第2話 片想いは琥珀色
昼番が終わり、夜勤スタッフの入れ替わりで賑やかな更衣室。スマホに映る昼休みに交換した連絡先を見ては、少しニヤついてしまっている。長い間遠くから見ていた憧れの人に、ようやく近づけた気がしたから。
「柏木さん、嬉しそうっスね」
「なっ、あ、なんだよウルシ…そうだ、チケットの礼も兼ねて。おまえにやるよ」
「いいんスか?たまたまオレも当たっただけなのに…まさかアニキのお得意様が水族館当てた後に、オレが映画のペアチケ当てたなんて知ったら…アニキも可哀想だなぁ~」
「おまえらの血筋どうなってんだよ…まぁ、ありがたく受け取ってくれ」
にやにやしながらわざとらしく言う奴の頭を軽く叩きつつ、さっきまでスタッフルームの冷蔵庫で冷やしていた、チョコプリンを袋ごと渡す。中身を見た瞬間、男から貰っても、と渋い声の割に顔は笑っている。
顔とは裏腹に可愛げのある名前の漆山紅葉は、俺の後輩であり大の甘党だった。まさか職場が同じだとは思わなくて、極々稀に甘いものを食べに行くのを付き合ってやる。
「いいんだ。あれ、また観たいから。ウルシ、明日は仕事だろ?せめてもの労いってやつだ」
「いいんスよ…その代わり月曜日に休みなんで、うんと暴飲暴食してやるっス」
「はは、やめとけ。楓に怒られるぜ?」
まもの病棟の管理栄養士である立花楓(料理がからきしできない)に何故か気に入られ、ダイエットを初めた漆山。ここでリバウンドしたら彼女の献立と言う制裁が下されるが、献立を考えるのは楓で料理を作るのは漆山だから身体には支障ない、とは思う。甘党な彼に出したチョコプリンひとつで体重がそう変わることは無いと思うが、一応彼女には黙っておこう。
明日は久しぶりの休みだから、降って湧いたように譲って貰ったチケットを無駄にする訳にはいかないとダメ元で誘ってみたのだが。まさかOKをもらえるとは思わなくて、自分で思った以上に嬉しくなっている。本当ならチケットだけ差し出して、バラバラで見に行くのでも良かったのだが、チケットの使用期限も最寄りの映画館での上映も生憎と明日までだった。なんてことだ。
「それじゃ、明日も仕事頑張れよ」
「柏木さんも、デート上手くいくといいっスね!」
「っ、そんなんじゃねぇよ…!」
映画を見に行くだけ。ただ、それだけ。
ほぼ毎日顔を合わせてはいるが、まともに喋ったことなどろくすっぽない。苗字をお互い知っている程度で、年齢も趣味もよく分からない。そんな相手だからデートと言うには重すぎる気がして、ただ映画を見に行くのだと務めて冷静でいようと決めていた。彼女が好きな系統の作品だったら尚嬉しいけれど、どうだろう。ロッカー扉の裏側に貼られた鏡に映る、色の薄い無精髭の生えた顎をなぞる。
「明日は少し、気にしとくか…」
× × ×
どうしよう。
見たかった映画なのは確かだ。チケットを受け取って後悔もしていない。けれども、今までその…1度も年頃の男性とお出かけなんかしたことなくて…どんな格好で行けば良いのか分からずに、途方に暮れている。店を閉める準備は整い、院内の廊下が薄暗くなってもお尻から根っこが生えたようにまだ帰れなかった。
『どうしたのよ、ずっと無言じゃない』
「楓、あのね……」
電話口の向こうに聞こえる声へ、今日起きた事の顛末を話した。
彼女は私に今の仕事を教えてくれた親友だ。同じ病院内で魔物さんたちの栄養士をしている。魔物のごはんなんて想像がつかないけれど、たまに買いに来る骸骨さんとかスライムくんはレトルトの色鮮やかなカレーや冷製パスタ(のようなもの)を買っていくから、多分そう言った彼らが好きなメニューが中心なのだろう。
「…ね、柏木さんて、甘いの苦手なのかな?」
『さぁ……ウルシに聞いてみたら?』
「それしかないかなぁ」
『あるいはあおいね。彼女の彼氏、柏木と仲がいいみたいだから…あとは雨宮先輩かな。あれから年下の彼氏とラブラブなんだって』
