第122話  晩餐③


「それはそうと、情報部さんは、アレか?メシは済ませたのかな?」


ワーホルムにそう言われて、夕食を摂っていないことにシンディングは気付いた。


「それはいかんなぁ。陸軍も海軍も、兵隊がやらなければならないことは、まずはしっかりとメシを食うことだ」


「…まずは、という事は、次に兵士がやらなければならないことは、何だとお考えですか?」


興味を持ったシンディングが、ワーホルムへ尋ねた。


「ま、あくまでも私見という事で、手空きの時間があれば寝る、と。睡眠を取って疲労回復に努める。後は、陸軍なら、我が身を守る塹壕だのタコ壺だの掘って泥塗れになること。それと、どんな状況下でも必ず生き抜いて、戦場から戻ってくること、ですか」


ワーホルムは、そのように説明した。

これは卒業席次ハンモックナンバーが一桁というのは、本当だろう。


「部下を、両親や奥さん、祖父母、息子娘さんの下へ生きて返す義務が、俺にはある。命知らずの脳味噌が筋肉で出来ているバカは必要ない。決死の覚悟も必死の想いも要らない。必ず生き抜いて帰るという強い意思を持ち、その為の知恵を出すことが出来る命根性の汚い奴を、俺は必要としている」


ワーホルムは、淡々と自論を展開する。


「…まぁそれはともかく、メシにしよう。こちらだ」


クラビニアン・プリンセスは小さな漁船だったが、食卓兼用の汎用机のある船室へ通される。


「大佐殿が最先任ではありますが、本艦の指揮官は小官であります。本艦乗船中は、小官の指示に従って頂きます」


ワーホルムはグランへ告げる。


「うむ。それでは艦長、謹んで命令をお受けしよう」


グランがそう応えた。


「皆様方の夕食が未だ、のようですので、少々お時間を頂きますが準備させます。ラムベルグ、食事の用意。7人…かな?用意するように」


沈んだエーリク3世号の操船員として乗船していた海軍兵3名に給仕員役だった陸軍兵4名を見て、ワーホルムが命令を下した。


「アイ・サー・アイ!7人分の食事、用意します!」


特務曹長ラムベルグが復唱する。


「…それにしても大佐殿、延着なら電信で連絡を寄越しても良さそうなものですが」


今更ながら、長時間待たされたことをグランに愚痴るワーホルムであった。


「平文の電信を使うと、通信内容が付近にいる全船舶に筒抜けになる。暗号電なら『何でこいつらは暗号を使っているんだ?』と疑念を抱かれる。言い訳がましいが、それで連絡をしなかった」


グランは、そう説明した。


「ま、こちらも操業中の漁船が真っ暗な中で不関旗を掲げて、錨泊中の主灯火を出しているのだから、近くに船がいたら不信感を持たれた事でしょう。幸い、付近には船舶はエーリク3世しかいなかったから助かったのですがね」


「今後の工作活動にも関わってくる。報告を上げて、この場合の対応策を考えねばな」


グランが溜め息をついた。


そこへ、エーリク3世号に一人残って、キングストン弁を解放してきたイルゲンスが現れ、敬礼をしてから報告する。


「クラビニアン・プリンセスとエーリク3世を繋いでいた係留具クリートから係留索ホーサーを外しました。その後、エーリク3世のキングストン弁を開きました。吃水が急に深くなりましたので、間も無く沈没するでしょう」


