第4話 チョコレイト・トリップ
「昨日はラーメン食べたから……」
「今日は米がいいか?」
まるで心を読まれていたみたい。ちょっと嬉しくなってしまって、体温が上がった気がしてしまう。柏木くんと横並びになって、映画館の近くにある商店街に出た。お惣菜の匂いが漂う肉屋、焼きたてピザのイタリアン、敷居の高そうな寿司屋、お手ごろ牛丼チェーン店まで。何でも揃うこの11番通りは、ブティックから美容室、スーパー、飲食店と沢山のお店がひしめき合った賑やかな場所だ。
「こんなところ、初めて来た」
「そうなの?」
「大体職場と病院の往復だし…朝と夜は職員寮か外でたまに食べれるから」
「柏木くん、寮生活なんだ?」
「ああ。ももは一人暮らしだよな」
「うん。大学の頃から住んでるマンションでね」
少しずつ分かっていく柏木くんの素顔。病院の中じゃ全然知らなかったことが解けていって、最後に残るのは裸の……なんて、不埒な考えが浮かんでしまって慌てて隅に追いやった。まだ付き合ってすらいないのに…!
なんとか平常心を取り戻して会話しながら店先を歩いていると、美味しそうな食品サンプルが軒先に並んでいるお店が見えた。ここだ、と腹ぺこの魂が呼んでいる。
「ねぇ、ここにしよう!」
「さつき軒…?」
達筆な文字で書かれた暖簾を見上げて、スライド扉を開いた。すぐ側には券売機が2台置いてあって、どうやら前払い制のお店のようだった。画面を操作して、季節限定メニューの春野菜と鶏の天ぷら定食に梅の混ぜご飯をタッチする。お味噌汁とお新香がついて1000円しないなんて、お得じゃない…。思わず涎が出てきそう。
「柏木くんは決まった?」
「ああ。…久しぶりに食いたくなって」
鶏の唐揚げ定食の食券をヒラヒラさせながら柏木くんが言うと、中扉を開けてくれた。美味しいもん、唐揚げ。揚げたての…じゅわっとして…
「いらっしゃいませー!!」
危うくトリップしかけた所にきれいな黒髪の店員さんが席を案内してくれて、柏木くんと向かい合わせの座席に座る。何だか急に緊張してしまって、椅子に座ると両手を膝の上に乗せた。ちら、と目線を動かしても、大体彼が視界に入る。
「顔、強ばってるな…どうした?」
「だって、柏木くんかっこ良すぎるし…」
「は?…そんなことねぇし…」
明らかに狼狽えてるのを見て、何てことを言ってしまったのだろうと後悔した。かっこいい、って言うのはモデルや俳優とかみたいなカッコ良さではなくて、彼の内側から溢れてくるカッコ良さで…言い訳じみた言葉が頭の中に浮かんでは消える。天井を仰いで、頭をからっぽにした。平常心を忘れずに。押さない掛けない余計なことは喋らない。
「…ご、ごめんね…?なんか今日の私、変だな」
「大丈夫だ…少し…いや、かなり嬉しい」
「えっ?」
「お待たせしましたー!鶏天定食のお客様!」
「あっハイ」
肝心なとこでメニューが運ばれてきて、変な空気の流れが変わった。さっきと同じきれいな黒髪のお姉さんだ。もどかしいような、助かったような妙に燻ってしまうけれど気を取り直した。すぐに柏木くんの鶏唐定食もやってきて、香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。
「もも」
「ん?」
「1個ずつ、交換するk」
「いいの?!」
手をつける前で良かったと自分で自分を褒めたい。私の鶏天をひとつ、柏木くんのお皿に載せる。柏木くんも笑いながら唐揚げをひとつ箸で掴んで、私のお皿に載せてくれた。
「「いただきます!」」
× × ×
