タイチウト族長、愛の土塊

第13話 愛故に愛遠とし

 水泡を吐き出して馬が駆ける。冷徹な深海。沈みゆく乙女に手を伸ばす。――助けたい。想いとは裏腹に仄暗い水の底へと沈みゆく彼女の儚げな表情……。


          ○


 飲み過ぎて曙。ようよう白くなりゆく山際にはメェメェと浮雲羊がふわふわ列を成すように細くたなびきたりて頭がキンキンと痛い。ふんわりとする草原の朝風に「また、この夢か」と私は目をスリスリと擦った。


 どうやら私は栗毛乙女の名を聞いた後、泥酔してしまったようだ。伺うに小鬼軍勢メルキト族、土塊軍勢タイチウト族、双方に未だ動きは見られないものの警戒態勢を強いているようだである。素面しらふの皆々様が夜を徹して警戒を強く最中、私は目覚めて直ぐ我が軍の情報部隊を集め、勢力を上げて千本アブミの居所を探らせた。これを現世では職権濫用と呼ぶ。


「報告いたします。昨夜、可憐な栗毛乙女はホエルン様の家帳ゲルに運び込まれたと情報が入っております」

「うむ、出来した」


 私は「よっこら」と一言、重い身体を起こす。草原のあちこちで死屍累々に散らばる泥酔者が朝の日差しを浴びて体躯を起こしてはゾンビの如き千鳥足で自分の家帳へと帰って行く。


 私もまた、ふらふらと覚束無い足を懸命に動かし、栗毛乙女あぶみぃの元へと急いだ。手には可憐な花柄の傘。愛を込めて花柄を……といった具合である。異界にまで握りしめて持ってきた傘を受け取って頂きたい……ただの返却なんだけど。


           ○


 主君テムジンの母、ホエルンの家帳ゲルは広い。統治者たちが会議をする家帳アルスランと遜色ないと言っても過言ではなく並みのゲルを三つ四つ連結させたように立派な出立である。しかし、通称「鶴の間」と呼ばれるホエルンのゲルは開かずの家帳で、主君テムジンでさえも無断で入る事ができない。それで私は「待つしかないではないか」と独りごちる。あたかも渋谷ハチ公前で時間に遅れる彼女を待つ苛立ち混じりの男を華麗にそら演じていたところで馬蹄が響いた。


「変質者がいると聞いて来たが……何だダイルか」白馬に跨る小鬼の面構え珍友ボルチュの溜息。

「変態とはなんだ。私は紳士だ。変態紳士でもなく変態仮面でもなく。ただの変態……ではなく、紳士である」


「知った事よ。で、何してんの?」「別に」

 私は理路整然と堂々と利発的に一滴の淀み曇りのないまなこで見つめた。偽りなき我が心眼を捉え、変態と罵った珍友もさぞ罪の呪縛に苛まれる事であろう。


「……ホント、お前は何を考えているか分からないね。現世戻りもそうだ。殿の配下になって、なんですぐ家出なんかするかね」

「私が自由をこよなく愛する男だからだ」

「……モンリク殿が原因と聞くが?」


 訝し気なボルチュの細い目。これは紛れもなく疑いの眼差しと見受ける。「どうせオマエが原因だろ」と、それは不良生徒に有無を言わさず原因追求を迫る教師の澱んだ目にそっくりだ。


「オマエは私を疑っているな」

「……では、本当にモンリク殿が原因と」

「おぬしだって感慨深いところはあるハズだ。このところ母上は乙女の擬態が過ぎる」

「ハハッ、そんなの昔からではないか」

「闊達狼藉のように笑う所ではない!最近では私にママンと呼べと……」


 一陣の風が朝の陽光を浴びた草原の澄み切った空気をも奪った。刹那の沈黙である。その淀みを破るように「へ?」と友人の阿保丸出しの感嘆が漏れた。


「いや、その……ママンと呼べと言うのだ。分かるかこの屈辱が。幼な子からは指をさして笑われて、乙女の前となればとんだ赤っ恥だ」

「だからって家出まですること無かろう。ママン、良いじゃないか。ママン、ママンとは傑作だ」


 私は怒り心頭。まさに憤怒である。


「貴様に何が分かる。先生を間違えて『ママッ』と発した少年の気持ちが分かってたまるか!学校の朗読会で『うちのママは』と口が滑ってクラスが『あんな屈強な異端児がママと……』と、ざわつい経験をした男児の気持がお前には分らないのか。あぁ、分からんだろうな。あぁ相談した私が馬鹿だった」


 読者御一等。私は紳士であり手を汚さないのが常である。一発殴ればこちらの拳もシクシクと痛みむもの、それさえも私は好まない。清廉潔白な拳。そんな紳士的な拳を私は今も携えている。


 私は大きく息をすいて声色高く悲鳴を上げた。「きゃぁ、こんな所にゴブリンよ!」と、こんな具合である。


「不審者だ!であえ、であえぃ」「あそこだ」と駆けつける衛兵隊。「引っ捕らえろ」「メルキトのゴブリン風情が」と揉みくちゃ。あぁ愉快!あぁ絶景!


