第297話 星の降る夜

 空腹を抱えたまま眠った俺は盛大に寝坊をして、朝食になかなか来ない俺を起こしに来た母さんに思いっきり説教をくらった。

 また夜更かしして魔法を使いすぎて倒れ込んだ……と思われたのだ。

 えーと……でも、間違ってないか。

 夜更かししたし、めちゃくちゃ魔法も使ったし。


 眠い目を擦りながらも、どうしても空腹の方が勝ってしまったので朝食の席につく。

 あ、いい香り……

 パンが焼ける香りって、幸せの象徴だよね……

 コーヒーがあったら、完璧なんだけどなぁ。


「ほれ、これも飲んでおけ!」

 呆れ顔の父さんが差し出したのは、見慣れない茶色い瓶だった。

「あんたはいっつも魔法で無理をするからって、メイちゃんが持ってきてくれたんだよ」

 え?

「そうだぞ。ちゃんとお礼を言いに行けよ?」


 メイリーンさんが、俺のために?

 その瓶の栓を開けると、爽やかな林檎のような香りが漂う。

 これ、あの疲労回復の飲み物だ。

 前にもらった……メイリーンさんが作っているって言ってたやつだ。


 俺はぐいーーーーっと一気に飲み干す。

 うん、やっぱ美味しい。

 甘みもあるし、酸味も丁度よくって『つがる』の林檎ジュースみたいですっごく好き!

 お腹の辺りからぽかぽかしてきて、肩のおもりが取れたみたいに軽くなる。


 俺が余程気持ちよさげで緩んだ顔をしていたのだろう、母さんにあんまりメイちゃんに心配かけちゃ駄目よ……と、おでこをぴしっと叩かれてしまった。

 はい、気を付けます。

 だけどもっと心配されたいなーなんて、思っていたりもするダメ人間でごめんなさい……



 ランチタイム、マリティエラさんと一緒に食堂にやってきたメイリーンさんに早速お礼を言う。

「ありがとう! 俺、あの味大好き。体力の回復もできて、しかも美味しいなんて最高だよ!」

 そう言うと、照れたように笑いながらタクトくんが美味しいってってくれるから、いっぱい作っちゃったんだ、なんて言うんですよ。

 なんですかもー!

 この可愛い人が、俺の婚約者(仮)なんですよっ?


「今ね、もっと、飲みやすいものが作れるように頑張っててね、えっと、できたら、試してみてね?」

「勿論だよ!」

 うわー! 嬉しいー!


「あ、ダメだわ……」

 突然そう呟いて、暗い顔になる。

 え、どうしたの?

 なんで?


「試すのには、凄く疲れないと美味しくないもん。駄目よ、疲れちゃうと、よくないし……どうしよう……」

 何、この人……可愛過ぎない?

 俺が『疲れちゃう』ことを心配して、こんなに真剣に悩んじゃって……

 尊い……

 この姿を見られただけで、俺には栄養剤注射十本分くらいの威力がある気がする。


 感動と感激のあまり、俺がメイリーンさんの手を取るとずずいっとそれを遮ってライリクスさんが立ちはだかる。

「なんですかぁー! 感動と喜びの愛情表現じゃないですかぁ!」

 ぎっ、とライリクスさんの視線がきつくなる。


「何を言っているんですか! まったく。もっと慎むようにと言ったはずですよ?」

「えー……」

「そんな拗ねたような顔したってダメです。どうして君はメイリーンのこととなると、こうも直情的なんですか!」

「ちゅっとか、ぎゅっとかしたいですぅー」


 あ、しまった。

 悪のりが過ぎた。

 ライリクスさんの頭に、噴火直前の火山が見えるようですっ!

「今、ここが、食堂で、昼日中で、衆目がある状態で! そんなことが許可できるわけないでしょう!」

 す、すいません……そんなに怒らないでくださいよー。

 仮とは言え、ちゃんと婚約者なんだから、大目にみて欲しいですー。


「どうして、たった八年が待てないんですかっ!」

 いやいや、なげーよ、八年。


「……別にいいのに……ちゅっとか、ぎゅっとかしてくれても……」


 今聞こえたメイリーンさんの呟きは、俺の幻聴だろうか……

 ああ、そうだ、俺は疲れているんだった。

 きっと願望が聞こえてしまったんだ。

 ごめん、突然襲ったりしないから、許して。


 ライリクスさんは俺の首の後ろをひっつかみ、放り投げるように厨房に追いやる。

 もー、あのお兄ちゃん、妹分を大事にしすぎー。


 そんな俺に、父さんがそっと耳打ちをしてきた。

「いいか、適正年齢になる前には絶対に手を出すなよ。でないと……あとから何を言われるか、解ったもんじゃねぇぞ?」

 それは『世間に』なのか、『彼女に』なのか……


 俺の疑問に父さんは乾いた笑いを漏らしつつ、囁く。

「『彼女に』……の方が、精神的にキツイぞ……」

 つまり、どっちも、なんだね……気を付けるよ。

 そして厨房から食堂の方を覗くと、メイリーンさんがマリティエラさんに小突かれている姿が見えた。



 さて、今晩も俺とメイリーンさんとの幸せな未来を、美味しいものが沢山ある生活を守るために深夜の害虫駆除に出掛けます。

 台所の棚に置いてあったメイリーンさんの愛情たっぷり『エナジードリンク(カフェインなし魔法入)』を何本か持ってきたので、魔力だけでなく体力のドーピングも可能になりました。