「そうなの!?あっ、…ウン、そうね…」
小さい声で頷くしか無かった。私と違って、親友の楓もあおいも…仲の良かった中高生時代の先輩にも既にカレシがいるらしいから、ヒントを貰わないと到底迷路から出られない。こんな時間だとそれも叶わず、小さく溜息をついてしまう。もう帰らなきゃ、と時計を見上げたその時。
『明日、何の映画見るの?』
「えっとね、【地底探検】のリバイバル上映」
『あら、奇遇ね』
「え?」
『ウルシに誘われたんだけど、あたしが仕事で断った映画と同じだわ』
「あっ…そうなんだ…」
貰ったチケット、と言っていたから、もしかしたら漆山さんのかも知れない。ふと過ってしまう、もし柏木さんが好きな映画ジャンルではなかったら…何だか申し訳ない気がしてしまった。
「…あ、そろそろ帰るね」
「ええ、気をつけなさいよ?」
「うん、ありがとう」
自分のことばかり考えていた自分が嫌になる。明日は普段通りで行こう。
恋人では、ないから。
× × ×
すっかり暗くなった帰路につくと、病院から街中に繋がる道の隅々までバレンタインムードに覆われていた。まぁ、クリスマスもそうだけど自分には関係がないから……プレゼントやチョコレートを誰かに渡すこともなくて、買っても自分で食べるくらいだ。頑張る自分をたまには甘やかしても、いいでしょう?そう言い聞かせてコンビニの前で立ち止まる。
「……明日、どうしよう」
わざわざ高いチョコ買うのも気を使わせてしまいそうだし、かといって手ぶらなのも申し訳ない。それに甘いのは…苦手だって……
「何してんだ、こんなとこで」
声をかけられ、振り返る。
「…⁉かっ、しっ、さ」
もふもふのフードがついたダウンコートを着ている柏木さんがいた。黒いズボンに、コートの中はVネックだ。真冬にも関わらず、なんと言うか…不思議と似合っていて目のやり場に困ってしまう。アシンメトリーな前髪が風に揺れていた。
「なっ、何って、今から帰るとこで…」
「こんな時間にか?もう暗いじゃねぇか」
「それが、その……」
言えない…。少し臆病になってるなんて。どう誤魔化そうか考えていたら、何処からか美味しそうな匂いが風に乗って漂ってきた。こんな状況で、お腹空いてるのにこの匂いは
グゥゥ
「………」
「なんだ、腹減ってんのか?」
「う……はい…」
羞恥心で火が出そうなくらい顔が熱い。匂いの源はラーメン屋の屋台だった。鶏ガラと、醤油の匂いに混じって香ばしい味噌の香りもする。もうこれ、拷問じゃないかな。
「はは、丁度良かった、俺も腹減ってんだ。良かったら一緒に夕飯食べようぜ。ラーメンでいいだろ?」
「はい!」
さっきまで萎れていた心が少し元気になる。私は醤油を、柏木さんは味噌を頼む。待っている間、取り留めもない会話をしていたらあっという間にラーメンが目の前に運ばれてきた。私が思っていたよりも、彼は気さくで優しい人だ。私が売店で働くようになった2年前、まだ何もわからなかった私に院内を案内してくれたことを覚えてくれていた。あの頃から優しい人だな、とは思っていたけれど、今は一緒にご飯食べてるなんて当時の私には信じられないだろう。腹ペコで2人並んで食べる屋台のあつあつラーメンは、どんな高級レストランのフルコースも勝てっこない。夢中で麺を啜って、スープを掬いメンマを齧る。熱い、けど美味しい。ラーメンを作ってくれた、やけに骨ばった顔のオジサンもニコニコしてる。
「おまえ、うまそうに食うな」
「っ!?あ、えっと、お腹空いてて…」
「好きだぜ、そういうの」
ぽとん、と箸で掴んだ鳴門がスープに沈む。
「いや、食いっぷりがよくてだな…!」
……彼の顔を直視できない。
スープの鍋に映る顔が赤いのは、きっと熱いラーメンのせい。
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