第8話 ファーストキスと、
まずは小さめサラダから手にした。
サッパリとした柑橘ドレッシングは甘酸っぱいけど、千切りキャベツと蒸かしたポテトに良く合っている。ビーフシチューのお肉は全然筋っぽくない、トロトロ食感。あつしくんも頬張ったあと、満足そうな顔をしていた。カルボナーラはもちもち食感の生パスタになめらかなソースが絡み合い、ブラックペッパーが後を引く美味しさ。まだ沢山食べれちゃうくらいだ。合間に飲むコンソメスープがちょうど合う。
トマトソースの小ぶりなオムライスには小さい旗が立っていて、表には船長をデフォルメした顔、裏には大漁軒と描かれたロゴ。旗は丁寧に抜いて、持ち帰ることにした。オムライスをひと匙、そこにビーフシチューを少々。口に運べば中でビーフシチューオムライスの完成になる。最高!
「おまえ、本当にうまそうに食うな」
「うん!幸せ!」
「それは良かったよ」
そう言うあつしくんも、あっという間にハンバーグを平らげている。
2人で顔を見合わせて笑った。ご飯デートばかりで申し訳なくなるけど、あつしくんも楽しそうならいいと思う。
お皿のソースをバゲットでぬぐい、デザートの小ぶりなケーキを頬張る。クリームにはイチゴソースが入っていて、甘すぎず美味しい。ひと口、あつしくんにおすそわけ。
「うまいな、これ」
「ねー?」
「あ、あつしくん」
「ん?」
「クリーム、ついてる」
ちょっと手を伸ばして、あつしくんの口許に着いたクリームを指先で拭う。そのまま、自分の口に持ってこようとして
「まて」
あつしくんに腕を掴まれる。
ちゅ、と、指先を舐められた。
「……それくらいは、自分でできる」
目の前には恥ずかしそうなあつしくん。
ぼん、て、顔から火がでたような恥ずかしさ。あおいから聞いた話は本当だった。
あつしくんの舌が指先に触れた感触が、忘れられそうにない。
心臓が破裂しそうなくらい、ドキドキしてる。
「そろそろ、混んできたな。出るか」
いつの間にか手が離され、慌てて宙に浮いた手を引っ込めた。混み始めた店内の喧騒が分からないくらい、私は彼に夢中になっていた。
× × ×
席を立ち、会計を済ませると、店長がニコニコと俺に話しかけてきた。
「カノジョ、気に入ってくれたか?」
「ああ、そうみたいだ」
「それなら良かった!ああ、そうだ。今日のデザートに出したケーキ、ブランデー漬けのドライベリー入れたけど、カノジョ酒大丈夫か?」
「ああ、大丈夫だとは…思う…美味そうに食ってたし。実際俺も貰ったけど、美味かった」
「そうか!また来てくれよ!!」
実際、ももの反応も今までと変わらなかった。だけど。
どうしてか、彼女の足元が少し…揺らいでいるように見える。
「あつしくん……あの、ね…」
「い、言いたいことが…あって」
伸ばされた腕、ももの指先がもじもじと俺の腕を撫でる。何となく、言いたそうな言葉が分かってしまって笑みが零れた。幻覚じゃ、ないよな…?
