第9話 流鏑馬
私達は那須神社に着くや茶けた馬に挨拶を交わし明日の練習に汗を流します。その後はパジャマパーティーを厳かに敢行し、たっぷりと眠りました。
○
読者御一等、御安心なされ。
私は街灯もない山道を293と書かれた青い看板だけを頼りに四刻ほど歩き氏家市にある「太陽の丘」と呼ばれる場所に陣取った。無論、敵はいない。強いて言えば「敵は飢えと寒さにあり」と言った具合である。
夜間に雨は収まり、静まり返る山間は小鬼の一人や二人出てきてもおかしく無いほど不気味で葉音だけが響いている。有難い事に薪をブルーシートの下から見つけ暖を取ることに成功した。ここまで来る途中、道端に落ちていた如何わしい絵の書かれたマッチを拾って置いたのが功を奏した。「けしからん、幼児の目に毒だ」と一言添えるだけで冷たい視線を避けられる事を私は昔から知っていた。紳士的に桃色資料を拾う日頃の行いが此処に来て生きた。しかし、まぁ夜中にパチパチと焚き木の乾いた音を聞くと屈強な魂を持つ私とてセンチメンタルになってくるものだ。ウララが居なければ異世界には戻れない。我ながら家出とは馬鹿な事をしたものだ。
雨が止み雲が散り、気づけば考え深い月夜である。くよくよしてても仕方がない。それより思えばウララの言葉には引っ掛かりがある。腰を据えて考えようと、私は「さて」と呟き近くの切り株に腰掛けた。
ウララは「ダイル――」と私の名を呼んだ。それは呼び止めたのではなく、救いを求める声だったのかもしれない。そうなると次に続く「那須神社――」である。犯人の行先も私と同様に那須神社である可能性が考えられる。そして「お先――」である。単純に考えれば先に行っていると意味に聞こえる。しかし、犯人に捕まり先に行ってるよとは随分と悠長である。
ここで選択肢は二つ。一つは犯人が実は顔見知りである事。もう一つはバレないように犯人の手がかりを伝えようとしたか。の、どちらかが考えられる。
まず前者から考えていこう。前回から語るに私は友達が少ない。決して黄土色のくすんだ金髪を隠すためにスプレーで着色したところ、染めそこなったヤンキーのようになってしまってクラスに馴染めないというわけではない。本当に友達が少ないのだ。ましてや対人恐怖症の美少女やギャルゲー好きの美少女とお友達になるといった夢見心地な展開など露となかった。現世家族と異世界家族、そして一時同居していたジャムカという青年と橋の下に住む橋下さんと……こんなところだ。もう一人異世界にボルチュという名の容姿がゴブリンに限りなく近い珍友がいるがここでは割愛させて頂く、本当に詰まんない男なのだ。
ここでまだ全貌の明かされていない異世界家族について述べる。私を養子にしたいと言った男、モンリクは実は母である。……はい、最初からパニック。空いた口が塞がらず口腔外科に飛び込む読者の顔が目に浮かぶ。私も当初はそうだった。姿形は紛れもなく中年男性ではあるが衣服は確かに女性である。そして呪術師を友に持つモンリク母には羊骨で擬態を作り上げるという悪癖があるのだ。年甲斐もなくうら若き乙女に変化したりと困ったものである。家出の原因も母にある。それは……まだ、やめておこう、時がくれば明らかになるであろう。
では父はいるのか……これがちゃんといるのだ。チャカラという爺様である。爺様というには少し早く六十前半ではあるが、全く奇怪な夫婦であることに間違いない。いくらジェンダーフリーの世といえど読者御一統が理解に苦しむのは手に取るように分かる。まぁ、追々慣れていただければと思う。
どちらにせよ、この中に車所持者はいないことを知って頂けたのではなかろうか。父に免許を作ったと自慢気に話された事もあるが、悪ふざけも大概なものだ。そんな紙切れは使える訳もなく、使いたくも異界に車は無い。異界の民は馬で移動するような民族ばかりである。これで犯人が身内である可能性はグッと低くなる。
