第267話 上がったり、下がったり

 殿下達に盗聴機能付ケースペンダントを渡した翌日、俺は朝から不機嫌であった。

 冬空は快晴に恵まれ、ほんの少しだけ気温が高く寒さが和らいでいるというのに、俺の心は凍てつくブリザードである。

 なんで、この国のお偉いさん達は、ああもお気軽に臣民の個人情報をただ漏れさせるのか!


 聖神司祭といい、皇族といい、あまりに情報管理が杜撰である。

 この国の政治と宗教のトップ達が最も信頼できないなんて、あってはならないことなのだ!

 嫌味のひとつも言ってやらなくては気が済まない。

 ……言えないけど。


 俺は心を落ち着けるために、セラフィラントから届いた牛乳をチーズとバター、そしてクリームにする作業を行った。

 魔法である程度自動化してあるので、必要な工程はあっという間に終了してしまった。

 そうだ、ヨーグルトも作っておこう。

 熟成庫のキラキラチーズ達のお世話もしてちょっとだけ気持ちが上向いたが、まだ、浮上してはいない。


 お次はロカエ港からたんまり届いた、お魚さん達の確認と仕分けである。

 殿下の来訪ショックで、何の魚が届いたのかまったく確認できていなかったのだ。

 先ずは、活魚水槽からだ。


 おおおおっ!

 水槽には金目鯛!

 鰆!

 そして柳葉魚ししゃも

 予想以上に、素晴らしいものが届いている……!


 柳葉魚、大好物!

 くっそー!

 なんで大根がないのだ……!

 焼いた柳葉魚に、大根おろしは最高だというのに。


 番重には帆立が二段分と蛸、そしてそして、牡蠣ですよ!

 鰊と旗魚もあるし、おおおっ!

 はまちまで!

 その上、前回とは種類の違う鮪……キハダマグロが……!

 ああ、魅惑の魚介類……!


 残り二段は何が入っているのだろう。

 鱈だ!

 絶対に土鍋を作ろう!

 そして鱈ちりを食べるのだ!


 最後の一段は……待ってました!

 毛蟹がたんまり!

 うおー!

 最高ーーっ!