「おい、大丈夫か…顔真っ赤だぞ。そうだな…俺の部屋、来るか」
ももは恥ずかしそうに、だけどしっかりと頷いた。
プレゼントを渡すのは、少し先になりそうだった。
× × ×
食べすぎたのか、少し体が熱い。
2人して少しふらついた足でやって来た職員寮の4階、彼が1人で暮らしている一室。深く、おもいきり吸い込んだ空気は最初から最後まであつしくんの匂いがする。がらんとしているけれど彼らしさで溢れているその部屋には、身体を鍛えるためのダンベルや縄跳び、壁掛けダーツにパイプべッド、小さい座卓と大きい本棚。そこに入った瞬間ぐるりと見渡して、あつしくんの優しい瞳と目が合った。小さい声で大丈夫か、って言われてから、彼の胸に飛び込むまでにそう時間は掛からなかった。
「っ……あつし、くん」
「おまえ、酒だめだったのか⁉…悪い、気付かなかった。それより、もう、くんは外してくれよ」
「だって…恥ずかしくて」
「…もも」
「ん?」
「すまん…その、…上着、脱ぎたい」
あつしくんが私から少し離れ、流れるような所作で上着と襟シャツを脱いでいく。下は半袖Tシャツ一枚だけ着ていて、シャツを脱ぐ瞬間にちらりと見えた浮き上がる胸板と、脇腹が艶かしい。見る回数がすこし増えた私服姿でも、季節柄肌の露出が少ないから、こうも直接見ると急に恥ずかしくなってしまう。初めて見た彼の、逞しい体つきが眩しくなった。
「あつしくん、身体がっちりしてるね?」
「重い機材運んだり、患者を抱えたりするからな。撮影時には鉛のエプロン着ているし…あ、おまえも、暑くないか?飲み物、持って来る」
「えっ、そんな、悪いよ…!」
「そう言いながら…口の中、乾いてきてるだろ」
ニヤニヤと笑う彼の笑顔はずるすぎるくらいにカッコいい。誤魔化しの効かない事実に小さく頷くと、あつしくんが私の服に手を掛けた。
「…上着、シワになるだろ…脱がしてやるから、いいか」
「ん…、いい……よ…?」
緊張しているのがわかる手つきに、思わず私も息を飲む。平常心が保てなくて、心臓の音が聞かれてるんじゃないかと思うくらいだ。脱がされたコートを壁際のコート掛けに掛けてもらって、その足であつしくんがキッチンに向かう。グラスを取り出す音と、冷蔵庫から何かを出す音、グラスに注がれる涼し気な音が溢れて、ここが自室ではないのだと実感してしまう。カーペットの上にぺたんと座り、彼が戻るのを待った。
程なくしてあつしくんがグラスをふたつ両手に持ってくる。色から察するにアイスティーと、カフェオレだ。
「どっちがいい?俺は残ってる方でいい」
「えっと、アイスティーで」
「どうぞ」
彼から差し出されたアイスティーのグラスを受け取り、ストローに口付ける。茶葉の香りに、仄かなベルガモットが薫った…アールグレイだ。
「ん……おいしい」
「それはよかった」
しばらく、お茶を飲む。
何故かどんどん心臓が早くなる。体を冷やしたいのに、熱くて仕方ないくらいだ。ココが彼の家、だからだろうか。
「もも、その…言いたいことって」
「あ……あの、ね」
今朝、頑張って練習したこと。一緒にはじめてごはんをたべたこと。映画を見に行ったこと。
ほぼ毎日売店に通ってくれてるとこ。実は甘いものが好きなとこ。
全部思い出しても、やっぱり答えはひとつだった。
「私も、あつしくんが好き」
ごく、とあつしくんの喉仏が動いた。顔が、真っ赤だ。
「それでっ、付き合…」
言いかけた言葉を、あつしくんの人差し指に遮られる。
「それは、俺から言わせてくれないか」
今度は、私が息を飲む番。
「俺と、付き合って欲しい。
「……!うん…!」
生まれて初めての、告白。
涙が出るくらい、嬉しかった。
✕ ✕ ✕ ✕
まるで夢を見ているみたいだった。
遠くから見つめていた、ずっと想っていた彼女に、うれしい返事をされた。
「もも」
名前を呼ぶと、笑顔でこちらを見上げる姿も。
「……ん?」
「…っ、身体、触っていいか」
「えっ、そ、それ、って」
分かっていながら、目を逸らす癖も。
「すまん、嫌ならいいんだ。なんと言うか…もっと近くに感じたくて」