くるくると変わる仕草と表情。院内売店に立っている印象とは違う、素の彼女が垣間見ることができるなんて思いもしなかった。心の底から漆山に感謝して、今度スイーツバイキングでも奢ってやろうかと本気で思う。
「鶏天、ふわっふわだぁ……柏木くん、唐揚げおいしい?」
「ん…」
無性に唐揚げが食べたくなって、注文したメニュー。ひとつ箸で摘み1口齧る。鶏の脂と香ばしい醤油の匂い、歯ごたえのある肉は硬すぎず柔らかすぎず丁度いい。うまい、と考える前に口にしていた。
「良かった…!このお店にして」
「ああ、…ありがとう」
鶏天を齧りニコニコとしている顔は幸せそうだ。昨日の夜もそうだけど、彼女はよく食べ美味そうに笑う。
……参ったな。
「どうしたの、柏木くん」
「いや、何でもない」
何でもない、としか言うしかなかった。自分が思った以上に、今までもこの先も楽しみにしているのだと実感してしまって…正直、どうすればいいのか分からない。ただひたすら目の前の食事を食べる。
「そう…?…この後、どうしようか」
味噌汁を口にして、危うく吹き出しそうになるのを堪えた。映画を見ることだけに専念していた俺は、もしかしたらと予想出来たのはここまでで…昼を食べた後のことなど考えちゃいなかった。
「どう、って」
「…すまん、何も考えてなかった…」
「そうだよね…!ごめんね、変なこと聞いて」
「いや……、」
俺は、彼女をどうしたい…?
そりゃ、叶うことなら…ずっと抱えていた想いを伝えたい。映画に誘ったのも…誘えそうな奴は全員不在だっから、なんてただの口実に過ぎない事は、自分でも分かっている。もし今日が明日、明日が来週に繋がって、彼女が頷いてくれるならの話だが…付き合いたい、とは思っている。そんな不埒な考えが頭に過ぎって、慌てて味噌汁のキャベツと一緒に噛み砕き飲み込んだ。まだ、何も始まっちゃいないのに。
彼女から貰った鶏天の味は良く分からなかった。
× × ×
「……?」
柏木くんの表情が一瞬、翳ったような気がした。でも、変わらず箸は動いていたからきっと気のせいかなと思った。
鶏の天ぷらはふわふわな歯ごたえで、天つゆに絡めると極上の味わいだ。春野菜の天ぷらは桜えびのかき揚げとふきのとう、菜の花。どれもサクサクしていて箸が進む。天つゆもいいけど抹茶塩をパラパラするのも好きだ。揚げたてに塩、鬼に金棒。カリカリ梅と刻んだ大葉を混ぜたご飯は適度な酸味があとを引く。このお店にして良かったと心から思う。
柏木くんとお米と鶏さんとお店に感謝して、手を合わせ感謝を口にする。
「ご馳走様でした。ふぅ、お腹いっぱい!」
「天気もいいし、少し…歩くか?」
「うん!」
アテもなくブラブラするのが好きだから、彼の提案はとてもありがたかった。腹ごなしの運動にもなるし、あれこれ考えるより軽く動いた方がいいよね。席から立ち上がり、荷物を持って立ち上がった柏木くんを待つ。食券制のご飯屋さんは会計がないから、自由に帰れていいなぁと思った。
「ごちそうさまでした!」
「ごちそうさま」
「はい、ありがとうございました~」
店員さんに声掛けて、扉を開いて店外へ。外の風が気持ちいいくらいだ。
そうだ、忘れないうちに…持ってきたプレゼント、渡さなきゃ。
「そうだ、柏木くん!あのね」
「ん?」
「あらァ!!柏木さん、奇遇ね」
「………チッ」
何処からか聞こえてきた声に、柏木くんが小さく舌打ちしたのが聞こえた。顔も険しくなっている。もしかして知っている人なのかと思い、声のした方を見た。少し派手めな、だけど美人な女の人。
「……お疲れ様です、医局長」
「っ……あ、お疲れ様です!」
慌てて頭を下げると、柏木くんの上司さん(?)はニコニコと私の方を向いてから直ぐに柏木くんを見る。
