第7話 家出少年放浪浪漫
私は考える。「ダイル!」と大声で叫ぶ女子高生。見ず知らずのハズなのに私の名前を知っていた。普通、名も知らぬ男女が言葉を交わす時「今日はお日柄も良く」をクッションに「君の名は」と言葉が続くハズである。前前前世界からの知り合いだったとしても名が昔と同じとは考えにくい。僕は友達が少ないのは滞りなく、現世においても我が名を知る者は数少ない。妹、兄、失踪した父母ぐらいなものだ。ましてやJ Kが私の名前を呼んだとなると、もう事件の匂いしかしない。これもあの時、裸体を晒し追われた腹いせにと乙女を追っかけしまった罰なのか……天命危うしブタ箱よコンニチハ。
「あ、あのー」と別れ惜しむ栗毛乙女の声を背中に抱き、私は「逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだブ〜」と言いながらスタコラ逃げた。私の思いとは裏腹に体は逃亡を選択していたのだ。私はぽつぽつと雨降る畦道を無闇に駆けた。ギャロップの足音のような雨音湿るトタン屋根、流るる田園風景を横目にパッと手に持つ可憐な傘が遊ぶ。(持って来てしまった!)私は右手に握る花柄の傘を眺む。如何したものかと考えに耽っていると、腹が「ぐぅ」となったので一欠片の乾酪を口に含んだ。
乾酪とは馬の乳から作られるチーズのような保存食である。異世界の民は乾酪を携帯する。私も「これだけは」と着物解れる異空間でしっかりと乾酪だけは握っていた。それは現世のスマホに似ている。出先で忘れた事に気づけば引き返そうか本気で悩むくらい、それはもう依存に近しいくらいに携帯するが津々と眺めたりはしない。夜な夜な弄り回す事もしない。乾酪は馬の乳を発酵させて作った馬乳酒を更に煮立たせ酒を作る過程からでる残り滓である。それを固め乾燥した物である。
口に入れた乾酪は最初、石のように硬い。暫しクチクチと舌の上で転がすとまろやかな甘味が口の中に広がり出す。気持ち少し膨らんだ感覚を得る。私の主君テムジンは乳房の柔らかさになるまで舌で転がせと言う。まるで乳房を舌で転がした事があるかのような発言である。破廉恥極まりない。遺憾である。
話はやや逸れるが耳朶の柔らかさは乳房と同等だと聞いた。これはテムジンが父から学んだ事だという。親子共に破廉恥で遺憾である。
そして、良い子は真似しないで頂きたいのだが走る車から手を出し空気を包むようにすると、まるで乳房を包む感覚と同位なのだと聞く、これは橋の下の橋下さんに教わった事だ。私は家なき子から車には縁のない生活を送ってた故に確かめようのない事実で、車を持たない橋下さんも何故ゆえに知り得たのかは今や闇の中である。世の中の男は紳士的な私を除き、みな破廉恥で遺憾である。
○
暗くなりつつある国道293を歩く。看板には大谷と書かれていた。察するに転移の座標があまりずれていなかったことに安堵した。二日も歩けば当初の目的地であった那須神社にはたどり着くであろう。近くには長兄の通う大学や懐かしの我が城、中央多目的公園もある。なんなら別荘、三原公園だってある。しかし、二日飲まず食わずで歩くのは危険である。異界人は乾酪で一冬を越すといわれるが、もう既に私の腹はグルグルと催促を始めだしていた。それに対して那須神社は遠い、馬なら四刻で着く場所ではあるが……今、ウララは何処にいるのだろうか。
〇
さて、困ってしまいました。私の困りごとは二つ。一つはミイラ男が牧田先生だったことです。明日は部活をお休みするので問題はありませんが、今後の部活動に少なからず影響しそうなので心配でなりません。
もう一つは私の傘を持っていかれてしまったこと。今日は雨が降る予報だったので歩いて登校したのです。世の中には合羽という優れた雨具があり、それを着ていれば、雨にも負けず風にも雪にも夏の暑さには……負けそうですが、雨降る中でも自転車に乗れるそうです。私はカッパとは古より伝わる河川の妖精で尻子玉と呼ばれる大切な何かを奪う恐ろしいものだと教わっていました。それを雨具に使うとは人間の欲深さはカオス理論さえ超越するものを感じ、末恐ろしさを感じ傘を愛用しています。
私が困っていると親友が傘を貸してくれました。何故に傘を二本持っているかは存じえませんが大変助かりました。隣に立つウララちゃんは黄色の合羽を着ています。似合っています。そして、私達はしとしとと秋雨の降る国道293を歩きました。
「アブミ、流鏑馬の練習してる?」
「うん、今日もこれから那須神社に行く予定」
「明日だもんね。私も前乗りしちゃおうかな」
「えっホント!嬉しい」
傘がなくて落ち込みつつあった私ですが、友とのパジャマパーティーなる催しを敢行できそうな気配に響めきました。軽くガッツポーズを一つ「ウララも、ウララも」と幼女もハシャギました。その時、風がピューと吹きウララちゃんの雨合羽のフードをはためかせます。風に揺れる淡い桃色の髪に馬耳がピョコりんと姿を出しました。私は徐に結った髪を解きました。
「同じだね」
「同じ、同じ」
親友はふっと肩を撫で下ろしました。力無く落ちるドット柄の傘が風に揉まれ二転三転すると、ヒシッと私は抱きしめられていることに気づきました。母にも似た温もり、両親のいない私にとっては図らずも確かな深情として伝わる温かな抱擁でありました。
「濡れちゃうよ」と私が傘を差し出すと「辛かったね」と彼女は一言呟いて更に強く抱きしめるのでした。私は彼女の黒髪を二度撫でました。
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