいいですよ。イスグロリエスト大綬章の時は……まぁ、カカオと米をもらえて嬉しかったですけどね」


 あれ?

 ビィクティアムさんが、眼をぱちくりさせているぞ。

「おい、陛下からの下賜は……他にもなかったか?」

「届いたのは、米とカカオだけでしたよ?」

「あれは、殿下の詫びの品と、皇家の方々がショコラ・タクトを作って欲しくて届けたものだろうが! その他に、加護の掛かった宝石とか、宝具とか、なかったのか?」

「ない……ですね」

 ちょっと考えたが、ない。

 カカオの中にも米の中にも、そんなものは紛れていなかった。



 あ、頭を抱えられてしまった。

 なんか届いてないといけなかったの?

 俺、見落としちゃったのかな?

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