イルゲンスは、そのように報告してきた。


「エーリク3世号の最期を見なくてもよろしいのですか?」


イルゲンスが、グランに質問した。


「外は真っ暗だ、何も見えん。君が『間も無く沈む』と言うのであれば、私に出来ることは、その報告を信じるだけだよ、イルゲンス」


「エーリク3世が沈没するときの潮流に巻き込まれると、本船もいささか厄介な事になりますが…」


イルゲンスはワーホルムの方に顔を向けてから、そのように言った。


「では現場から離れるとしようか。一等航海士チョフィサー!」


ワーホルムが命令を下す。


「アイ!」


一等航海士ペッテルソン少尉が応じた。


「不関旗を降納。前進半速。この場を離脱する」


「アイアイ!」


「それと、イルゲンス中尉、だったかな?メシの時間だ。用意するので、その辺の椅子に座って待っていてくれ」


「では、お言葉に甘えさせて頂きます」


ペッテルソン一等航海士が船室から飛び出して行ったが、入れ替わりに、金属製の椀カップが大量に入っている大鍋を持ったラムベルグが入室してきた。


「硝子製ではないんで味気ないですが、まずは食前酒アペリティーボを」


手早く全員の前に置かれた碗に、微発砲の白の葡萄酒スパークリングワインが注がれる。


美味い、とシンディングは思った。


軽い酸味と炭酸が胃を刺激して、一気に食欲が増すのを感じた。


少し遅れて、突き出しストゥッツィーノが運ばれてくる。細長パングリッシーニだ。


これがまた、微発砲の白に合う。


「お次は、こいつです」


前菜アンティパストは、黒胡椒と塩蔵カタクチイワシソットサーレで味をつけたキャベツとニンジンの炒め物だ。


「一種盛りで、申し訳ないんですが…」


ラムベルグがそう言いながら、エーリク3世の乗組員へ前菜を配膳していく。


皿に盛られたキャベツとニンジンの炒め物を口にしたシンディングは、その美味しさに唸ってしまう。


この辛味と塩味なら、キャベツとニンジンが無限に食えそうだ、とシンディングは思った。

歯応えも抜群にイイ。


海軍はメシが美味い、とは聞いていたが、こんな小型の漁船を改造した特務艦でもメシが美味いのか?

それとも、この艦が特別なのか?

俺達陸軍の特殊部隊が潜入活動する時には主食カエル、副菜は拾った木の実だぜ。


次に、一皿目プリモ・ピアットは、汁物ズッパパスタだ。


腸詰サルシッチャを茹でた時のお湯がイイ出汁出てるんで、残り物の野菜をブチ込みました」


別の下士官が、壺に旨味たっぷりの汁を注いで配膳する。


「麺は、腸詰とキャベツ、キノコが具材です」


こいつもイケる。

何だ、この船は?最上級の船上食堂リストランテか?


二皿目セコンド・ピアットは魚の揚げ物だ。

同じ皿に、副菜コントルノ揚げジャガイモパタティーネ・フリッテが盛られている。


「揚げたてで熱いので、口の中で火傷しないように注意して下さい。魚の衣には、この魚醤コラトゥーラを少量かけてお召しあがりを」


ラムベルグが勧めてきた食べ方を試みる。


「…こんなに美味しい魚は初めて食べた」


揚げた魚を食べた先に食べていたグランが、興奮してそう声を上げた。


これが絶品だ。


サックリ揚げられた衣を纏った魚自体の肉質が甘く柔らかく、そこへ魚醤を数滴垂らすと魚の甘さが一層引き立った。


「大佐殿、ボラであります」


「ボラだと?今の時期は旬ではないし、臭い魚だと聞いていたが…」


グランも海軍軍人だから魚に関する知識が多少あり、ボラの肉は臭いという先入観があったので驚いているようだ。


「私が今まで食べた中では、ナイメリア沿岸のマルヴィク海で獲れたヒラメが一番だと思っていたが、これは認識を改めないといかんな」


「新鮮なボラに適切な下処理と調理を施すと、この味わいになるのです」


ラムベルグが説明した。


「ま、その下処理が面倒なんですがね」


そう言って、軽く肩をすくめる。


「ううむ…世の中には、まだまだ私の知らない美味しい食べ物が沢山あるのだろうな」


皮付きの揚げジャガイモを食べながら、グランが言った。


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