第5話 求む!栗毛乙女

 私は万事ミッションをコンプリートし、意気揚々と校舎の外に出ていきました。靴をトントンと弾ませ踵を鳴らし、見上げる空は天高く雲は多くも秋晴れ。本当に今日は雨がふるのかしら?と思いつつ、こんもりとした山の上の校舎の裏手側、にょきにょきと生える雑木林を縫って弓道場へと進みます。


「アブミ、遅かったね」と部員たちが声を掛けてくれます。礼節な道場にほんわか空気が漂う今日この頃。破廉恥捕獲作戦は未だ勝利の兆しなし、と皆が話し合っていました。精鋭部隊を持ってしても逃げ延びる破廉恥男、恐るべし。


 タンッ、タンッと矢を射る音が時の経過を映し出し、辺りは次第に暮れてゆく。東から姿を現す蒼白の月と負けじと張り合うオレンジの太陽。肌寒く感じる空の下、私はこの秋の空が好きでたまりません。食欲の秋。今日の晩御飯は何かしらん?と考えるだけでハッピーこの上ない。どうか、天高く馬肥ゆる秋となりませんことを祈るばかりで御座います。


     〇


 読者御一統。心配語無用


 私は世界のピンチに異世界を渡り、異次元回遊の果て身に纏う衣服は素粒子となり消え失せた。残ったものは一欠けらの乾酪だけ。その哀れな神にどうか清き一票を。清くなくても構いません一票を。


 転移予定地の那須神社から、どれだけ離れているのか?予定外にも程がある。こんもりとおっぱいのように隆起した山の上の学舎に行き着くとは想像もしえなかった。私はこの学舎を「乳郭」と名付けた。それはどうでもよろしい。異次元を駆ける馬「なにそれ、ちょーかっこいいじゃん」などとほざいていた自分が情けない。さすれど、ピンチをチャンスに変えられるのが私の隠したる特技。能ある鷹よいつまで爪を隠す。隠すなら、前を隠せ。


 学舎を彷徨い、少年少女からは「変態」と罵詈雑言を浴びながらの必死の逃亡劇。追われて追われて、時に可愛らしい乙女を見つけては追ってみて張り手をくらい。愛馬がいないことに気づき、なぜ我追われるのかと必死で模索した結果、真っ裸だからという結果に至った。まさか布切れ一枚や二枚を纏っていないだけでこの仕打ちとは、と再考もしたが何度思い悩んでも服を着ていない以外に私に落ち度がない。どうやらそういうことらしい。読者御一統の中には私のように衣服という布切れを軽んじてる者もいるかと思う。私はそんな君たちに神の啓示を与える。


「服を着ろ。裸体を晒すな」


          ○


 私がほとほと困り果てていると女神が降臨した。これは比喩である。神は私である。そこは間違えないで頂きたい。断じて彼女は神ではないが彼女はカワユイ。目の前に現れた栗毛の乙女は私を避けることなく名案をたたき出した。「トイレに行かれては」と。何たる啓示。神のお告げこれ如何に。話したい事は山ほどあったが、私はすたこらと駆けだした。私は逃げて逃げて逃げおおせ、学舎の外、惨憺たる厠に行き着いた。現代語訳すれば薄気味悪いトイレである。

 白色電球がチカチカと点滅を繰り返すさなか、奥の個室を陣取りカギを閉め夜を待つ。ものの数分で寂しさと侘しさと物悲しさで充満する胸中を、私は「おっぱい、おっぱい」と念仏のように唱え恐怖に打ち勝った。


          ○


 天井が斜陽の西日に照らされる頃。麗しの栗毛乙女の声が聞こえてきた。私は飛び出したい一心であったが、がたりと物音がして私は便座に腰かけた。とうとう見つかってしまったか!と胸中が不安とおっぱいでいっぱいになった。隣の個室に入る音がする。


「ふぅ、ギリギリぎっちょん間に合った」


 安心しきった中年男性の声。どうやら追手ではなさそうだ。そして、私はかつて師匠と呼んだ橋の下の橋下はしもとさんの旧友、秀才イェスゲイの話を思い出した。「なければ奪えば良い。君のものは俺のもの、俺のものも俺のもの」これはイェスゲイが嫁を奪い取った時に吐き捨てた言葉だ。「イェスゲイなんて何処の何奴だよ」と当時は思った、しかしそれはジャイアン理論と合致する。多種多様な人々に語り継がれている偉大なる論理思考。猫も杓子も論理に縋れ。


 やる事は決まった。あとはこの四方に隔てられた壁の攻略を考えるのみとなる。内からはカギのかかるこの密室の難攻不落というべきトイレをどう攻略するべきか。私は天を仰いだ。そして、神は私を見捨てることはなかった。もちろん本当の神は私だ。

 私は銀色のペーパーホルダーに足を掛け壁をよじ登る。このトイレと呼ばれる難攻不落の壁の欠点は天井が開いているということだ。私はプライバシーの壁を一気によじ登り、スタッと見事に隣へと着地した。


「何、なになに誰。どういうこと?」


脂汗を掻いていた男はパニックに陥っていた。「安心して下半身をむき出しにするとは笑止千万」私は嘲笑を一つ、男の隙を突きズボンとパンツを引きはがした。動揺する男を尻目に上衣も剥ぎ取った。


「これだけは」と中年男性が追い縋る。「上衣も必要なんじゃい」と私。天高く馬肥ゆる秋の空、東から姿を現れる蒼白の月と負けじと張り合うオレンジの太陽の如き乱戦であった。

 そして、太陽のようにまるまる肥えた中年は沈む。我ながらに鋭敏な仕事であった。これでやっと栗毛乙女に会える。「嬉しい!楽しい!大好き!」と声を張り上げたかったが作者の年齢が露呈することを恐れ、思うに留めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る