 はー……魚介類でテンション上がったわー。

 最高だわー。


 今回は種類は多いけど一種の量がさほど多くないので、申し訳ないがラウェルクさんへのお裾分けは、牡蠣と鰊が少しだけだな。

 冬の間まったく入って来なくなっちゃうから、他のものはうちで全部使いきれそうだ。



 実験厨房で魚の下処理などを終わらせる頃にはランチの準備時間になったので、今日のイノブタの赤茄子煮込みの付け合わせに帆立のコロッケを作ることにした。

 お客さん達にも大人気なので、保存食としても沢山用意しよう。


 食堂を開ける前に、一番美味しいできたての帆立コロッケも付けて家族揃ってお昼ごはんである。

「ほっほぅ……あっつぃ! うーん、ロカエの帆立は旨ぇなぁ」

「そうだねぇ、これは、あたしも好きだわ!」

 帆立は火を通せば、母さんも喜んで食べてくれる。


「帆立は沢山届いたから、焼いたものを山葵で食べてもきっと美味しいよ」

「あら! そうだね! あの山葵って、本当に何にでも合うんだねぇ」

 段々と魚介が市民権を得てきたぞ。

 この調子、この調子。



 帆立コロッケですっかり気分が上向いた俺は、食堂での準備を始めようと下に降りた途端、一瞬のうちにどん底へと突き落とされた。

 開店時間の一時間以上前だというのに、あの三人が扉の前に陣取り、中を伺うようにべったりと張り付いているのだ。


 ……せめて開いている物販スペースにいるならまだしも、外にいられたら……

 いくら今日の気温がちょっと高めとは言っても、シュリィイーレの冬は暖かいと言われる日でも気温は三度くらいまでしか上がらないのだ。

 殿下達を外に出しておいては、後ろで申し訳なさそうに何度も謝る仕草を見せている衛兵さん達が可哀想だ。


「……まだ開店時間じゃないですが寒いので、中で待っててください……」

 渋々扉を開けた不機嫌丸出しの俺の表情など気にするそぶりもなく、殿下達はにこにこと店内に入ってくる。

 しまった、マジでぶっ飛ばしたくなってきた。


 そんな俺に、気を使ってくれるのは衛兵さん達である。

「ごめんな、タクト……あんまり寒くって。つい早めに来ちゃったんだよ」

「すまん、昨日から楽しみにしすぎて、早く着いてしまった」

 自分たちのせいだと、率先して謝ってくれる衛兵隊隊員達を見て、殿下達はどう思っているのか。

 ちらり、と横目で見るが……何も感じていないようだ。


「……仕方ないですねぇ。今日だけですからね? 開店時間にならないと食事は出せませんから、待っててください」

 態と大きめの声で彼等に聞こえるようにそう言った俺に、ゼオレステ神司祭だけは反応した。

 少し早かったようです、今度はちゃんと開店時間に参りましょう……と、殿下に耳打ちをしていた。

 それでも、店側に詫びる気などはないのだ。

 結局、姿を偽ってただの臣民を装ったところで、根本的に自分たちは優先されて然るべきという考えのままなのである。


 あ、衛兵さん達の何人かが、ちょっとムッとしてる。

 殿下と聖神司祭はいいとしても、あの騎士風従者は銀証だったのだから俺に詫びるべきだと思ってくれているのだろう。

 ありがとう、俺のために怒ってくれて。



 予定時間より少し早く、ランチタイムをスタートした。

 早く食べ終われば、その分早く帰るだろうという思惑もある。

「はい、お待たせ。今日はイノブタの赤茄子煮込みと帆立の揚げ物ですよ」

「ええっ? 帆立……とは貝ですか?」

 驚いた顔を見せたのは、騎士風従者だ。


「ハウエサス、そう大きな声を出すでない」

「あ、すみません。つい……貝などは珍しくて」

「この店では海のものも出てくるのか。素晴らしいな」


 どうかさっさと食べて帰ってね、と心の中で願いつつ俺は他の衛兵さん達にも食事を出していく。

「おー! 帆立の揚げ物、好物なんだよなー」

「俺、この店で初めて食べた時は、旨くて泣きそうになった」

「これは……おかわりできるの?」

「すみません、帆立はおかわり分の用意ができないので、今日のおかわりはパンだけです」


 いや、実は大丈夫なんだけどさ。

 殿下達に早く帰って欲しいんだよね。

 ゴメンね。


 殿下達はパンを四個おかわりして、綺麗に食べきってくれた。

 うん、合格です。

 俺が少々気分を上向きにさせたその時、爆弾が投下された。


「流石、 第一位階級輔祭様の店ですね!」


 ぴりっ、と空気が凍った。

 ハウエサスの店内に響く大声で発された一言に、衛兵達が表情を変える。


 ばんっ!


「……どうして、あんたがそんなことを知っている?」

 俺は彼らのテーブルを思いっきり叩いて、威嚇するように睨み付けた。

 衛兵達は動かない。

 殿下を護るべきなのだろうが、今、彼らは『ただの臣民』としてここにいるのだ。

 だとしたら、身分は圧倒的に俺の方が上となってしまうから、俺を遮ることの方が『不敬』なのだ。


「俺は、その身分と階位を公開してはいない。この町でそれは必要ないからだ。なのに、なんで昨日初めて俺に会ったあんた達が、それを知っているんだ?」

 ハウエサスだけでなく、ゼオレステ神司祭の顔色も変わる。

「そ、それはだな、昨日、教会で……そう、シュリィイーレの教会で聞いたのだよ!」

 慌てて言い訳をしたゼオレステ神司祭は、最も悪手を打ってしまった。


「教会の司祭様が、あなた達に教えたと?」

「そうなのだ。この町の誇りであるから……と……」

「ならば、俺はその司祭を訴えなければなりませんね」


 三人の表情が、更に慌てふためいたものに変わる。

 衛兵達は……凪いでいる。

 店内の空気が重い。


「だって、そうでしょう? 司祭はその立場で、臣民達の個人的な情報を知り得る。それを、まったく何の関係もない者達に当人の了承もなく魔法や技能、職業などを教えてはいけないはず。そういう法律がありますよね? その司祭は間違いなく罪を犯している」


 この国は皇族、貴族などの身分制度はあるが、専制君主制ではない。

『法律』がその上にある、『立憲君主制』なのである。

 だから、皇族であろうと聖神司祭であろうと、法には従わなくてはいけない。


「いや、噂話程度で……」

「そんなに軽くそのような情報を漏らしてしまうなら尚のこと、厳罰を望まなくては教会の信用に関わりますね。格下げだけで済めばいいですが、禊ぎの神仕とならざるを得ないかもしれません。シュリィイーレ教会の他の神官達にも、何らかの罰が下ることも否めません」


 それだけの大事おおごと、なのだ。

 第一位階級輔祭の情報を勝手に開示するということは、聖魔法を持つものの情報を開示してしまうということ。

 国家に護られるべき聖魔法師を、侮辱しただけでなく危険に晒すということ。

 やっと、事の重大さに思い至ったのだろう、ゼオレステ神司祭の顔色は真っ青である。


「か、勘違いだ! この教会の者ではなく……わ、私の知り合いの……王都の聖神司祭で……」

 殿下が慌てて取り繕う。

 それでも事態は変わらない。

 いや、むしろ悪化した。


「ほう、つまりあなた達は、聖神司祭様とそういった会話をした……と。ならば罪に問われるのは、その聖神司祭様ですね。規範となるべき教会の最高位の方が、率先して聖魔法師を危険に晒す行為をしているのであれば、国家の一大事です」

「あ……いや……」


 自分たちの身分を隠し続けることに固執して、まったく関係のない者達に罪をなすりつけている皇族と聖神司祭のこの姿に……衛兵達は絶望しないだろうか。

 もう、この辺りで俺が引くべきだろう。

 これ以上、傷口を広げる必要はない。


「……あなた達は、貴族なのでしょう?」

「え……ど、どうして」

「聖神司祭様と気軽な会話ができる臣民なんて、いませんからね。今日のところは、もういいですよ。幸いにもここにいるのは、俺のことを既に知っていてくれている衛兵隊の方々だけでしたから」

「申し訳……ございませんでした……」


 ハウエサスが初めて謝罪を口にする。

 ならば、これで手打ちにした方がいいだろう。

 殿下に謝らせたいわけじゃないからな。


「もう二度と、簡単に臣民の情報を口にしないことです。立場上知り得たことはその立場を信頼されているからのものであって、娯楽や自由な発言に使っていいものではありません。あなた達にその話をした聖神司祭にも、俺が怒っていたって伝えておいてくださいね。貴族の言葉はたった一言の失言でも、多くのものを失う場合があるという事を、絶対に忘れないでください」


 しゅん、としてしまった三人に後ろを向けて、俺は厨房へと引っ込む。

 この会話、全部ビィクティアムさん達も聞いているんだよな……ちょっと言い過ぎたかもしれない。

 でもさー、ムカついちゃったんだもんー!

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