第156話 教皇併立②
マルメディア ニアルカス 教皇庁 首席枢機卿執務室
「何です、これは?」
首席枢機卿ウィトゲンシュタインが従者マルコから渡されたチラシを読んで、思わず口から出た言葉だ。
「ニアルカス駅前で配布されていた物を入手いたしました」
チラシの内容は、教皇アルミニウス6世の贅沢三昧ぶりを糾弾。追従する教皇派枢機卿にも神罰が下されるであろう、と印刷されている。
「…発行者は『聖教会改革委員会』とあるが、そのような団体は聞いたことが無いのですが」
ウィトゲンシュタインは従者のマルコに質問した。
「マルコ、君はこの『聖教会改革委員会』なる物は、存在していると考えですか?」
「私は寡聞にして存じあげません」
マルコは、そのように返事をした。
「聖教会とは無関係の団体、個人がそのような名前を騙っているのではないでしょうか」
「…しかし内容は単なる誹謗中傷ではなく、教皇庁内部の人間でしか知り得ない事実も載せられています。私も思わず『然り!』と言いたくなるような、中身の濃い内容ですね、これは」
ウィトゲンシュタインは、現在の聖教会に批判的なようだ。
「猊下、そのように教皇庁を非難してはなりません。首席枢機卿という自らのお立場をお考え下さい」
マルコはウィトゲンシュタインの発言を、押し留めようとする。
「事実は事実なのです、マルコ。それ以上でもそれ以下でもないのですよ。ですが、普通の…極々市井の一信徒がこのチラシを見た時に、どのような感想を抱くと思いますか?」
「…聖教会、教皇聖下に対する不信感、でしょうか。ですが、信徒がそのような考えでは、宗教団体として聖教会は成り立ちません」
「その通りです。この『聖教会改革委員会』は今上聖下の退位を狙って、このような宣伝活動を行っているのでしょう。チラシの配布は、ニアルカス駅だけてはないでしょう。おそらく、マルメディアの主要な駅頭でも配布されている筈です。資金力、内部の団結力、そして多数の人員を抱えた、しっかりとした組織ですね、これは」
「そのような組織なら、噂として教皇庁内部に流れると思いますが…」
「雲に隠れ、地に潜んでいたのでしょう。案外、教皇聖下の側近にも改革委員会の委員がいるのかもしれません」
「まさか!」
マルコが驚きの声を上げる。
「現在の聖教会は、神について饒舌に語り過ぎています。本来なら神とは、不可知な存在です。我々人間には、理解できない存在なのですよ。神は存在していますが、今上聖下が饒舌に語っている神ではありません」
「………」
ウィトゲンシュタインの発言に、マルコは言葉を返すことが出来なくなった。
「聖典のどの章に『信徒は居住する司教区の教会へ寄進、喜捨せよ』とあるのか、説明できますか?」
「…そのように神が申された、という話は、どの章にもありません」
「では一体、誰がそのように仕向けているのでしょうか?」
「そっそれは…」
「それを正そう、と考えているのであれば、私の考えに」
そこでウィトゲンシュタイン枢機卿の部屋の扉を叩く音がした。
「どちら様でしょうか?こちらはウィトゲンシュタイン首席枢機卿の執務室になりますが…」
「ニルソンです。ウィトゲンシュタイン猊下とのお約束はありませんが、面談は可能でしょうか?」
扉の外からの声は、外務局局長のニルソンだった。
「猊下、いかがなさいますか?」
マルコの問いに、無言で頷くウィトゲンシュタイン。
「どうぞ、お入り下さい。ニルソン猊下」
そう言ってから扉を開けるマルコ。
「神は我が剣、神は我が盾」
聖典の一節を口にして入室して来たニルソン。
「我、神の忠実な番犬なり」
やはり聖典の一節を唱えて返した、ウィトゲンシュタイン。
「外務局局長、いかがなさいましたか?」
「猊下、このチラシをご覧になられましたか?」
ニルソンが手にしているチラシは、先程ウィトゲンシュタインが見た物と同じ物だった。
「ええ、興味深く読ませてもらいましたよ」
「猊下に置かれましては、どのようにお考えでしょうか?」
「…左様、中々弁の立つ者が執筆しているようですね」
「文章構成力の話ではなく、チラシの内容です」
「ほぼ事実ですね」
「これを読んだ信徒がどのように感じるか、空恐ろしくなります」
「ニルソン猊下、この現状を放置されるのですか?」
逆にウィトゲンシュタインがニルソンに尋ねた。
「奢侈に耽る教皇聖下とその側近。本当に聖教会に必要な存在だとお考えですか?」
逆に捩じ込まれ、ニルソンは言葉を失う。
「それは、その…」
「不作為は罪だと聖典にもあります」
「…実は猊下にお願いがあって、参上した次第です」
「伺いましょうか」
「
「それはつまり…」
「今上聖下では聖教会は保ちません。退位する気が無い以上、対立教皇を選出し、こちらを正統として聖教会の改革を進めるべきです」
「それは教皇聖下に対する反乱になりますが、それでも構わない、と」
「はい」
明確な返事をしたニルソン。
その覚悟の程を知ったウィトゲンシュタインが告げた。
「…なるほど、教皇併立を狙っているのですね?それでは特別教皇選出選挙の告示を行いましょう。ただし、どのような結果が出ても、その責任は選挙の要求をしたニルソン猊下、貴方に帰属するのですよ」
冷たく言い放つウィトゲンシュタインの言葉に、冷たい汗を流すニルソンだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます