第22話 猛烈恋愛慕情
アウラガ府で働く人達は皆さま親切で御座います。
そして迎えた、とある夜の出来事。羊肉を小麦粉の皮で包み揚げたホーショールに舌鼓を打ち、ぬくぬくとベットにて夢現を気持ちよく彷徨っていた時の事です。あの日と同じようにカツーンと乾いた音が響きました。
隣のベットで寝息を立てるテムルンは未だ夢の中。私の好奇心は抜き足、差し足と曇天の屋外へと体を運びます。煌々とした月が、時折り現れる分厚い雲に隠されながらの薄暗がりの斜面を、私は護身用の短弓片手に一人で降りてゆきました。
「今日は一人なのね」「えぇ、今日はエアルさんも一人なんですね?」
河川の水音だけが心地よく聞こえる夜に、涼やかな馬人乙女の声が闊達に響きます。
「まぁ、オンゴツだって人間だからね。少なからず五十年は生きるのだから、時には休息させないと壊れちゃうのだよ。貴女も人ならば休息は必要よ」
まるで馬人には一時の猶予もないかのような物言いです。夜は短し恋せよ乙女とは良く聞きますが、恋セヨ馬人?馬恋フルスロットル、素晴らしき
「何故わたしは馬耳も尻尾もあるというのに、人として扱われているのでしょうか?貴女の容姿は私と何ら変わりが無いといいますのに」
「龍は千年、鯨は万年。人間五十年にして馬人二十年。馬人わね、人より成長が早い代わりに短命なの。けれどアナタは人と同じ時間を生きている。その点でしょうね。後は、テムルンが……いいえ、草原のみんなが、もちろんアタシも含めてアナタが好きなのよ。人であって欲しいと……皆の願いでもあるのよ」
先程までカツン、カツンと忙しなく投石器にて手紙付き屑鉄を放っていた彼女が手技を止め、ふわりと私に近づきました。そして春風薫る草原に三角座り。私も習うかの様に隣に腰をかけました。
「テムルンは貴女の事も大好きだと……言ってました」
「アリガトッ。でも、知ってるわ、そんなこと。馬子の頃から、ずっとあの子を乗せて走って来たのだもの。ダイルとウララみたいに」
ウララと言う名前。懐かしい響き。ダイルとは?薄らと脳裏に浮かび上がる青年のような、少年のような……面影。
「ダイルさん……とは?以前、私を助けてくれたと聞きましたが?」
「この草原で貴女を助けて良いかは、チャラカに一任されているの。責任を擦り付けていると言った方が……ごめんなさい。貴女は、その、ちょっと前までは馬人として扱われていたから、その、言葉が過ぎたわ。ごめんなさい」
「大丈夫です。続けて下さい」
「向こうの世界で、貴女の身体が馬人だと知られた時だった」
今となっては遠い昔にも感じます。記憶の断片。私は学校にてクラスメイトに馬耳を引っ張られ、今後の行く末を案じていました。そんな時が確かにあったのです。
「ダイルさんは、それを知って助けに来てくれたのですね」
「えぇ、ウララに乗って時空を超えた。馬人の為に人間が動いた瞬間だった。アタシ達、馬人の目には、そう見えたハズよ」
「ダイルさんは、素晴らしい人なんですね」
「いや。でも、アイツはただの変態よ」
……そう言えば。初めて会った時、裸だった記憶が蘇ってしまいました。
○
「あっ、でも。いい奴なのは間違いないわ。貴女はアーサー王が好きなのよね。エクスカリバーはダイルの発案なの。アタシが悩んでいたらね。ダイルが金國の書銉から取り寄せてくれてね。アーサー王伝説……ホント、良い話よね」
「ですデス。私は湖畔の妖精の慎ましき恋物語が一番好きです。エアルさんは……」
「いいわよ、エアルで。呼び捨てで。そのかわり、アタシもアチって呼ばせてもらうわ。良いわよね」
「もちろんデス!」
私としたことが、ついぞ興奮してしまいました。本の虫とは、いかんせん話が合ってしまうと止まらなくなってしまうのが悪い癖に御座います。
