第163話 教皇併立⑧
マルメディア 首都ノイスブルク 王宮 国王執務室
「これはまた、凄い内容のチラシだな」
聖教会改革派委員会が…実態は、マルメディア外務省第5局(マルメディア情報部)と聖教会の一部で作り上げた新たなチラシが、ノイスブルク市中で、いや、マルメディア国内全土で配布されていた。
その内容は『新教皇クレメンス10世の叙階をせずに放置している前教皇アルミニウス6世は、教皇という地位によほど旨味があるのか退位しようとしない』『信徒には清貧を押しつけるが、自らは華美を好むアルミニウス6世を退位させずに座視している教皇庁は、巨木の内部が朽ちて空洞化になっているのと同じである』とある。
———今回も舌鋒鋭いな———
「このチラシの最後の方には『アルミニウス6世には、愛人がいるという疑惑がある』と書いてあるが、これは…」
「ああ、それは完全に虚偽です」
虚偽の文面だと、外務省第5局局長フォン・ヴァイゼンが平然と言った。
「いや、さすがにそれは…」
「このような場合…相手の権威を失墜させる為に虚実織り交ぜて、その中に事実を一つ二つ混ぜておけば、あり得ないような虚報も事実ではないか、と人々は思うようになるのです」
ううむ、『嘘も100回言えば真実になる』って言ってたのは、たしかゲッペルスだった筈…
こちらは事実が含まれている分、ナチスよりはマシなのか?
「…だが、虚偽に基づく弾劾は、単なる誹謗中傷でしかないのでは?」
フォン・ヴァイゼンに尋ねてみる。
「この件につきましては、色々と手を打ってあります。どうか御安心下さい」
何やら腹案がありそうだが、これは聞かない方が良さそうだな…
———恐ろしいな。外務省第5局が敵に回ったら、この国での行き場が…いや、外国でもか、この世での行き場が無くなるな———
フォン・ヴァイゼンは『この業界』の専門家ですから、任せておけば成果を挙げてくれる筈です。
「うむ。では業務に戻ってくれ」
「それでは退出いたします」
一礼してから、フォン・ヴァイゼンが執務室を立ち去って行った。
「いやいや、私が外務省第5局の標的でない事を、神に感謝すべきなんだろうな」
執務室にいた摂政のフランツ公が、思わずそのように漏らしていた。
「暗闇で、いきなり銃撃されるのと変わらない。避けようがないな」
「日頃の行ないに問題がなければ、第5局が敵に回ることはありません」
「まぁ、そうだな。天地神明に誓って、この私の行ないは極めて真っ当なものである、と言える…筈だ」
「では、真っ当な仕事をする為に、溜まった書類を処理していきましょう、叔父上」
「…また随分と人使いの荒い陛下であらせられることか」
泣き言を言いながら、フランツ公は書類と格闘を始めた。
◆
マルメディア ニアルカス 教皇庁 聖レオンハルトの間
「ここから退去しろ、だと?」
アルミニウス6世が絞り出すような声で、新教皇クレメンス10世の使者を脅していた。
「は、はい。この聖レオンハルトの間は教皇執務室ですから、クレメンス10世聖下がお使いになられる予定です。カザンスキ猊下におかれましては、早急に用意してある枢機卿用の部屋への移動を…」
使者の司教が、そのように説明した。
カザンスキか。
久しく、その名で呼ばれた事はなかったな。
頭の片隅で、そのように感じていたアルミニウス6世だった。
「…よかろう。移動については部屋の片付けもあるので、少々時間が必要だ」
「…そのように聖下へお伝えいたします」
一礼して、使者の司教は聖レオンハルトの間から出て行った。
「…恩寵式も執り行われ叙階されて、教皇になったからな。こればかりは仕方ないか」
そう呟く、アルミニウス6世だった。
「だが、この部屋を明け渡した程度で、余が教皇の座を降りたと勘違いされては困る。正統な教皇は他でもない、余なのだ」
何か回天の一撃がある筈だ。
『聖教会改革委員会』の奴らに、思い知らせてくれるわ。
黙考している時に、扉を叩く音がした。
「何用か?」
以前なら扉の前には衛兵がいて来客の取次をしていたのだが、衛兵はクレメンス10世警護という新しい任務の為に、聖レオンハルトの間の前からいなくなっていた。
「聖下、リピンスキです」
「教理省長官か。入りたまえ」
扉を開けて部屋へ入ってきたリピンスキ枢機卿の顔色は、赤く染まっていた。
「聖下、また『聖教会改革委員会』のチラシが発行されておりました。今母も極めて悪質な誹謗中傷が書かれております」
そう言って、リピンスキは手にしたチラシをアルミニウス6世へ渡した。
「…おのれ、余に愛人がいるだと。ふざけおって」
「何か打つ手がある筈です。このままでは、この聖教会改革委員会に押し切られてしまいます」
リピンスキは悲痛な声色で訴えた。
「…なるほど、そうか。そういう事か」
「聖下、この状況を座視している場合ではありません」
「そうではない。こちらから『聖教会改革委員会』へ仕掛ける」
アルミニウス6世は、仕掛ける内容についてリピンスキに話し始めた。
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