第20話 黒薔薇女王

 もともと、若かりし頃のヤリツケイカ殿は紆余曲折はありはしたが、龍の背に乗り各山々を飛び回り魔鉄を集めたのだそうだ。今の金国が強大な力を得たのも、この夫婦の仲が非常によろしいのも、そんな背景があるという。しかし武勇伝もまた遠き伝記に近しい。


 人間八十年、龍人と共に老いとくらぶれば、夢幻の如くなり。


 ある意味で誠実なまでの自然の愛なのかもしれないが、こうまでなってしまうと社会の摂理さえも通り越したランデブーに歯痒さが残る始末である。馬耳乙女を愛する私としては、種族の垣根さえも超えてしまう自由思想には感服の念を抱くが、それにしても……だ。


「ショゲンキ殿、これでは話が進みません」

「ちと、人選を誤ったな」


 漢人要のヤリツの好々爺は全くの役立たず。私は困惑ら極地に達し(とりあえず金國女王に恋文でも投擲しようか)など、投げ槍ならぬ投げ文に矜持じる思考にまで辿り着いた。そんな時だった……。


 ヤリツケイカの妻、おたつが力を貸してくれた。難なく金國を統べる女帝との謁見を取り次いでくれたのだ。


——マジか!御都合主義バンザイ


 時と場所は違えど金國の女帝と恐れられる二人である。それでも未だ謎のベールに包まれた黒薔薇女王ではあるが、こうもなれば他力本願の直行便。藁にもすがる思いで、それこそプライドも服も脱ぎ捨てる覚悟で龍人に平伏し教えを乞うた。そして「服は着なさい」と叱られた。


         ○


 ヤリツケイカ殿の愛の巣は、なんとも簡素な藁葺き屋根。掘り炬燵に茶を啜り龍人おたつが喋り出す。


「いいかい、ダイルさん。まずは家さ褒める事からいこうかね」と


 お龍さん曰く、黒薔薇女王は新しく物見別棟をこさえたそうで、夜長に別棟で書物に耽るのが女帝唯一の楽しみだとか。これは書を扱うショゲンキも言うのだから間違いない。寧ろ、そういう事は無駄な饒舌よりも早くに言って頂きたかった。夜な夜なお忍びでお付きの者と書律を訪れてはムツカシイ本を買って行くのだと言う。それは「本は表紙を見るところから始まるのです」という程の徹底ぶりだそうだ。


「結構な普請ふしんでございます。普請は宗家そうけ珠玉しゅぎょく檜造ひのきづくりで、天井は宿木やどりぎ鶉木目うずらもくめ。左右の壁は砂摺すなずりで、畳は異国の五分縁こぶべりとお見受けします。お床も結構、お軸も結構」

「お龍さん、なんです?その呪文は」


 唐突な物言いに首を傾げる私に対し、金國定番の家の褒め方だと教えてくれた。

 普請は建築工事を指す用語で、檜とは上質な材木を表す。その中でも鳥のウズラの羽のようにきめ細やかな木目のものは、大層な高級品なのだそうだ。


「女帝は白痴を嫌います」とお龍。

「ならば、私は大丈夫ですね」と私。


「分からない事であろうと答えなくてはなりませんよ。知らぬ存ぜぬは御法度。思ったことでも述べるのです。民衆は彼女を腐っていると罵りますが、若くして金國を統べる女帝。弁は達者で高貴な生まれ、それこそ貴婦人と呼ばれていた人です。才覚があることは確か、何百年と生きた私にも女王の思想は難解ではありますが、答え続ければ……きっと、ダイルさんなら道が開ける筈です」


          ○


 激励を貰い城門前へと足を運び佇む。あろう事か取り継ぎの兵の前で、私は何故かエアル直伝、男同士が組んず解れつの黒薔薇本をパサリと落としてしまった。「アッ」と間抜けな私の声に「何と破廉恥な、引っ立てぃ!」と衛兵にひざまずかされた。同じくして右にはボルチュ、左にはショゲンキと全く華のない構図が跪く。その上に、目の前では男の組んず解れつが風に靡きながらペラペラと捲られ、それはもう地獄絵図であった。


 暫くして、女としてはあまり意識し難く、黒髪はべったり化粧は薄口の女帝が現れた。草原の乙女でさえ花くらい髪に添えたりするものだが、特に装飾を施したりする素振りもない。服もまるで女っ気がなく黒で統一されている。


——これが黒薔薇と呼ばれる出立ちか


 なんてことを考えてつつも女帝の威厳は凄まじく、余裕を啄まれるかのように緊張は高まり、動悸と息切れに「あっ、えぇ」と私は吃り、風でペラペラッとページが巡り、その度に絵の中の男共は体を絡ませ合い、そして私の顔は青くなる。


「コレはソチのかぇ?」


 問いに私は条件反射のように「いいえ」と答える矢先であった……。しかし「わしので御座います」とショゲンキが我先にと手を上げたのだ。


——流石は年配者、率先して若者を庇ってくれた!