「アタシは迷う事なき、円卓の騎士の一択よ」
「円卓の騎士とは……ランスロットの儚い恋路ですか?」
「いや〜、アタシの場合は箱推しっていうか、BLネタには持ってこいなのよ」
「はこ、おし。びぃーエル?」
恥ずかしながら、私は英語が大の不得手で御座います。
「あれ、BLって現世では流行ってるんじゃないの?」
「BLTサンドは確かにカフェで人気のメニューですが」
「かふぇとは……?」
「コーヒーや紅茶を片手に読書や書き物をするところです」
「なるほど、お茶を飲みながらBL。ありがとう、アチちゃん。こうとなっては現世に負けていられない。かふぇとやらを作るわよ」
彼女のやる気は覇気となって、濃い闇夜に響きました。話も段落が着き、雲が厚みを増してきましたので「そろそろ、帰りましょうか」と互いに納得し立ち上がった。その時でした。
○
「本日もお日柄が宜しゅう。こんなに石を投げ入れて頂き無礼千万。色恋に盛んな暴れ馬は礼儀を知らなくていけない」
誰でしょう?震える音波が脳を蝕むかの如く頭を駆け回るようでした。
「サチャベキのクソッたれ……か」
ドスの効いたエアルの声に、忌まわしい音が重なります。
「はぁい、ちゅうも〜く。またかね、この駄文は。『拝啓オグリ様、この小春日和の良き日に如何……』この、バカちんがぁ。小春日和とは、晩秋から初冬にかけての春のような穏やかで暖かい気候のことを指ぁす。春の日に小春日和とは笑止千万!」
「エアル。こ、この声は何なんですか?」
「サチャベキ。コデエアラルの主よ。
(気持ちが悪い)
「アイツはイェスゲイ様が亡くなりキヤトの存亡が危ういと知るや否や、コデエアラルに石壁を築きタイチウト族へ流れた。いわば叛逆者よ」
エアルの説明の間も脳内で読まれる文脈。それは愛おしいほど、切なくなるほどのセンチメンタルな淡い乙女の恋文に、添削、添削、添削と、編集局長のような鬼のレ点の嵐でした。
「エアル。この恋文は……」
「そうよ。親の意向や馬主の考えで離れ離れになってしまった……それでも相手を忘れる事のできない、ついさっきアタシが屑鉄に括って放った、キヤトの若者、馬人達の思いが詰まった手紙」
人の恋路に土足で入ろうとは、私の怒りは頂点に達する勢いで御座いました。
「なんだ、この恋文は。助詞の使い方も解らぬとは。添削、添削、これも添削。このバカちんがぁ〜」
「もう、私は我慢なりません」
怒りと共に湧き上がる溢れんばかりのエネルギー。私の握る右手が金色に輝きました。私は驚きも人潮、徐に護身用の短弓を掲げます。矢を放つかのように弓をキリキリと引くと、右手から零れ落ちる黄金の水滴は、鋭い矢となりて固まり、更に強い光を放ちました。
「一矢、報いて……」
「止めて、アチ。もういい、もういい……から。これ以上はテムルンが困るから。今、争う訳にはいかないの。……ね、分かるでしょ」
テムルン。その言葉に我にかえりました。収束するエネルギー。それでも、消える事のない私のやるせ無い気持ち。
「でも、みんなの気持ちは……」
「いいの。みんな覚悟の上でやってる事なの。辛くても筆を取るし、アタシはそれを届ける。それで良いのよ!」
エアルの啜り泣く音と共に脳内は占拠されたままでした。
「努力をせずに欲望を満たそうとする。そんな人間にはならないでください。草原の男どもは身勝手な人間です。そういう男共を、馬人共を、どうか憎んでください。僕は民が生き残る為に尽力しているのです。僕を心から愛しいと思ってください。そして、バカちん共に贈るくらいなら、僕に手紙をください。それが出来ないなら……どうか、みなさま苦しんでください」
まるで苦虫を噛み締めるような夜でした。
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