第10話 おっぱい殿様

 ピューイという口笛と共に馬が棹立ち。「あーれー」と落ちて行く私を馬と化したウララに乗った親友がナイスキャッチ。「何奴」と薙刀を手にした茶加羅爺が私の前に立ちました。


「神主、何をやっている」

「私は何も。林の奥から口笛が聞こえたかと思ったら馬が急に」


 地を這う黒き影が二体。土壌を遊水するように動いては飛び魚のようにはぜる。姿形は未だ原型を留めておらず魚のように地を泳ぎ槍のように突き出ては茶加羅爺を翻弄するのでした。 

 祖父の薙刀が影を弾く度にカチンカチンと鉄を打ち付ける乾いた金属音が響きます。興奮する馬は大暴れ、神主様は「如何しましょう、流鏑馬イベント始まっちゃう」と大慌て。そして「御免」と一言、神主は何処かに去って行きました。


「モンリク、呪術の類か」

「その名前で呼ばないで」

「れっ、レモン」

「はい、貴方」


 夕暮れの涼やかな風が二人の紅に染めた頬を優しく冷やす。これも一つの愛なのでしょう。我が友が道を踏み外していないかを心配する余り、私は大切なモノを見失っていた気がします。互いの同意の元ならば爺がJKと結ばれる事も良しとしなければなりません。世界は広く考えも多種多様な世の中なのですから。


 林の影から二射、一本の矢は茶加羅爺の薙刀に振り落とされ、もう一本は暴馬の脳天を貫きました。パタリと倒れる馬体。飛び掛かる二つの影。薙刀の二太刀。斬られた蠢く深影は霧のように弾けては収束し再び形を成す。


「しぶとい!しぶといぞ、老兵。そこの馬人を渡して貰おうか」


 黒き陰の林の中から怒気を露わにした男性の声が響きます。


「ワシの名はチャカラ。卑怯者めぃ。我が名馬ルナを射殺しおって!林から出てこんかい」

「ルナ?何だそれは。それより、私は人見知りなのだ。顔を見せる事はハズカシイから無理につ候。しかし、名くらいは名乗ろうぞ。私の名前はジャラ……」

「馬を殺すような奴の名なぞ聞きたくもないわ」


 茶加羅爺は二体の影に苦戦を強いられながらも、勇猛に戦っていました。その時……。


「危ない!」


 私を庇う親友の胸に一矢、弓矢が突き刺さる。力なくパサリと私にもたれかかる彼女。親友の青ざめた顔。私たちを乗せるウララが「ヒヒン」と泣いた。口をパクパクと震える少女を抱き上げる。私の頬を一滴の涙がツーっと撫で、やがて少女の顔へとポタリと落ちました。


「大丈夫。また異界で会いましょう」彼女が囁く、「モンリクーー!」と茶加羅爺が叫ぶ。


 虚脱する親友。「イヤーーーー!」と半狂乱に叫ぶ私の声。「泣かないで……そして、チャカラ、モンリクとは……呼ばないで」と言って消える少女の陰影。コトリと落ちる獣の骨。


「クソったれぃ。ウララ!アブミを連れて殿の元に行けぃ」


 茶加羅爺の声を聞きウララが走り出す。風を切る速足からの駆足、そして襲歩へと加速する。それを追うように林の暗闇から放たれる二本の矢。一矢は茶加羅爺が払い落とすが、一矢が私の背へ迫る。高鳴る鼓動。


「しまったわい!」


 夕暮れ、紅に染まり行く天空を駆けるように茶けた馬が私の上を跳躍する。額には白毛で三日月の模様。スタンと着地。乗り手、騎手が身を呈して射籠手で矢を弾く。その後ろ姿は……と思考する中、目の前の映像は遠ざかる。気づけば映画のカットように眼前には青く深い夜の帷のような空間が広がり、ウララちゃんと共に走っておりました。


           ○


 私はとうとう辿り着いた。疲労困憊の足を一歩、また一歩と進める。「まだか、流鏑馬はまだか」と呟く爺様婆様の烏合の衆を掻き分け進む。と林檎飴をぺろぺろと舐める少年の姿が見て取れた。この少年には見覚えがあった。馬人である。深夜を想像させる紺色の着物に赤い帯、三日月を浮かべたキャップを深々と馬耳を押し潰すように被っている。