「よしてよ、クラスメイトだったでしょ?あの頃みたいに名前で呼んで頂戴?」
「いえ、昔の話なんで」
「あら、もしかして…!お邪魔だったかしら?確かアナタは売店の」
「そうですね、それじゃ」
話を聞こうとしない女の人を無視して、柏木くんが私の手を握り早歩きでその場から去ろうとする。ちら、と顔を見上げると彼は怖い顔をしていた。
「柏木くん……?」
「栗原、悪い。…嫌な思いさせたな」
「ううん、ぜんぜん!きれいなひと、だったね。確か偉い人だったような…」
ほんとうは…怖かった。あの人はこっちを見ているようで、空気か何かを見つめてる。ずっと柏木くんだけを見ていた。もしかして…と思うけど、詮索するのは何だか…もっと怖い。
「栗原、だいじょうぶか」
「ご、ごめんね。少し、食べすぎちゃったみたい」
心は重いのに気がついたら早歩きになっていた。食べすぎで早歩きって何のアスリートよ…。作り笑いしてるのがバレないか、少し不安になった。友達でも恋人じゃないのに、やきもきしている自分が醜く思えてしまう。私はただの…同じ病院内にある売店の店員なのに。
ガトーショコラ、どうしよう。
足は自然と、商店街から離れていく。気づいた頃にはあの映画館の前に着いていた。
「……栗原」
「ホントに、大丈夫だよ?それに、私の名前は…」
「栗原」
「…そうだ、そろそろ帰ら──」
「栗原!!
柏木くんが私の手首を掴んで、私の身体を引き寄せた。すぐ目と鼻の先に、彼の整った顔。じっとまっすぐな瞳に見つめられて、呼吸するのを忘れてしまう。
それから、私の名前……。
「俺は…」
「俺は、お前が好きだから」
?
「いま、なんて…?」
「だから、栗原のことが…おまえが好きだ」
彼の真剣な表情と言葉が上手く飲み込めない。柏木くん、が
「お前は、栗原は、どうなんだ?もしかして、他に好きなやつとか…」
「……私は…」
私は、柏木くんとどうなりたかったのだろう。2年前、何も知らない私に病院を案内してくれた柏木くん。いつも朝の早い時間に売店へ来てくれる柏木くん。キャラメルくれた柏木くん。なのに甘いものが苦手そうな柏木くん。
チケット、映画、幸せな時間をくれた……
「私も、」
ずっと前から好きでした、と言いかけて、我慢していた想いが、不安が込み上げて涙が後から後から零れてる。息が苦しくて、何も言えなくなった。
「あっ、な、泣くほどかよ?!」
「だっ、だって、」
「まったく、馬鹿だな」
映画館の前で、人の目なんか気にもしてないように柏木くんが私の身体を抱きしめた。ひゅっ、て自分が息する音が聞こえて、すぐ傍に柏木くんの鼓動を感じる。
「……返事。すぐじゃなくても、いいから」
「んっ…」
「カバンの中から美味そうな匂いしてるの、くれるんだろ?」
バレてたんだ、と目元が涙で滲んだまま、笑ってしまう。少しずつ、落ち着いてきて、柏木くんの腕が緩んだ。涙で濡れた私の頬を手のひらでぬぐってくれた。彼に促されて、ショルダーバッグからすこし皺になった紙袋を渡す。
「甘いの、苦手なんじゃ…」
「ああ……”甘いの”はな。ビターチョコとか、好きで食うぜ。あとはキャラメル、塩入りだと尚いい。あとはクッキー、キャンディーとか……もちろん、チョコケーキも」
「そ、それじゃ……」
スイートチョコやミルクチョコが苦手なだけで…普通にお菓子は好きだと言った。ビターチョコで作って、正解だったみたい。紙袋を受け取った柏木くんは、幸せそうに笑ってくれた。
「ありがとう。今年のチョコ、1番最初におまえから貰えて嬉しいよ」
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