第173話 新しい合金
冬初旬の失踪騒ぎの後は、いつものひっそりとした冬となった。
俺と母さんは新しいメニューに取り組み、父さんとは暖かくなったら取りに行く鉱石やら素材の話をし、メイリーンさんとはこれから作る蓄音器やケースペンダントはどんなデザインのものがいいか、なんて話をしながら過ごしていた。
時々、母さんとメイリーンさんが消音の魔道具まで使って、ふたりきりで話をしているみたいだ。
母さんに聞いてもメイリーンさんに聞いても、内緒、と言われてしまい、俺と父さんは何を話しているのか気になって仕方がないのだ。
オンナ同士の秘密の会話……もの凄く知りたいのだが、聞かない方がいいのかもしれない。
今年は新人騎士達がとても穏やかなようで、どこでも大きなトラブルはなかったらしい。
自警団のおじさん達も今年の子らはできがいい、となかなかご機嫌だった。
少しずつ季節が動いて、雪に水気が多く混じり始めると春祭りの準備が始まる。
去年ははしゃぎ過ぎたので、今年はまったりといこう。
そう思っていた矢先に、食事に来ていたライリクスさんから釘を刺された。
「今年は蓄音器みたいに無茶なもの、この冬場に作ったりしませんでしたよね?」
「作ってませんよ。俺だって去年のことは反省してるんです」
「なら、いいですが……君はやってから後悔することが多いように感じます。始める前に、誰かに相談するようにしてくださいね」
……前科がありすぎて、反論の余地がない。
「では、早速相談なのですが、牛乳を大量に手に入れるには、どうしたらいいと思います?」
「は? 牛乳……ですか? 今度は何を……?」
「乾酪です。美味しい乾酪が作りたいのです!」
『乾酪』とは、チーズのことである。
やはり諦めきれなかったのだ。
熱々のじゃがいもにラクレット、酒のつまみにミモレット、パスタにはパルミジャーノ・レッジャーノ!
牛乳で作るハード、セミハードタイプのチーズが!
「なるほど……それは個人的に、是非とも協力したいですね……」
食べることが大好きなライリクスさんは、真剣な面持ちで考えてくれると約束してくれた。
よし!
俺は地下室をさらに拡張し、チーズ工房を造って良いご提案を待っていることにします!
シュリィイーレでは、全く牧畜は行われていない。
なのでごく少量だけ乳加工製品が他領から入ってくるが、牛乳そのものが入ってくることはほぼないのである。
牧畜や畜産は東南のロンデェエストか更にその東のセラフィラントだが、シュリィイーレに定期的に牛乳を運ぶにはどちらも少し遠い。
輸送ルート確立と、輸送代金が問題になるのだ。
正直、輸送中の温度管理や品質保持は俺の魔法でなんとかなるにしても、運び手がいないのである。
輸送手段が、馬車だけというのがネックなのだ。
馬車といっても、輸送時間が一ヶ月とか二ヶ月かかるという訳ではない。
大型の馬車が通ることのできる『馬車方陣』なるものが設置されているので、輸送時間の短縮は可能である。
だがこの『馬車方陣』は、領地をまたいでの移動ができないのだ。
そして、シュリィイーレと領地自体がさほど広くない東隣のエルディエラ領には、牧畜をやっている東側へと行くための馬車方陣が設置されていない。
シュリィイーレからロンデェエストまでだとしても、まずエルディエラ経由でロンデェエストの一番近い馬車方陣まで四刻……約八時間かかる。
そこから、ロンデェエストの各地へと繋がる馬車方陣を使って移動する。
そしてまた、目的地へと馬車を走らせるわけだ。
どんなに早くても二日以上はかかるので、輸送コストは馬鹿にならない。
馬車方陣の使用料も馬の数や馬車の大きさ、重さなどでかかる料金は変わるが基本料も安いとは言えないのだ。
ロンデェエストの先のセラフィラントだと更にもう二回、馬車方陣を利用しなくてはならなくなる。
最短でも片道三、四日はかかるのだから、馬の食事代や御者の宿代、厩舎の使用料など、かかるコストは嵩む一方。
まぁ、全てのルートを方陣を使わず馬車でぱかぱかと進んでいくとなると、ロンデェエストの牧草地帯までおそらく一ヶ月以上の距離だろうから、金で解決できるならそれが一番なのだが。