さて次は後者について考えていこう。「お先――」が何かしらの犯人に繋がるヒントではないかということだ。もし現世に少年探偵なるものがいたなら後者を選択するだろう。なぜ故か。それは、その方が読者受け間違いなしだからだ。コンビニで紙タバコを買うのに万札で支払う男を見た際「あれは偽札では?」と怪しむことこそが名探偵の第一歩となろう。名探偵を目指す少年達よ、お試しあれ。もしそれで何らかのトラブルに巻き込まれても筆者は責任を負いかねますのでどうかご容赦あれ。
ではお先に続く言葉とは何か……。
一つ。お先真っ暗説。ウララは今後の自分の身を案じたのかと思われる。
二つ。ミサキ説。御先と書いてミサキと呼ぶ。これは神が使者として遣わす動物を指す。主に烏や狐がある。
三つ。
〇
「暖かいでし」
「地獄に仏とはこのこと」
「人間さん、死んでるでし」
「寝てるだけでし」
私はうつらうつらとしていた目を開いた。そこには妖精が二人鎮座している。貧相な少年と犬を天界に導くような、はたまた夜な夜な靴を仕立てるような、そんな事を想像させる
「人間さん、人間さん。腹減ったでし」
「お恵みあれぇ〜」
私は促されるままジャージのポケットを漁ったが神仏の恵みは全て胃より先にある。あるのは如何わしい絵の書かれたマッチの空箱とスマイルバーガーと書かれた、スティック状に包まれた砂糖だけであった。
「それです。それが良いでし」
「癖になるほどの甘美な匂い」
妖精は私の手から砂糖を取り上げると「開けてけれ」と頼む。私は徐に封を切った。零れ落ちる砂糖を両手で掬うように受け取る妖精。古来より妖精は天よりの御使であり私は死んだのかとも考えたがそんな様子では無い。ならば「人類が衰退したのか」と考えるべきなのか……答えは出ない。
「有り難き誘惑の白い粉」
「虜にする魅惑の粉。なんとも魔薬的」
時たま度し難い発言もある。妖精が天からの御使で無ければ別説も考えられる。女を抱かずして三十を超えると妖精か魔法使いに転職可なのだそうだ。
「ではでは、コレあげるでし」
「アイナップでし」
「近くの羊を呼び寄せる……でし」
妖精が手にする角笛を受け取った。ぷぉ〜んと間抜けな音が木霊する。ストンと手元に落ちる解体済み乾燥羊肉。
「何とも現代に
「何故、現世に浮雲羊?」
「わからんでし」「でし……でし?」
そう言い残すと勝手気ままに妖精は消え去った。私もこのままでは妖精になって仕舞うのではなかろうか。実年齢三十オーバーの華の無い人生を歩んだ私は羊肉を焚き木で炙りつつ不安に打ちひしがれた。ウララを迎えに、そして栗毛乙女ともう一度……私は大きく深呼吸を一つ、香ばしい羊肉にかぶりつく。朝もまだ明けきらない枯れ葉舞い散る道を「よっこら」と一声、歩き出した。
○
霊言あらたかな那須神社の朝露の匂いで目を覚ましました。気持ちが良いとです。色づき始めた草木の梵が板張り廊下のドタドタという音と共に木霊していました。忙しない寺院。夕刻には
流鏑馬とは馬を走らせながら、
〇
徐々に暮れ行く庭園。秣を食す茶けた馬の首を撫でる。神社裏の馬小屋は本殿の喧騒とは一線を置くように閑散と静まり返り、萌え木の靡く音が心地よいメロディーを奏でていました。
金襴生地を用いた直垂を羽織り藺草で編まれた
刹那……時間にして一瞬の出来事でした。ピューイという口笛と共に馬が棹立ち。走馬灯ように時間がゆっくりと流れる中で私は落ち行く。見上げる空は天高く「怪我だけですむかしら?」と私の心は弱り腰。頭から落ちたらもしかすると……急に死の恐怖が私の心を襲ったのです。怖いのです……。
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