第135話  第二王女④

レヴィニア 首都シロンスカ 王宮内訓練馬場




「はい、座って、立って、座って、立って、座って」


派遣されてきたマルメディアの女官から、乗馬で軽速足トロットの際の騎乗姿勢の指導を受けているクリスティーネだった。


「そこで猫背にならない、腰を引かない!…止め止め!」


王族付き女官レディ・イン・ウェイティングのフォン・コッホ男爵が呆れて声を上げる。


「殿下、乗馬が満足に出来ないとは、何ということです!レヴィニア王室で今の今まで何を学んでこられたのですか?」


そう言ってから、フォン・コッホはクリスティーネの履いている乗馬用長靴ブーツを鞭で叩いた。


「不敬な!」「けしからん!」


クリスティーネ付き侍従達が騒ぎ出す。


「お黙りなさい!」


フォン・コッホが声を荒げた。


「世界に冠たる馬産国であるレヴィニア王国の王族が乗馬も満足に出来ないとか、あなた方は殿下へ今まで何を教えてきたのですか?」


「……そっそれは」


「そのような話をしているのではない!王族へ向けて鞭を振るうなど、不敬の極みだ!」


「私は殿下の教育をする為に、ここへ指導者として派遣されてきたのです。結果を出せない生徒を厳しく指導するのは、当然ではありませんか!」


フォン・コッホは、全く意に介さない。


「し、しかしだな…」


「あなた方の不作為で、将来マルメディア王弟妃となるレヴィニア王族のお方が恥をかくのですよ。一昔前なら、自らの首を剣で斬りつけなくてはならない案件なのです。どのようにして、この責任を取るつもりですか?」


フォン・コッホの発言に、クリスティーネ付き侍従は全員が黙り込んだ。


「殿下、鞍に座っている姿勢が、そもそも間違っているのです」


「…では、どのように座れば良いのです?」


「鐙の上に重心を置いた、真っ直ぐな姿勢です。鎧をしっかり踏んで、動いている馬の上で立つことが出来る姿勢です。その為には、まず…」


フォン・コッホの指導が続く。


その様子を、午前中にクリスティーネへ行儀作法マナーの講義、実習を行なっていた王太子宮女官長ミストレス・オブ・ザ・ローブスフォン・グッテンベルクが見守っていた。


「…これは時間が必要ね」


誰に聞かせるでもなく、フォン・グッテンベルク子爵は呟いた。


「…それに加えて、今後は拍車スパー付きの長靴は禁止いたします。馬を無用に傷つけてしまいますので」


「この銀製の拍車付き長靴は、私のお気に入りなのですよ!禁止など、とんでもない!」


「お黙りなさい!指導者が禁止と言ったら、指導受ける側は黙って従いなさい!」


「…コッホ女官殿、少々お口が過ぎるのでは?貴女は女性だが男爵を名乗っている不思議な方だが、所詮、男爵ではありませんか」


クリスティーネ付き侍従の一人が、そのように発言した。


「コッホ、ではなくフォン・コッホです」


発言の主へ顔を向け、フォン・コッホは言う。


「フォン・コッホ家は議会招集令状にて叙爵した、古マルメディア王国爵位です。従いまして、フォン・コッホ男爵家は、爵位は男爵ながら他国では子爵扱いとなっております。ちなみに我が家が叙爵された時、現レヴィニア王室のウェジェルスキ家は、貴族ですらありませんでした』


フォン・コッホは、淡々と説明する。


「また、私が女性ながら爵位を名乗れるのも、古マルメディア王国貴族ならば女系子孫でも爵位継承が出来ると、規定されているからなのです。当然、貴族院の議席も与えられております」


「貴族院議員だと…!」「まさか!」


「王太子宮女官長フォン・グッテンベルク子爵も私同様、古マルメディア王国貴族の貴族院議員です。レヴィニアならば伯爵扱い相当となります。およそレヴィニア王室付きの侍従の方々は…」


フォン・コッホの演説は、止まる気配が無かった。


マルメディアからは、女官2名、医師、歯科医、獣医師、装蹄師、厩務員2名、自動車運転手2名、自動車整備士3名、女性使用人6名、男性使用人2名、調理師2名の23名が、今回のクリスティーネ殿下再教育の件で派遣されることになった。


ここに在レヴィニア マルメディア大使館からの連絡員2.名が常時加わり、一行総勢25名。


当初は王宮内へ滞在の予定だった一行だが、レヴィニア王ヤン2世が「マルメディアの間諜スパイが25名だと?王宮へ立ち入ること、断じて許さぬ!」と癇癪を起こし、その結果、廃屋同然だった離宮のザブジェ宮へ『隔離』された。


派遣前にザブジェ宮の確認に来たマルメディア大使館関係者が「これは酷い」と呆れるような状態であった為、マルメディアより離宮修繕の要員を派遣することになり、修繕班員20名、追加の調理師2名、女性使用人6名を合わせて計53名の大所帯となってしまい、更にヤン2世の血圧を上げる結果となった。


修繕費用も当然、レヴィニアが支払うことになったが、「マルメディアに離宮の修繕をさせてやった」と国王ヤン2世は機嫌を直したので、側近の誰一人として『オストマルク騒乱事件の賠償金に今回の修繕金が追加されて支払うことになりました」と言えないでいた。


国王評議会、各閣僚及び官僚が難破しかけるレヴィニアの舵取りを必死に行っているが、そもそも国王ヤン2世という羅針盤が故障していて、財政危機という嵐の中、クリスティーネの気まぐれという浸水まで始まってしまったレヴィニアの未来は、あまりにも暗かった。

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