第七章 来訪者達はユメをみる
第262話 愛称呼び
反省続きのこの数日、写経をするか反省文を書き綴るかで悩むという非生産的な思考からやっと抜け出した。
折角『古代部屋』から持ってきた前・古代文字のものと、ふたつの三角錐から写し取った『石板原本』が有るのだから、ちゃんと照らし合わせて神典四巻分と神話の一巻を書き直しておくことにしたのである。
並べて読んでいくと前・古代文字のものと石板原本は、ほぼ相違がなかった。
違っていたのは宗神が主神に対して使っていた一部の愛称呼びと、意味が判らずにそのままの文字を書いておいた最後の単語の表記が違うことだけ。
石板原本の主神の愛称は、殆どが『シシィ』か『ティア』。
だが、三カ所だけなぜか『リア』と呼んでいるのだ。
もしかしたら、主神内の二柱を同時に呼ぶ時に『リア』を使っているのかもしれない。
だが特にそう表記せねばならないほどの理由がなかったので、前・古代文字の『聖典』を作る時にこの三カ所は『シシィ』に統一されてしまったのだろう。
そして不明だった単語は……文字の順番を写し間違えているスペルミス……ではないだろうかと思えた。
石板原本のその単語にはちゃんと、日本語訳が表記されているからだ。
その単語の意味は『魔導帝国』となっていた。
神話に登場してくる、失われた大陸の幻の国を表していたのだ。
愛称に関しては、訂正しないでおこう。
石板原典にしか載っていないのだから、なんでいきなり『リア』になってしまったかの説明ができない。
判明した『魔導帝国』だけは、書き替えておくことにした。
神典と神話の訂正を終え、机の上で大きく伸びをした時にはもう少しで昼になるという時間だった。
今日の昼ご飯は何だろうな、と台所に行くと牛肉の焼けるいい匂いが漂っている。
「あら、タクト、もう少しだから待ってて」
「美味しそうな香りだね……牛肉って」
「そうだよねぇ! 焼くだけでも美味しいのに、なんで好きな人が少ないんだろうねぇ」
多分、シュリィイーレではあまり手に入らないから、だろうなぁ。
不思議そうに首をかしげる母さんに、理由は魚と同じだよ、なんて言ったら嫌な顔されそうなんで止めておいた。
「タクト、この間の山葵……だっけ? まだ残っているよね?」
「あるけど、何に使うの?」
渡すと直ぐに、母さんがご機嫌で山葵を摺り下ろし始めた。
お、グレービーソースに混ぜるのか!
それを焼いた牛肉にかけて……うわーーっ!
絶対に旨いやつぅ!
「こっ、こりゃ、旨ぇっ! くぅーっ! 鼻にキやがるが……最高だぜっ!」
「思った通り、美味しくなるねぇ……んっ」
ふたりともすっかり山葵のツンツン攻撃の虜である。
勿論、俺も。
ふぉーー、美味しいーーーー!
「この牛肉は食堂では出さないで、うちで食べようねっ」
母さんったら、ちょっと悪い笑顔……大賛成ですよ。
父さんと俺は言わずもがな、と頷くのであった。
ランチタイムが終わり、スイーツタイムになる頃にオルフェリードさんがやってきた。
……女性連れである。
あ、衛兵隊の文官の方だ。
衛兵隊は文官でも、女性でも全員ズボンなのである。
冬はブーツにインしているので、乗馬服みたいに見える。
男性のものより、ちょっと丈の長い上着も素敵だ。
はっきり言って女性が着る衛兵隊制服は、めちゃくちゃ格好いいのだ。
ケーキを食べている女の子達も、時々チラ見しては小声で『ステキー』と言っているのが聞こえる。
「こんにちは、タクトくん」
「こんにちは……えーと……」
笑顔で挨拶されたが、俺はこの女性文官さんの名前を知らない……
「僕の妻のアンシェイラです」
つ。
妻。
「ご結婚なさっていらしたとは知りませんでした……」
「うふふ、
きゅっ、と胸が触れるくらいに腕に絡みつかれ、オルフェリードさんが真っ赤である。
「それはおめでとうございます! ……あれ? もしかして、南宿舎の三階から引っ越したっていうの……」
「そう。私が使っていたお部屋を今、メイちゃんが使ってるの」
くっ、この人もメイリーンさんを愛称でっ!
「君に、お礼が言いたかったんだよ、タクトくん」
照れながらも、真面目な顔に戻ったオルフェリードさんと、その顔を見つめて頬を赤らめるアンシェイラさん。
お礼?
「君が、神典を正しく訳してくれたおかげで、あの大憲章授与式典後の舞踏会でライリクス達を聖神司祭達に認めさせてくれたおかげで、僕らは一緒になることができたんだ」
「あ、もしかして賢神一位と、聖神二位……の?」
「ええ。ずっと……オルフェとは一緒に歩くことさえできなかったわ。でも、やっと、神々の祝福をいただくことができたの」
「ありがとう、タクトくん。どうしてもアンと一緒に、君にお礼が言いたかったんだ」
ありがとう、と繰り返し、俺の手を握るふたり。
良かった。
このふたりの、晴れやかな、こんなにも幸せそうな笑顔がみられて。
「本当に、おめでとうございます」
涙が出そうで、それ以上何も言えなくなってしまった。
ケーキをふたつ買おうとするので、ささやかながらお祝いですとプレゼントすることにした。
家で食事をしてから、職場に戻るのだそうだ。
仕事場はオルフェリードさんは西門の詰め所、アンシェイラさんは東門の事務室だそうで、今暮らしている南宿舎二階の橙通り側の部屋が中間地点らしい。
そーか、職場結婚というやつか……と思いつつふたりを見送った後、食堂内を振り返ると、衛兵さん達の雰囲気が暗ぁく沈んでいる気がした。
「……知らなかった……アンシェイラさんが……」
「ああ、結構衝撃的だ……なんで、オルフェリードなんだ!」
「あのふたり、全然そういう感じ、醸し出していなかったじゃねぇか!」
「今度……春になったら、演奏会に誘おうと思っていたのに……」
どうやら、アンシェイラさんには結構なファンがいたようだ。
その後、スイーツのやけ食いをする衛兵さん達の数人から小声で、オルフェリードの奴黙っていたとは許せん、という呟きが聞こえたが……スルーした。
結婚したことを殆どの人達に伝えていなかったのは、同じ職場だからなのか、まだ……昔の神典の影響を気にしているからなのか。
あのお二方も愛称で呼び合っていた。
アン、オルフェ、と。
俺は……『メイ』と、呼べるだろうか?
照れずに、恥ずかしからずに。
無理。
今は、まだ、無理。
思っただけで、自分の顔が熱くなるのが解る。
焦る必要はない。
きっと、そのうち自然に呼べるようになる……だろう。
多分。
ああ、俺って、弱い……
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