 そう思って肩を撫で下ろすと、狙い澄ましたかのように「僕ので御座います」とボルチュも続け様に手を上げた。


——嵌められた!


「誰の物かぇ?はっきりせんかい!」


 咆哮のように女帝の声が耳に入る。二人は「自分のだ」と主張しながらも目線は私へ……場に呑まれた私は(ここで手を挙げなければエンターティナーとして腑抜けだ!)と訳の分からね衝動に駆られ、とうとう手を上げてしまったのが運の尽き……。


「「どうぞ、どうぞ」」


 左右タイミング良くの渡し舟。こうして、私だけ物見別棟へと連行される運びとなった。


         ○


「そちは何ゆえ、この書物を持つ?」

「え、えぇ。ど、同盟を結べればと思いまして」と半死半生の身、なんとか言葉が垂れる。


「かような書物は金國周辺、タタル族の一端でも見た事がありんせん。これは、どういう趣向のもとに作られた物ですかぇ?」


 破廉恥書物を問いただされ、私の頭はまっちろけっけ。顔面蒼白。とりあえず話を変えなければと必死になって思い出す。


(結構な普請ふしんで御座います)

(造りは宗家そうけ珠玉しゅぎょく檜造ひのきづくりで)

(天井は宿木やどりぎ鶉木目うずらもくめ。左右の壁は砂摺すなずり。お床も結構、お軸も結構)


——ヨシッ、ここから挽回!バンカイ、卍解だ


「けっ結局はし、しんふ、で御座います、ね」


 意気込んだものの息は絶え絶え。しかしながら手応えはあった。強引にだが話を物見別棟に変えることに成功したのだ……たぶん。


「へぇ、新譜ですか」


 緊張の手前、相手の返答も良く聞き取れず。出来るだけ冷静沈着な風を装いはするも、奥歯はガタガタと騒がしい。女帝はペラペラと本を捲りながら顔は一層に険しくなる。……どうにもこうにも沈黙が怖い。私は破廉恥本を詰問される前に、再び別棟を褒める事にした。


「いや、あの〜。つ、造りですがね。造りはそううけ、しゅやくの、ひかり造りでして」

「なるほど、主人公は総受けなんですかぁ、ひかりの要素も取り入れるとは、爽やかに作ってるんですねぇ。キヤト族にはその道に通ずる馬人がいるとは聞いていましたが……驚きました。そうですか、誰でも受取る寛容な主人公とは新しい」


 女帝の言葉の意味は既に知らぬ存ぜぬといった次第だが、言葉を失えば死が待つのみだ。今し方、女王の口調が和らいだようにも見受けられ、ここが天下の分水嶺と私は腹を括った。


——このまま、別棟を褒めちぎっちゃる!


「やゃ!天下は、やおいのうっすら細目。左右のカプなら砂吐きで。あぁ、おタチも結構。こネコも結構」


「はぁ〜。私もです。私もです。やおい特有のインテリ細目は格別に良いものです。細目をキリリとさせながら二人で貶し合いつつも。あぁ、そんなカプならと想像するだけで砂吐ですぅ。確かにこれなら何方の殿方が攻めでも、受けでも言う事なし!同士。もし宜しければ同盟を」

「はいッ、よろこんで!」


 私は居酒屋も唸るような返事を一つ、何故かうっとりする女王と手をヒシと握り合いては、同盟を誓いあった。女帝は本を金庫にしまい南京錠に鍵をかけていた。同盟に差し支える破廉恥書物は見つからぬように処分してあげようという心優しき気遣いなのだろう。


 ようやくの安堵に顔を上げる。朧げに見えてくる別棟室内には数多の書棚。壁面には歴代の英雄達と見受けられる男達が凛々しく描かれ、机には山の様に積まれた封筒。彼女が歴戦の戦士を敬いながら仕事に邁進する姿が容易に想像できた。


——金國女王。素晴らしき人だ……


 窓には傾き出した太陽が後光が指すかの如く彼女に差し込んでいた。


「これで胸を張ってキヤトに帰れます。夜明けのような清々しさを感じます」

「私も夜明け派です。光も黄昏も良いのですが」


          ○


 なぜゆえ同盟が成立したのか大半が不明である。しかしながら「事が落ち着きましたら、エアル様と金國にお越し下さい」と書簡まで頂いたのは確か、同盟成立は間違いない事実である。


 風の噂によると「やおいの神に助けられたな」と誰かが言ったとか言わなかったとか。今となっては確かめる余地はない。やおいとは何なのか、まず意味が分からない。だが……まぁ、こうして同盟は無事に結ばれたのだから、万事良しとしよう。


 因みに話は逸れるが、ひと段落した後からショゲンキとボルチュの謝辞があった。私は男の土下座を好まない。女子ならば「おぉ、よちよち」となるが、この男達が謁見中に私を嵌めたこと、後世まで怨むとする。


 

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