第278話 感染源

 俺はその『北東・紫通りの食堂で食べた後に具合が悪くなった』と言う男性に会いに戻った。

 三番目に訪れた病院にいた彼は、その食堂で『貝料理』を食べたのだそうだ。


 ……よかった。

 ラウェルクさんの店ではない。

 あの店では、貝料理は出さないって言っていた。


「ええ、北東・紫通り二十番の店です。最近のカルラスからは、貝も旨いものが入ってきているからって……」

 ん……?

 カルラスから入ってきた……貝?


「ライリクスさん、ビィクティアムさんに確認してください。カルラスは、貝を出荷していないと思うのですが」

 俺はその場でライリクスさんに、通信で確認を取ってもらった。


「……はい、解りました」

「如何でしたか?」

「タ……いえ、アズール様の仰有る通り、この時期セラフィラントでは貝を出荷しているのはロカエのみで、カルラスでは夏しか貝を採らないそうです」

「やっぱり。産地偽装の上に、ちゃんとした下処理をしないでお客さんに出していますね。今回の病気の毒は、ちゃんと熱を通していれば殆ど死滅するはずですから」


 俺の言葉にその男性は、少し怯えたように話してくれた。

「実は、表面だけ火を通せば大丈夫だから……と、中までは焼いていないものを食べたんです……」


 多分、ビィクティアムさんが海を浄化したことが評判になっているカルラスのものだと言えば、客は多少変わった料理や素材でも食べてみたいと思う気持ちに付け込んだのだ。


 その食堂、絶対に今までも食中毒者を出しているはずだ。

 だが、幸か不幸か、俺が浄化した水で食材を洗ったり、食べた人が水を飲めば大概のものは発症する前に浄化されてしまう。


 だが、今回はほぼ生というのに、おそらくろくに水で洗うことすらしないで表面をちょっと炙っただけで出したのだ。

 水が冷たくて、ちゃんと洗わなかったのかもしれない。


 冬場で水をそのまま飲むことが少ない上に、飲むとしても汲んですぐの水ではなく時間の経ったものや沸かした湯を使った白湯。

 浄化水の効力は汲んでしまったら二時間程度しかもたないし、沸かしてしまうと『水』ではなくなるからかまったく効力がなくなるのだ。



 俺達は、その食堂へと足を運んだ。

 食堂の前辺りまで来ると、雪も道もウイルスの存在を示す真っ赤に変わっていた。

 俺は浄化しながら、界隈の人達の様子を見て回ることにした。


 両隣は既に東門詰め所の避難所に避難していて発症者はいなかったのだが、家や裏庭がかなり汚染された状態だった。

 どうやら貝殻を捨てることができずに裏側に置いたままなのか、雪の下でウイルスが生きているようだった。


 凍結しても不活化しないって聞いたことあるよ、そう言えば。

 この辺り一帯のだいたい半径、一キロメートル圏内くらいをライリクスさんには言わないが、ガッツリ浄化する。


 裏庭を共有しているこのブロックの人達は全員避難しているようで、どうやら罹患した人はいないみたいだ。

 ……この食堂に住む人達以外は。

 この家の中の方に、真っ赤な箇所がいくつか見える。


 俺達は食堂の正面で呼び出しをしたが、誰も出ては来ない。

 もしかして、倒れていて動けないのか?