 飛ぶって、めっちゃ疲れるんだよな……

 ホント、人間は大地の生き物だよ。


 西の森。

 シュリィイーレに最も近い場所では多くの山菜や茸の採取、食用できる獣や鳥などが捕れる豊かな森だ。

 あまり高くないその山々を北へと抜けていくと、火山にぶつかり道はなくなる。

 南へ下るように回り込む嘗ての少数民族領の北側へ続く道は、一昨年の大崩落でぷっつりと途切れてしまった。


 山を登りながら奥へ奥へと進んでいくと、ごつごつとした火山角礫岩が増えていき、その内植物よりも火山塊が大きくなる。

 その岩場を抜けるとまた植物の姿が見えてくるが、シュリィイーレ側とは全く違う植生である。

 遙か昔に噴火して山体崩壊したのだろうが、未だに背の高い木々が全くない風景。


 しかし、火山灰と礫ばかりのこの地に人は住めない。

 窪んだその場所から次の山を目指すと、谷幅の広い深くて大きな崖に阻まれる。

 そうか、ここからガウリエスタ側の『大渓谷』に繋がるのか。


 どうやら、この山々を越えてガウリエスタに行くことも、こちらに来ることもできなくなってしまっているのは本当のようだ。

 俺は上空で深呼吸をし、覚悟を決めて魔獣と魔虫の場所を示す指示を開く。

 南側の大崩落した辺りだろうか、水を湛えたかのように水色が広がっている。


 あそこに、きっとガウリエスタに辿り着けなかった幾人かの遺体があるのだろう。

 近くに行って見ても、誰のものか、何人分なのかは魔虫の卵の量が多すぎて全く判らなかった。


 だが、魔獣の黄色い点は殆どなかった。

 それが視えるのは大峡谷の中と崖の向こう、元少数民族領とガウリエスタ側だけだ。


 崩落と火山で魔獣が渡ってくる術がなくなったこの状態で、魔虫が大発生したら……

 それらは魔獣に食べられることなく、一直線にシュリィイーレに襲いかかるだろう。

 イナゴの大群のように、魔虫はシュリィイーレを蹂躙する。

 大量の魔虫が群れをなし町の空を埋め尽くす光景を想像してしまい、身体中から熱が消えるような恐怖を感じた。


 今、ここに来られてよかった。

 まだ、間に合う。

 俺の魔法は、俺の故郷を守ることができる。


【雷光砕星】を……そして【極光彩虹】を合わせて発動する。

 なぜそうしようと思ったのか、解らない。

 でも『そうすべきだ』と思ったのだ。


 昨日の雷より遙かに高温で威力の強い光が水色の全てを焼き尽くし、溶けていく『魔』を包み込んで分解する。

 パラパラと、まるで雲母の欠片が風に舞うように、その全てが砕かれて浄化されていく。

 崩落跡に溜まっていたオレンジ色が、俺の放った光に飲み込まれて沈んでいった。

 魔瘴素ましょうそが消え、大地からふわふわと緑色が漂い始める。


 大地に飲み込まれた【極光彩虹】の光は所々の亀裂や洞から溢れ、大気に溶けていった。

 穢された大地に染み込んでいた全てを、その光は浄化してくれたのだろう。


 かくん、と上半身が倒れ込む。

 やば、体力、限界だ。

 神聖魔法と神斎術のコンボは途轍もなく体力と魔力を使うんだな……

 俺は浄化がすっかり終わった地面に降り、エナドリをあおる。

 こう言うともの凄く不健康な感じだが、こちらの世界のエナドリは愛と魔法の結晶である。


 ふぃー……身体中が楽になってきたぞ。

 それにしても凄いな、これ。

 なんという即効性……

 愛は偉大だ。

 ありがとう、メイリーンさん。


 大の字に寝転がり、空を見上げる。

 星々の河が、空を流れている。

 夜に掲げられた星の光から、神々はこの世界を見ているのだろうか。

 ……魔獣も魔虫も、神が創ったものなのだろうか?

 何処にも書かれてはいなかったけど、もしそうなら、どうして全ての生命体と全く『循環しない』生物を創ったのだろう。


 上体を起こし、改めて土に触れる。

 あんなにどろどろで爛れたように視えていたのに、今は全くそんな様子はなくキラキラと土に含まれているのであろう長石が煌めくのが視える。

 西の火山はすっかり沈黙しているが、いつかまた噴火するのだろうか。

 でも、今じゃない。

 土に触れ、そう『確信』した俺は、うーん、と伸びをしながら立ち上がる。


 帰ろう。

 もう辺りには、水色も黄色い点も何も視えない。

 オレンジのラインもなくなった。

 やんわりと、緑に煌めく魔効素が立ち上っているだけだ。

 招かれざる来訪者を阻止することに、成功したのだ。


 上空へ上がり西を見る。

 国境の向こう、ガウリエスタの辺りはオレンジ色に、そして砂埃のように、黄砂のようなベールに覆われて視えた。

 俺は少しだけ後ろめたさを感じつつ、家へと転移した。

 そして、そのままベッドへとダイブ。


 次に目を開けた時、飛び込んできた窓からの朝日はやたら眩しかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る