「こっちにもいるぞ」

「ぬな、それは私だ。ダイルだ」

「嘘をつくな!花柄の棒など抱きおって、気持ち悪い」


 こうして、私の夢にまで見た(いや、そんな素敵な夢を見たわけではないが)栗毛乙女との爽やかな朝は実現されることなく崩れ去った。


「喧嘩両成敗とは、まさにこの事だな。珍友」

「悪ふざけがすぎるぞ、ダイル」


 私たちは土ぼこりを落とした。


「そう言えば、殿に呼んで来いと頼まれていたのだ」

「それを早く言え、このバカちんが〜。では行くとするか」


 私は開かずの宮殿を泣く泣く離れたのだった。


           ○


 我が主君テムジン家帳ゲル


 一般に統治者はオルグやアルスランと呼ばれる広い家帳に住む。しかし、普段からフラフラと出歩き野宿を好むテムジンのゲルは並みの家屋に毛が生えた程度である。そこに親衛隊長が集合していた。

 中心には我が主君テムジンが座る。その右に軍前線を率いる槍のジェルメと弓のノヤンが鎮座し、その更に隣りにはチャカラ父とモンリク母(今はJ K擬態では無く実直な中年男として)。主君の左には義母弟ベルグティと実弟カサル、テムゲが座る。更にその隣りに私とボルチュと、まぁ男臭みっちみちという具合である。まだ話は序章だと言うのに……「お前らは出たがりか」


私はすかさず挙手。「殿!こんなに皆が一編に出られては読者が混乱いたします。それ以前に多数を描き切れる程、作者は手練れではないのですよ」


           ○


「さて、本題に入る。ダイル、土塊の動きが妙だ。金國にて調査を行え」


 金國とは土塊を送るタイチウト族より更に東位置する定住民の土地である。キヤト族の南を走る五美ゴビの砂漠を迂回する事でタイチウトを避け無駄な衝突なく情報収集が可能である。また、金國は土地も広く人も多い、千年龍を保持するほど強大で西夏、西遼と並ぶ大国である


「いやです」

「金國のショゲンキに話は通してある。好きな書物を受け取るが良かろう。最近では西方に若い美馬人の……」

「いやです。それでも嫌です。砂漠を越えるのは難儀な事を主君も知ってるハズですが」


「ふん。それでは、モンリク亭にあるオマエの部屋の桃色書物をアブミ殿にバラすぞ」

「あれは歴史的価値のある資料です!……クッ卑怯な。同じ男として恥を知れ」


 金國へ行けだと、何ヶ月かかるというのだ。これから私と栗毛乙女とのチュッチュムラムラな異世界スローライフ始まるのだぞ。ほぼ願望だけど……邪魔されてたまるもんですかい。ドラゴンの飛ぶ空の下、田を耕し魚釣りに耽り「私がこの世界のすべてを教えますよ。手取り足取り」「あぁ、なんと紳士的な殿方だこと」となんと素晴らしき世界だ。祝福したい限りだ。


「うむ。では、話を変えよう。皆の者にも聞いてほしい。これが最後の議題だ。これは深刻な問題である。馬人がバジンに乗った。まずチャカラ、モンリクに問う。お前達は馬人だと知っていて乗せたのだな」

「ですが殿。あの場では仕方なく」と母モンリクが前に出る。先程とは様子の違う深刻な空気が家帳の中を伝う。


「結果ではない。我々キヤトは草原の掟に叛いた。これは確かな事実だ。昨夜の一件で煙がたっている。情報が燃え広がるのも時間の問題。人の報を扱う者なら分かるハズだ」


 主君は私を見た。彼の指す人物。それは間違い無く千本アブミの事だと分かった。


「我々は選ばなければならない。彼女を処罰するか、逃すか……はたまた我々が草原を退くかだ。隣族ジャンダランは同じ過ちを犯して頭領の息子が責任を取り、土牢に呑まず食わずで三ヶ月間も閉じ込めたと聞く」


「それは掟とは関係ない!メルキトの陰謀だ。隣族ジャンダランを貶める為の部族間抗争に他ならない」

「確かにダイル、一理ある。しかし、草原の覇者に成り上がりたい奴は鱈腹いるのだ。盾しか持たず者も成り上がれ、それが今の草原一帯の世相である。今のキヤトに対抗が出来ると思うか。そして、この機を活用しようとする部族は現れないと言い切れるか。皆の意見はどうだ!」


 不条理を前に問いただされた皆が俯く。……が、私は不条理をゴクリと呑み込み立ち上がるのだった。

 

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