「このまま押し入りましょう。タ……じゃない、アズール様、行きますよ」

 もー名前、呼ばなくっていいじゃん、ライリクスさん……

 絶対に面白がって呼んでいるんだよな、この人。


 ライリクスさんが食堂の入口をこじ開けると、中から毒々しい黒緑の大気が流れてくる。

 感染源はこの食堂の人だろう。


 俺もライリクスさんも防毒・解毒の魔法が発動しているので問題はないが、ここの家族は全員が罹患しているはずだ。

 一度浄化した大気を汚染するほどとは……

 でも、ノロウイルスなら一日か二日くらいで症状は治まるはずだが……


 一階には誰もいなかったが、二階に上がると階段に吐瀉物と思われる痕跡があり、半分以上乾燥していてあちこちに飛び散っている。

 勿論全て浄化しながら進むが、部屋の中はあまりに真っ赤で、見えなくなるほどだった。


 一番最初に入った部屋にいたのは、ふたり。

 ひとりはベッドに横たわったままで、もうひとりはその側に倒れていた。

 ベッドにいるのは、この食堂の主だろう。

 仰向けのまま、吐瀉物で喉を詰まらせたのか……亡くなっていた。


 もうひとり奥さんだろうか……まだ息があるが、こちらは脱水症状でまったく動けないみたいだ。

 下痢が酷く、立ち上がることさえできずにこの場で垂れ流してしまったのだろう。

 ノロウイルスは一度罹ったからと言って二度と罹らないわけではなく、何度でも罹患してしまう。


「ライリクスさん、別の部屋を見てきていただけますか? この方は、お……私が、治癒しますから」

 ライリクスさんは頷いて、他の部屋へと向かっていった。


 浄化、洗浄をして体内のウイルスも消すと少し顔色が戻ったので、経口保水液を出して飲ませる。

 ……反則技だが、日本製のものをこっそり出して入れ物を入れ替えた。

 手術前の点滴替わりにも、経口摂取で使われるものだ。

 ゆっくり、少しずつ飲ませながら【治癒魔法】で癒していく。


 そして、別の部屋を捜索していたライリクスさんが、十歳くらいの子供を発見した。

「まだ……弱いですが、息があります! お願いします!」

「あ……ミア……ナ…」

「大丈夫です。ちゃんと助かりますから、あなたはこの水をしっかり持って、少しずつ飲み続けてください」


 女の子は比較的症状が軽そうだが、こちらも脱水症状が見られる。

 両親が倒れてしまったため、この家で作ったものを食べずにいたのが幸いしたのだろう。


 身体に入り込んだウイルスは、まだ動ける時に飲んだ水で弱ってくれていたみたいだ。

 治療を施して少女の体内に残っていたものを浄化すると、やっとこの家からウイルスは消えた。


 ライリクスさんが応援を呼び、駆けつけてくれた衛兵隊員達が奥さんと娘さんを病院へと連れて行った。

 亡くなったご主人も念のため病院で死因を確認してもらったところ、やはり吐瀉物による窒息死であった。


「ふたりは助かって良かった……と思うしかないですね」

 明らかに、俺が落ち込んだ顔をしていたのだろう。

 ライリクスさんが慰めてくれる。


 医者の見立てでは死後、四日ほど経っているようだった。

 その前から、随分とウイルスで苦しんでいたのだろう。


 そんな両親から離されて、ひとりで部屋にいたあの女の子は、どれほど不安で怖ろしかっただろう……

 女の子のいた部屋を見た時、両親がかなりの食べ物を彼女の部屋に置き、自分達に近付けさせないようにしたのが解った。


 ……うちの、レトルトパッケージが何枚もあった。

 あの子の命をなんとか繋ぐことができて良かったと思うべきなのか、これがなかったらもっと早く誰かに助けを求められたのではないかと後悔すべきなのか……解らなくなった。


「『良かった』の方ですよ。絶対に。君の作ったものが、命を繋いだことは間違いありません。これがなくて、あの子が外に出ていたら、彼女は絶対に生きてはいなかったでしょう。大雪の時に死んでしまう子供達の多くは『外に助けを求めに行って何処にも辿り着けなかった子供達』なんです」

「……うん。そう、思うことにする……」

「そうですよ……タクトくん」


 ライリクスさんがそう言って、俺が、うん、と言ってしまった瞬間に、ぼうっと俺の周りの影が揺らいで『俺』に戻った。


「帰りましょう。ありがとう……君のおかげで多くの命が救えました」

「それは『俺』じゃないですよ」

「ははは、そうでしたね『聖女様』でした」


 俺を慰めてくれるライリクスさんに軽口で返しながらも、俺は【探知魔法】と【顕微魔法】を使い、ウイルスが残っていないかをチェックしながら移動した。

 心配したようなその他の汚染地域はなく、ノロウイルス・ロタウイルス感染は終息した。



 東門詰め所に戻った俺に、ファイラスさんがもの凄く残念そうな顔で迎えてくれた。

「なんで元に戻っちゃってるんだよぅー。『聖女様』を見たかったのにぃー」

 ……ぶん殴っていいですかね?