一ヶ月以上もかかるのほほんとした旅では、生ものなんて絶対に運べないので論外である。
俺としては地下にパイプでも通して直接流して欲しいくらいなのだが、そういう訳にもいかない。
大量の牛乳を積んで届けてもらうにしても、帰りに
かといって、ロンデェエストやセラフィラントが、その馬車を使ってまで欲しいものがこのシュリィイーレにあるか……となると……
元々豊かなそれらの領地で、鉱石などの素材を今以上に求めてはいないはずだし、定期的に牛乳などと取引するほど欲しい製品がシュリィイーレにある訳でもない。
俺が考えつかないだけなのだが、それらの領地で何を欲しているかまったく解らないのである。
こんなに情報不足では、作戦の立てようがない。
ライリクスさんに牛乳の件を相談した翌日、ビクティアムさんから呼ばれて東門詰め所へとやって来た。
「え? ビィクティアムさんの領地なんですか? セラフィラントって」
「ああ、ライリクスから牛乳の件を聞いたんだが……確かにセラフィラントでは余り気味だから、用意はできるが……」
やっぱり一番問題は、対価と輸送コストなのだった。
「セラフィラントで欲しいモノってないんですかね? シュリィイーレで取れるもので。鉄とか銅とか」
「鉄か……? 錆びるからあまり使われていないな……」
ん?
『錆びる』から使わない?
『錆びない』とはいかなくても『錆びにくい』なら?
「仮に……とても錆びにくい金属があったら……欲しいですか?」
「セラフィラントは、海に面している土地も多いからな。そんな金属があれば……かなり需要はあるだろう」
「加工が多少、鉄よりは難しくても?」
「技術者はいる。特性が理解できれば、問題なかろう」
「では、見本をご用意します。検討してください」
「……解った」
ビィクティアムさんの表情がとても興味がある、と言っているように感じる。
よっしゃー!
俺的にあまり必要のない鉄を処分しつつ、欲しいモノを手に入れるチャンスだ。
そう、提供するのは『ステンレス鋼』である。
「おい……今、見本を作るのか?」
「善は急げと言いますし。鞄にいろいろ素材は入ってますから」
本当は【
俺はテーブルをちょっとお借りして、鉄、クロム、ニッケルそしてモリブデンを用意した。
確か鉄とニッケルの合金に、クロムを一定量以上を入れたものがステンレスだ。
えーと、前調べた時に18ー8とか書いてあったから、クロム18%、ニッケル8%のものが基本だろう。
確か、18ー8のものより海水に耐性を持たせるにはモリブデン添加だ。
クロムとニッケルの割合も変えつつ、モリブデンを加える。
できあがった銀色に輝くステンレスの板を数枚、ビィクティアムさんに渡す。
「この金属で試してみてください。海水に耐性が高いはずですが、加工は難しくなります。熱が伝わりにくいので工具には気をつけて。あまり強い力を加えすぎると硬化を起こして、元に戻らなくなりますので」
「……幾つかの金属を合わせて、特性が変わるのか? これもお前の魔法で?」
「合わせるときに魔法は使いましたけど、特性は元の金属の持っていたものが、互いに反応してできあがってるものです。あくまで『耐性』が鉄よりは高いってだけで、完全に錆びないわけではありません。もの凄く錆びにくい合金ってだけです」
勿論、【強化魔法】や【耐性魔法】を付与することはできるけど、加工の妨げにならないように素材の段階ではやらない方がいい。
元々が錆びにくい金属なら、強化がなくても耐性は上がるはずだ。
「『合金』というのがこの金属の名前か?」
「いえ、二種類以上の金属を人工的に合わせたものをすべて『合金』と言うので、この金属の名称となると……『
ステンレスの日本語名が不銹鋼なのだ。
「……解った。是非とも試させてもらおう」
ビィクティアムさんが受け取ってくれたということは、第一歩が踏み出せたわけだ。
これで牛乳が手に入ったら俺としては蝦で鯛を釣った感じになるので、良いお返事をお待ちしております!
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