第15話 花の子、テムルン
「人間さん死んでるでし」
「寝てるだけでし」
天窓から降り注ぐ淀みのない陽光。周りでちょこちょこと動き回る二足歩行。それはプリンセスを囲む七人の小人のより可愛らしく、小動物のより
ムクリと床から起きあがる私。体は軽く、快活な目覚めでした。部屋の中心にある天窓、布地を透過して降り注ぐ、やはり光を浴びて起きる朝は格別に御座います。
「わっ!起きたでし」
「はい、起きました……でし?」
甘い焼き菓子の香りに私のお腹はグルグリュリと鳴き叫び「あらあら」と目の前の細身の女性は手を当てて笑いました。赤面辞さない私。「どうぞココへ」と手招きされては、おずおずと近づく私。わらわらと弾ける小人。女性は私の「あらま」と呆けて開け放たれた口へ焼き菓子を入れました。甘くほろりと溶けるように焼き菓子は口の中で砕け、その甘美な舌触りに私は「まぁ、美味しい!」と舌鼓。
「こちらもどうぞ」とコップに注がれる乳白色の誘い。「アチッ!」と私は耳朶を摩りつつフーフーと落ち着きて、クピクピと舐めるように味わいます。茶葉の上品な渋みと風味、それをふわりと包み込むような少し酸味のあるホットミルクティーとお見受け致します。
「馬乳茶よ、美味しいでしょ。私の友達はそれに檸檬を入れるのよ」
「それはまた、爽やかで美味しそうですね」
「そうね~。でも毎回毎回レモンを入れるから、綽名はレモンちゃん」
「……それって、もしかして」
「そうよ、貴女のお友達のモンリクこと、現世名は
私はホッと肩を撫で下ろしました。見ず知らずの土地に知り合いがいることへの安堵感。それは砂漠にオアシスを見つけたような歓喜であります。
「昨夜の一件があって、モンリクは忙しくなっちゃうでしょうけど、落ち着いたら貴女に会えるように手配しますから、ここにいれば必ず会えますから安心してくださいね」
昨夜の一件。そのフレーズは現実をグッと引き寄せますが、何より、レモンが元気でいた事は嬉しい限りです。
「あ、そうそう。名前がまだでしたね。私はホエルン。テムジンの母です。よろしくね」
「よ、よろしくお願いします。千本アブミで御座います」
○
改めまして読者の皆々様。異世界にて再び相まみえること感慨無量に御座います。
私はウルジャと呼ばれる穏やかな河の上流を目指して南下しております。この草原、キヤトと呼ばれる地を統治するテムジンの妻ボルテ様と一緒に馬車を歩かせせ、ゆったりゆらり、のらりくらりの旅の真っ最中でございます。テムジン母ホエルン様の計らいもあり、ボルテ様がキヤトを案内してくれる事になりました。親切な人達で御座います。
「ボルテで良いわよ。草原の者は皆平等。歳も同じくらいだろうし、謙る必要も変に気遣う必要もないからね」
「それなら、私もアブミで……」
「だぁめ、それは現世名でしょ」
「では、どうすれば……」
「大丈夫。今から名をもらいに行きましょ」
本当に大丈夫でしょうか?名とは言え、こんなに現世日本の総理のようにコロコロと変わってしまえば、読者の皆様が混乱をきたさないか心配でたまりません。
朗らかな草原の目覚め。ゆったりと流れる景色を眺めます。向かいに座るボルテは優しげな表情で。この世界の事を教えてくれました。草原の部族のこと。自分たちの住まうキヤト族のこと。そして近隣のジャンダラン族。西にはメルキト族という大きな部族があり、東にはタイチウト族と北にはタタル族の中規模部族。最近に同盟を組んだケレイト族についても教えてくれました。そして、草原の民はその土地の呪術師から名を授かるそうです。
「乗ってばかりも疲れるわね。そろそろ、お昼にしましょうか」
「はい!」と頷く私。降り立つ地は赤青黄色と色とりどりの花の絨毯を敷き詰めた川縁。
「あぁ、住むとこも食べるものも心配しなくて大丈夫よ。今から行くアウラガ府に部屋が余ってるし、ちゃんと給仕もいるから。それより……貴女、裁縫の経験は?」
「ボタンの解れを直すくらいなら……」
「うーん、じゃ、大丈夫そうね」
これから向かうアウラガ府と言う場所で裁縫を習いながら「ゆっくりとキヤトに慣れて下さいまし」と言うのがホエルン様の意向だそうです。女の仕事は裁縫に馬乳酒づくりと相場が決まっているとかいないとか、兎にも角にも新生活スタートの兆しで御座います。
○
