第133話  第二王女②

第二王女②


マルメディア 首都ノイスブルク 在マルメディア レヴィニア大使館



潜行お忍びでクリスティーネ殿下がいらした、だとぉ?」


更迭されたフェルドマンに代わって、新たに在マルメディア レヴィニア大使に任命されたレオニード・グレツキが間抜けな声を上げた。


「それで、来館された事について殿下は何と申されているのだ?」


「大使閣下と話がしたい、と」


一等理事官ジュバが、そのように報告する。


「無理だ、時間が無い。これからマルメディアの外相も交えた会食へ出向くのだ。予定の時刻に遅れたら、大変な非礼になる」


グレツキが泣きを入れる。


「公使のヤルゼルスキがいるだろう。大使不在ということで、彼に対応させて…いかん、彼はマルメディア東部の旧レヴィニア領の視察に出向いていたか」


グレツキは頭を抱えた。


「夜勤か宿直の参事官は?」


「いません。全員日勤で退勤済みです」


「いいかね、これからマルメディア外相、ナイメリア大使と会合なのだ。遅参した場合、『レヴィニア人は、約束の時間を守らない』と判断される」


グレツキは再度、ジュバに説明する。


「殿下を無視して外出する非礼なら、後で私が自裁でもすれば済む国内問題だ。だが、マルメディアやナイメリア相手に非礼を働いたら、私が自裁しても済む話ではない。我が国の信用を失墜させる国際問題になるのだ」


「大使閣下の仰せの通りです。ですが…」


「大使館に今いる職員の最先任は?」


「国防武官室のクノール少佐です」


「クノールか、脳味噌筋肉野郎に殿下の相手をさせておけ」


「承知いたしました」


「とりあえず、貴賓室へお通ししておけ。その間に私は出立する」


「早速、手配いたします」


ジュバが大使執務室を飛び出して行った。


「全く、レヴィニア王族の名を出せば、在外公館で何でも無理が通ると思っているのか?いきなり大使館へ現れて、何がやりたいんだ?」


グレツキは、この場にいないクリスティーネに毒づいた。


今晩の会合の相手は、マルメディアからは外相ツー・シェーンハウゼン侯爵、陸相フォン・クライスト男爵、陸軍参謀総長フォン・クリューガー子爵。


ナイメリアからは、大使リンデラント、政治部参事官ラーセン、一等武官リュッツォー陸軍大佐。


そして、レヴィニアからは経済公使キスリング男爵、一等武官コルドスキ、在ホムトフ レヴィニア総領事館総領事ノシュツキ子爵と私、大使グレツキ陸軍予備役少将。


参加の面々を見ても、レヴィニアにとって極めて重大な内容の会合となる筈だ。


その出席前に、突然マルメディアへ来訪した王族相手に煩わしい応対など行っている余裕など無い。


「ふん、おおかたマルメディアの王宮を叩き出されて、泊まる場所と食事の提供を求めてきたのだろう」


グレツキは、ため息をついた。


「あの第二王女じゃじゃ馬、もう少し自分の立場をわきまえて行動出来ないものか」


大使館内貴賓室に案内されるクリスティーネ一行と鉢合わせしないように、グレツキはしばらく大使執務室で考え事をしながら時間を潰していた。


クリスティーネ殿下がマルメディア王宮で何かやらかしたのなら、両国間の問題になる。


事実上、人質としてマルメディア王弟フリードリヒとの婚約、領土を割譲し賠償金まで支払い、華燭の際には持参金も支払うという内容で、オストマルク騒乱の幕引きとなるマルメディアとの交渉を、外相ブックスバウムが纏めた。


それがブチ壊しになっては、外務省の苦労も、いや、レヴィニア西部国境の安全保証も吹き飛ぶ。


単なる諸国漫遊のつもりでマルメディアを訪問したのなら、これは誰かが殿下へ『教育』する必要がある。


不意に執務室の扉を叩く音がした。


「誰か?」


「ジュバです。御一行を貴賓室へ案内いたしました。今なら顔を合わせることなく外出出来ます」


「ご苦労」


グレツキは、大使執務室を後にした。




「大使は一体、何処にいるのですか?」


貴賓室では、クリスティーネが不満の声を応対しているクノールへぶつけていた。


「グレツキ大使閣下の今晩の予定は、特定機密に該当する事項ですので、申し訳ありませんが殿下にご説明することは出来ません」


「少佐殿、それは不敬に過ぎませんか?」


クリスティーネの護衛官が声を上げた。


「不敬ではありません。本職は機密保持に努めているだけなのです」


クノールが弁明する。


「それはそうと殿下、大使にいかなる御要件で面会をお求めですか?」


「…それは大使に直接話します」


「ですが、大使グレツキは本日の大使館への帰館の時間が未定です。こちらでお待ちになられますか?」


「…その、私達一行の、宿泊場所と夕食の提供を依頼したかったのです」


何と!

宿泊施設も確保せずに、突然マルメディアへ訪問してきたのか!


クノールはいささか呆れて、言葉を発するのに時間を要した。


「…あ〜、マルメディアにおけるレヴィニアの在留邦人の保護は大使館業務の一環ですので、手配いたします…他には何かございますか?」


「…ありません。そのように計らって下さい」


「では、手配いたします」


一礼してから貴賓室を出たクノールだった。


やれやれ、総務部調理課の厨房担当の者が勤務中だといいのだが、と大使館厨房へ向かって廊下を歩きながら、そのように思った。


食材はあるのだろうか?


案の定、厨房では調理担当の三等理事官ククリンスキが抗議の声を上げた。


「今から殿下に供する夕食を調理しろ、ですって?最初の一皿を供するまで、30いや40分はかかります。何の用意もしてないんですから」


一人残って、厨房の後片付けをしていたククリンスキが説明する。


「王族に提供できるような立派な食材なんか、どこにもありません」


マルメディアへの賠償金の支払いで、レヴィニアでは増税、福祉手当削減が行われ、各省庁の予算も削減された為、当然在外公館でも経費節減で招待会レセプションで提供される酒類も、調理課が味を落とさぬよう、以前より価格の安い物の中から苦労して選択している。


「それは理解している。最善を尽くして、なるべく早く供するようにしてくれ」


「やれやれ、調理担当用の賄い料理なんかを出したら、不敬罪で縛り首になりそうだ」


文句を言いながらも、ククリンスキは調理に取り掛かった。



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