「オマエ、何をしている」

「僕は神だ。この地、この祭典より捧げられるものは、全て神である僕のものだ。それより、貴様は誰だ」

「神と対話が出来る。コレ即ち私も神だ」

「ほほう、貴様も神を名乗るというのか」


 とここまで会話が進み私はゴチンと少年の頭を叩いた。「痛ッー」としゃがみ込む少年。


「貴様、神に何という冒涜。我が名はルナ、月よりの使者」

「その辺にしとけ、シンボリ。見っともない」

「僕をその名で……って、なんだダイルさんじゃないですか」


 彼の要望において今後はルナと呼ぶことにする。聞くにルナは本日行われる流鏑馬イベントのために異界より訪れてたという。本番当日になって代わりの馬が来たと連絡を受けぶらぶらと祭りを楽しんでいたのだというのだ。楽しんでいたとまでは言ってなかったが林檎飴をぺろぺろしていて楽しんでいないとは言わせないさ。


「あッ。ダイルさんじゃないですかぁ。御立派になられて、さぞ騎射の腕も上げられたことでしょう。流鏑馬に参加されては……」


 こちとらも見覚えがある。那須神社神主と見受ける。やはり、これ程の者となれば、能ある鷹は爪を隠すと言われても分かってしまうものなのだろう。あと少し気づいて貰えなければ、私すら実力を見失い「私って能足りんになのでは?」と自信喪失を辞さないところであった。


「良いんですか、ダイルさん。家出中でしょ」

「そうだったな、ルナ。神主、申し訳な……」


「きゃ〜、ダイルさんよ!」

「テムジン様の近衛大将よ」

「ノヤン様より強弓が放てるらしいわよ」


「巫女達にそこまで言われては仕方がない。相分かり申した。引き受けましょう」

「すぐ、安請け合いするのだから」


 私はルナの溜息を軽くながし、神主に差し出された服に着替える。古来より伝わる綾藺笠(あやいがさ)を被る。鹿の夏毛を用いた行縢(むかばき)、射籠手、尻鞘、熊毛の毛沓を履く。ジャージの上だが良いのだろうか?「良いの良いの、流鏑馬が出来ればそれでええのんよ」と神主。


          ○


「なんで、そんなものにつられてしまいますかね」

「うるさいな。オマエも早く準備しろよ」

「わかりましたよ」

「そう言えば、その林檎飴、如何した?」

「店先の物を頂きました」


「へ?」「え?」

「ダイルさん、僕は神ですよ。神祭の捧げ物を僕が食して何の問題があります」

「なんだ、兄ちゃん。その子の知り合いかい。りんご飴代、五百円」


 不味い、不味い、不味い。もう不味いしか言葉がない。ピーマンとゴーヤをミキサーにかけ飲み干したくらいに不味い。


「へっ?いや、人違いですよ。ハハハ……(ココは私だけでも逃げ……)」

「頭が高い。このお方は私の主なるぞ」


「ハハハ」

「ハハハ……」


 こんなに長い間見つめあうとはああ恥ずかしい。いややわぁ、林檎売りのおじさまったら……


「逃げろ——!」

「なぜ、神が逃げなくてはならない」

「いいから、早く馬になれ」


 少年が馬になったことに驚きもせず林檎飴売りは怒髪上がりて逆立つ剛毛が天を衝く勢いで追ってくる。拍手喝采も早々に私は三つの的を射抜き林の中へと駆け去る事に成功した。煙に巻こうとする我々に「料金を払わなければ、その瞬間に貴方の股間の宝石は砕け散る事でしょう」と言い放たれ、私は恐ろしくなりルナの横腹を叩き更に加速した。


 林が開ける。目の前から猪突猛進の如く鬼気迫る物体が押し寄せる。もしかして先ほどの怒髪天のおじ様なのでは……「我が男児としての一生もこれまで」と諦めかけたその時であった。ルナが切り株を足場に跳躍する。私の下を過ぎたるは麗しいの栗毛乙女であった。


 スタン、と華麗に着地するルナ。私は無我夢中、飛ぶ鳥を落とす、実際に飛ぶ弓矢を射籠手で落としたが、凄まじい勢いで彼女に傘を伸ばした。


「お嬢さん、傘を……」


 しかし時既に遅し、栗毛乙女は異次元の彼方へと去っていた。暫しポツンと佇み、入れ替わりように異空間を駆け出て来たのは栗毛の馬スズカと、それに跨る若干二十歳にして自称草原の覇者と偽る我が主君テンジン。そして引き馬のカレンだった。そして我が殿は私を見るなり「おっぱい」と、さながら「ドンマイ」とでも言うかのような軽い言葉を漏らした。


 私は吹き下ろす寒風に身を震わせる。目の前にはチャカラ父と羊の骨。紅葉し落ちるる葉、地には蠢く影が二つ。倒れる馬体。そして、我が主君にして馬に乗る破廉恥殿様。


 現世に戻れば金がなく

 前世の記憶に華は無い

 異界の主君は破廉恥で

 とかく、どの世も生きにくい


 私は訳の分からないシチュエーションに溜息を漏らした。

 

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