「そんな顔をするなよ、タクト。ありがとうな、本当に……」

「いえ……なんとか、感染が大きく広がる前に対処できて良かったです」

「今回の原因は、その食堂の『貝』なのか?」

 ビィクティアムさんが深刻な声で訪ねてくるのは『カルラス』を騙られたからだろう。


「ええ。この貝ですね」

 俺は持ってきた貝殻を見せる。

 勿論ちゃんと浄化済なので、ウイルスは付着してはいない。


「……初めて見るものだな」

 ビィクティアムさんも知らないのか……ということは、セラフィラントで採れたことのないものなのかな。


 ん?

 ファイラスさんが……ムッとした顔をしている?

「これ……レブレック港近海で採れるものですね……でも、毒性が高くて禁漁になっている貝です」

「では、密漁品ということですか?」

「だろうね。でもリバレーラで、この貝を採るような馬鹿はいない。恐らく、そういうことを知らないやつが、勝手に採って売りに来たんだろうな」


 口調は静かだけど、ファイラスさんがめっちゃ怒ってる。

 目が座って、全然笑ってないファイラスさん見るの、あのシエラデイスに対して潰す……って言っていた時以来だ。


 あ、そういえば……

「レブレック港の魚介を売り込みに来た人が……いましたよ、うちにも」

 ビィクティアムさんとファイラスさんが、一斉に振り返る。


「たしか……弦月つるつきの中頃に。うちはロカエのものしか扱わないって言ってもしつこくて。でもビィクティアムさんの悪口言いやがったんで、たたき出しました」

 急にビィクティアムさんがにぱっと笑って、ぽふぽふと俺の頭を叩く。

 ファイラスさんもなぜか、うん、うん、と頷いている。


「あ、そいつなら、俺も覚えています。あの時、食堂にいました」

「俺もです。レブレックからなんて、どうやって運ぶんだろうと思って……そいつの跡を付けましたので」

 おいおい、尾行していたなんて知らなかったよ?


「じゃあ、シュレイス、ゼオル、そいつのこと聞かせて。あ、タクトくん、ありがとうね」

 そう言うと全然目が笑っていないままのファイラスさんは、ふたりと別室へ行ってしまった。


「犯人達……絶対に、無事じゃ済まないでしょうねぇ……」

「ファイラスは、やるとなったら徹底的だからな。まぁ、この件は任せるか」


 ビィクティアムさん、ライリクスさんが怖いこと言ってるけど……ファイラスさんってそういう人なのか?


「なにを不思議そうな顔しているんですか? 副長官はああ見えて、法を犯す者には途轍もなく厳しいのですよ」

「ああ、少々厳し過ぎじゃないかと思うくらい、情状を一切酌量しないからな」

 おおぅ……このふたりが、そこまで言うほどなのか。


 この件で俺が手伝えることはもうなさそうだったので、ここまで、ということで改札を使ってビィクティアムさんの家まで戻った。

 勿論、ビィクティアムさんも一緒に。


 もう一度、沢山のお菓子を運んでもらうためだ。

 他の拠点にも、配って欲しかったからね。

 あ、大貴族様に荷運びを依頼してしまった……



 裏庭から家を目指すと雪は止んでいて、暫く見ることのできなかった星空が広がっていた。

 さて、俺はお家で美味しいイノブタの生姜焼きを食べよう。

 めちゃくちゃ、お腹が空いたよ。

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