第127話  非因果的連関①

レヴィニア 首都シロンスカ 国会議事堂上院棟 与党側男性用化粧室


野党側の化粧室なんぞ使えるか!


レヴィニア新生党総裁、前レヴィニア総理大臣シルベルマンは、態々わざわざ長い廊下を時間をかけて歩いて、議員控室とは距離のある与党側化粧室へ着いた。


中へ入ると『報道』の腕章を付けている記者が、洗面台で手を洗っている。


人が入って来た気配を感じたのか、その記者はシルベルマンの方に顔を向けてから喫驚した表情を見せる。


「シルベルマン総裁ではありませんか!…レヴィニア・ジャーナル日刊レヴィニアのグルシュカと申します」


「ああ、ジャーナルさんか。我が党には好意的な社説が多くて、私も頭が痛いよ」


シルベルマンが皮肉を言った。


「恐れ入ります。ですが、私個人は新生党の主張する政策に賛同する部分は多いのです」


「まぁ、君が社説を書いている訳ではないからな。文句を言うのは、お門違いか」


「野党控室から離れているここを使用するのは…やはり、あちらの野党側化粧室を使うのには思う所があったりするのですか?」


「ああ、中の造作に大した変わりは無いが、こちらは長年慣れ親し」


いつの間にかシルベルマンの背後に立っていた男が、口と鼻を薬品で湿らせた布片で塞ぐ。


5秒とかからずに、シルベルマンは意識を失う。


「キニスキ、奥の方へ」


グルシュカの指示で、シルベルマンの身体を引き摺るようにして、化粧室の個室内へ運び込んだ。


個室内にグルシュカ、キニスキと気絶したシルベルマンが入ると、さすがに狭い。

その狭い空間で、キニスキがシルベルマンの帯革ベルトを外し洋袴トラウザーズと下着を足首まで下ろしてから、死体を便器へ座らせる。


器用に上着を脱がせ、個室の扉に付いている留め鉤フックへ脱がせた上着を掛け、襯衣ワイシャツの袖を捲り上げる。


グルシュカが、ゴム製の駆血帯で上腕部を強く締め付けて、静脈が浮き出るのを待つ。


出た。


走行する静脈に対して15度程度の角度で、注射針を刺入する。

注射器の針基に、血液が逆流してくる。


命中!


キニスキが素早く駆血帯を外す。

それを確認してから、グルシュカは更に針を深く刺入させる。


後は、静脈へ注射器から『空気』を注入するだけだ。


針を絆創膏で固定し、注射器だけを外す。


グルシュカは別の巨大な注射器を針に付けて、ゆっくりと注射棹プランジャ押子ピストンに力を込める。


空気を注入された静脈内では、血液が凝固反応を起こし、血栓が多数発生した。


その内の一つの血栓が冠状動脈へ進入し、動脈の血流を止めた。


冠状動脈からの酸素供給が途絶えたシルベルマンの心臓が、鼓動を停止させた。

呼吸も停止する。


グルシュカは素早く注射器を抜き取ると、キニスキが針が刺さっていた静脈に脱脂綿を押し付け絆創膏で固定する。


グルシュカは、無言で片手を広げて、5を意味する表示をした。


5分間は絆創膏を外すな、の意味だ。


キニスキは頷いて、無言で肯定の意を表した。


5分後にキニスキはシルベルマンに貼られていた絆創膏を外し、皮膚表面に血液が滲んで来ないのを確認してから、捲っていた襯衣の袖を下ろす。


手首の釦を留めている間、グルシュカは念の為に首筋の頚動脈に触れたが、鼓動は無かった。


グルシュカがキニスキを見て頷くと、キニスキは扉をゆっくりと開けて個室の外に出た。


個室内に残されたグルシュカは、扉に錠を下ろしてから個室の扉の上部目掛けて跳んだ。


両手の指が扉の上部を掴むと、腕力で強引に身体を持ち上げる。


天井と扉の間を仲間が通り抜けるのを見てから、個室の外にいたキニスキはゆっくりと化粧室を立ち去る。


残されたグルシュカは手を洗ってから、やはりゆっくりと化粧室を去って行った。




レヴィニア国会議事堂 上院棟 野党レヴィニア新生党議員控室


「…そろそろ外交委員会再開の時間なんだが、シルベルマン閣下が所在不明だ」


幹事長クルツは、同僚の新生党議員や知古の報道関係者にシルベルマンの所在を尋ねていた。


「与党側の控室の方へ歩いて行くのを見たような…」


「与党側…化粧室か!」


シロンスカ・ニュースシロンスカ新報の記者から情報を得たクルツは外交部会の上院議員バラカンを連れて、与党側男性化粧室へ向かう。


「控室から離れる際には行き先を言ってから、にしてくれないと」


「子供じゃないんだけどなぁ。あの方が前総理で、今は野党第一党の総裁とは何と言うのか…」


与党側化粧室へと続く長い廊下を歩きながら、バラカンとクルツは愚痴をこぼした。


「しかし、何故に与党側の化粧室を?」


「長い間、閣下は与党側だったから、野党側の化粧室など使えるかっていう想いかもしれんな。よし、着いたぞ」


化粧室の中へ入ると、個室の扉が一つだけ閉まっていた。


まだ用便中かよ、とクルツは思ったが「失礼します」と声をかけてから扉を3回叩いた。


…反応が無い。


再度、クルツは扉を叩く。


「閣下、幹事長のクルツです」


やはり、反応が無かった。


「反応がない?どういう事だ?」


バラカンが首を捻った。


個室の扉は、内側から錠がかけられていて、外からは開けることが出来ない。


「…バラカン、私を担ぎ上げてくれ。扉と天井の隙間から、中の様子を伺ってみる」


「では持ち上げますよ…一、ニ、三!」


「閣下、失礼うわっ!」


個室の中を覗き見たクルツが声を上げた。


「中の様子は?」


「大変だ、もっと人手が必要だ!」


「人手?」


「シルベルマン閣下が倒れている!」


「ちょっ、はぁ?それは!」


「議事堂の管理は、どの部署だったかな?」


「議事堂の管理は、ええっと…上院事務局の管理部営繕課、の筈です。誰か呼びますか?」


「ああ、警備部にも連絡してくれ。あと、新生党の控室にいる面々にも、だ」


「直ちに。控室には、どのように伝えますか?」


「主だった役職に、総裁が倒れたと伝えてくれ」


バラカンが化粧室を飛び出して行った。


これは、こんなことがあっていいのか?

今、シルベルマンが倒れたら…いや、既に倒れているが、レヴィニア新生党はお終いだ。

これから我が党は、どうなるんだ?

視界が一気に歪んで、回転し始める。


レヴィニア新生党幹事長クルツは化粧室を出てから、力無く数歩進んだ所で上院棟廊下の絨毯の上へと倒れ込んだ。
















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