川のほとりで御座を広げる。バスケットからは香ばしいパンの香り。綺麗な花弁をつけた花達が太陽光を鱈腹たいらげている美しき光景。その中に佇む可憐な少女。その姿は芍薬のようにすらりと伸びた茎の先端に華麗な花を咲かせる姿と同じ、座れば牡丹、歩く姿は百合の花のような方でした。
「テムゲー」と走り出すボルテ。
「お姉様」とテムルン。
(あらま、なんと美しき姉妹なのかしら)と思いましたが、ボルテに紹介して頂くと、可憐な少女テムルンは義妹、この一帯を統べるテムジンの妹君になります。なんとも、あの豪傑なお方からは想像し難い妹君の可憐な出で立ち。でも、嫁いだボルテが言うのだから本当の事なんでしょう。
○
サンドイッチに乳茶のランチ。テンルンがパチンと指を鳴らすと赤い花弁が燃え上がりボルテの集めた焚き木に火を灯しました。温かな陽気に薪木の乾いた音。温めた乳茶は風味がよりいっそう濃くなり草原一帯に流れます。
コップに注がれる乳茶。「アチッ!」と私は耳朶を摩りつつフーフーと落ち着きてクピクピと舐めました。そうです。私は猫舌なのです。
「まぁ、お花で火を付けるのですね!」
「そうかアチは初めて見るものね」
「アチとは?」
「アブミの異界名。どうテムルン。可愛くない」
「良いですね。アチですか。異界名は分かり易いに越した事はないですからね」と微笑むと「どうぞ」と一輪の花を手渡されました。
薔薇によく似た紅き花弁の花「これは……」と私。「それは、
棘のない薔薇のような花を手に取る。
「これも、燃えるのですか?」
「安心して下さいまし。それは魔草花になる前の鑑賞用のものです。紅き花弁は火焔草。蒼き花弁が水草。その他にも音切り草や雷草、武井草なんてのもありますよ」そう言って彼女はちっちゃな袋を使って可愛らしい花束を包んでくれました。「これなら、ポケットに入れても大丈夫ですわ」
「花の香りは草原の乙女の必需品よ」とボルテがポケットの中の袋をチラつかせました。
「香り袋ですか。皆さん、オシャレさんですね。お花は他の草原にも生えているのですか?」
「昔は……今のキヤトでは此処だけになります」
「この場所でしか育たない特別なお花なんですね。綺麗なのに……」
サンドイッチをもりもりと食べる私を横目にテムルンは昔の話を聞かせてくれました。草原にはキヤト族やジャンダラン族以外にも今でこそ山岳部も含めタタルやメルキト、砂漠の先にオングト、その他コンギラト等々あるとのことですが、昔は住めるところも限られ、この地一体の草原は
「この地がまだ匈奴と言われていた時に小火が相次いだと伝え聞きます」
「知らないうちに魔草花に育ってた事も良くあったって聞くわ。ねっ、テムルン」
「えぇ、今では改良の末、音切り草のように音を拡張するような魔草花を使って一定の波長に反応させて火を出したり、水を出したりするのですが……それでも時たま大声でパチンと言っただけで反応する事があるのですわ」
「なるほど、だから今では子供を躾けるときに使われるのかぁ」とボルテが行ったところで私は首を傾げ「躾けですか?」と問います。「そうそう」とボルテ。「私は説明が上手では無いから、テムルンお願いね」
「そんな、お姉さま」と首をフリフリするテムルン。「私、気になります!」と省エネ生活をモットーにしている少年さえも首を縦に振らざる得ないほどの勢いで迫ってしまいました。テムルンは「そんな~アチちゃんの上目使いは反則ですわ」と根負けし話してくれました。
「あの……ですね、嫌わないで下さいまし。私の兄様達もそうなんですが、そのですね。殿方というのは多かれ少なかれ……その破廉恥な言葉を好むものでして、そのチン……、を大声で叫ぶのですよ」「ちん……?」「テムルン、はっきり言いなさい。アチはまだ分からないみたいよ」「お姉様、そんな殺生な」「そのチン……、ち、恥ずかしいですわ」
結局、何と言いたかったのでしょうか?その後、テムルンは顔を真っ赤にして俯き。ボルテはそんな彼女に「ごめん、ごめん」と誤っていました。魔草花の伝説は口にするのも恐ろしい闇夜の黒牛のように塗りつぶされた真っ黒歴史なのかも知れません。私はそっとボルテの肩を叩き「今度は教えてネ」と念を押すと「ヒッ!」と彼女は顔を引きつらせるのでありした。
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