「ん…あつし…なら、いいよ」
モジモジと、恥ずかしそうに身体を揺らす姿も。
君の全てが、愛おしい。
「…やっと、[君]外してくれたな」
「だって、い、今から…恋人、だもん」
恋人。
その二文字に何度憧れ、何度夢に見たことか。
今から恋人なのか、と言う事実と、俺が彼女の身体に触れてもいい、と赦しを貰えたことが、その嬉しさを際立たせる。
ゆっくりと座っているももの身体に近づいて、隣に座る。触れ合った手を、指先を絡めた。
せめて、今この瞬間だけは。
「……俺だけを見てろ」
× × ×
絡められた指先が酷く熱い。見上げた彼の横顔、瞳の中は、炎が揺らいでいるように見える。そのまま顔を近づけて、いいか、と囁かれる。
うん、と自分でも情けなくなる声で返すと、彼の唇が軽く私の唇に触れる。ちゅ、と小さい音を漏らして。
ファーストキスって、どんな味なんだろうって思っていた。ただの想像でしかなくて、ドラマや漫画で見るだけの存在。実際は柔らかくて、あったかくて、ほろにがいカフェオレの味がした。
それでも、蕩けるように甘い。
一度触れられ、離されるとまた欲しくなってしまう。乾いてたのは、喉じゃなくて唇だった。
「ん、ぁ………」
「…間接より、甘いな」
どちらからともなく、何度も何度も唇が重なる。息をするため口を開いたら、性急に舌を絡め取られてくちくちと水音が漏れた。
「ふぁっ…!ん、んぅ、はふ、」
「とうこ、好きだ。愛してる」
朝に着替えたばかりの下着が既に湿っている。ここまで歩いてくるのに流した汗だけではない、私の奥から滲み出てきたものが滴るのが分かってしまって、思わず太腿を擦り合わせた。
「…今日は、キス、だけ?」
「っ、そ、そりゃあ、な…」
「今日は…頑張ったんだよ?」
精一杯の、お誘いだった。
ランチデートだから、万が一に備えて朝早起きして、身体を磨いて、勝負下着もおろしたて。ボディクリームも塗った。
あとは心の準備だけ。
私と、彼の。
× × ×
今日はキスだけか、と問われたら。
彼女を守りたいYESと、お互い身体の熱を放ちたいNOがせめぎ合い、どうしようかと迷ってしまう。抱くことは正直、何時でも…できそうな気はする。覚悟さえあれば。だが初めては…痛く、辛いと聞いたし、二度とない。
流されるように抱いたのでは、彼女を傷つけかねないから。
「今日は、頑張ったんだよ?」
「っ…!!」
彼女の言葉に、思考が揺らぐ。
「良いのか」
「あつしくんは、どうしたい…?」
「正直、初めて…だから、上手くできるか…」
「わ、わたしもそうだよ…!」
「歯止めが効かなく…なっても…?」
「……っ、いいの」
自分の中で燻った熱がまた上がってくる。
は、と熱い息をひとつ吐いて、ももの身体を抱きしめた。
「なるべく、やさしくする」
× × ×
なるべく優しく、と言ったのに、その後の彼は無我夢中だった。
あつしの体力、底なしなんじゃないかと少し怖くなる。…キスマークがついた場所、全部服に隠れる場所だから、良いような悪いような…でも、嬉しく思う自分がいた。
部屋の窓の外は、夕日が沈みかけている。
ぐったりと脱力した身体をあつしに擦り寄せて、彼と一緒にベッドに横になる。お布団からもあつしの匂いがして、首筋がゾワゾワする。背中まで伸びたあつしの黒髪を撫でた。
「あつしくん…起きたら…お風呂入ろ?」
「ああ…少し狭いが一緒に入るか?」
「っ…!」
「ふ、なんてな、冗談だ」
「んもう…!あと、……お腹すいちゃった…」
絞り出すような声で言ったら、あつしが吹き出して笑った。ももらしい、って頭を撫で返しながら。
「まったく、しょうがないやつだな。一眠りしたら夕飯食べよう」
「うん!」
「それまで寝ようぜ」
彼の腕に包まれて眠るなんて、夢みたいだ。
起きて晩ごはん食べて、お風呂済ませて。今日一日、
「篤史くん、」
まだこの言葉は早いかも知れないけれど。…あいしてる。
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