第121話  晩餐②


給仕の案内で主寝室の前に着いたオーラヴだったが、主寝室の扉の前にはハンスを案内して行った女性給仕が立っていた。


「殿下のお見えだ」


女性給仕は扉を二度叩いてから「オーラヴ殿下のお成り、入室されます」と声を上げてから扉を開けた。


オーラヴが主寝室へ入ろうとした時、オーラヴの背後に回り込んだ給仕が懐から給仕用短刀ソムリエナイフを取り出し、刃を拡げてオーラヴの延髄へ突き刺した。


延髄を破壊されて即死し、力無く倒れ込むオーラヴの身体を女性給仕と二人で支えて、主寝室内へ運び込む。


「これで全員片付いたか」


男性給仕、ナイメリア陸軍情報部シンディング大尉が言った。


「まだ仕事は終わっておりません、大尉殿」


女性給仕、こちらもナイメリア陸軍情報部ハッセル少尉がそう声をかけて、オーラヴの死体の腹部を隠し持っていた短刀ナイフで十時型に切り裂いた。


「こうしないと腐敗した内臓から発生する気体ガスで死体が浮力を得て、海面付近へ浮かび上がる場合がある、と教えてくれたのは大尉殿ではありませんでしたか?」


「そうだったかな?私の記憶だと、ドンス中佐殿…今は少将閣下か、だった気がするが」


シンディングがそう言った。


「シセルもハンスも『処理済』です。船を出港させた後で要員を撤収させ、キングストン弁を解放、大逆罪の元王族と共に自沈させましょう」


「そうだな。自沈予定場所のクラビナ海の中央付近まで、早目に船を移動させるか」


「船長、出港準備を!」


船首下部の主寝室を出たハッセルが、操舵室にいる船長のグランへ声をかける。


「出港準備!」


埠頭と船の間に架けられていた橋が船へ引き込まれ、係船柱ビットに掛けられていた係留索ホーサーが外される。


エーリク3世は帆船だが、船内に発動機エンジンを搭載している動力船だ。


操舵室の船長グラン…ナイメリア海軍特殊作戦群大佐が「両舷後進微速」と指示を出すと、一等航海士のイルゲンス海軍中尉が「両舷後進微速、アイ・サー!」と復唱し、汽笛を短音三発鳴らした。


帆船エーリク3世は、後進でゆっくりと埠頭から離れて行く。


「今回使用した睡眠導入剤だが…」


シンディングには気になる事があったのか、ハッセルへ尋ねてみる。


「若干の苦味があるので、相手に気付かれずに使うのは難しいと思います」


シンディングの問いに、ハッセルがそう答えた。


「大人に飲ませるのに、渋味のある赤葡萄酒赤ワインを使えたのは良かったのですが、子供相手では渋味のある飲み物は使えません。逆に渋味や苦味があると、変だと気付かれてしまいます。効き目は十分でしたが、その点を考慮して、次回使用の際には改善しなければならないでしょう」


「ううむ、柑橘類の中果皮アルベドには苦味がある。搾りたてコールドプレスのオレンジジュースなら甘さもあるし、簡単に誤魔化せるとも思ったんだがな。効果は抜群だけに、惜しい。何とかならないものか…」


「今になって気付いたのですが、ハンスが料理が不味い、と言ってたのはオレンジジュースが若干苦いという事を表現する語彙を知らなかったのもあるのかもしれません」


「…まぁ子供相手なら、睡眠導入剤を使用しなくても何とでもなるがな。ただ、しっかりと眠ってもらう場合、今後どうするかという話になる」


「レモネードの原液なら、砂糖も大量に使っていますし、皮ごと漬けていますから若干の苦味もあります」


「ジャムやチョコレート、クリームに入れて、甘さで苦味を消すやり方しかないのか?焼き菓子に入れた場合、焼き上げる際に高温で睡眠導入剤が変質する可能性もあるな」


「課題の一つ、ですね」


「報告を上げておこう」


薬物を使用して殺人に関わる案件を、単に技術的な問題と捉えているシンディングとハッセルは、そう語り合った。


エーリク3世号がティヒル港の防波堤を超えた時には、日没時間を30分は過ぎて周囲は暗くなっていた。


マスト灯と緑と紅の舷灯、白の船尾灯が点灯される。


帆走には人手が必要なので、今回の作戦では発動機を使用して航行する予定になっている。


3時間ほどの航海で、エーリク3世号の自沈予定のクラビナ海最深部付近へ到着する。


40分ほど前から、前方にマストの白色全周灯が見えていた。夜間錨泊中の合図だ。


「あちらは到着済だったか。まぁ待たせたのは悪かったが、こればかりは仕方ないな」


操舵しながら前方のマスト灯をしばらく監視していたグランがイルゲンスへ命令を下した。


「発光信号!当方、エーリク3世号。貴船は、いかなる理由で錨泊中なりや?」


「アイ・サー!発光信号、送ります」


イルゲンスが発した誰何の発光信号に対し、錨泊中の船から発光信号が返ってきた。


「本船はクラビニアン・プリンセス。貴船の延着は、『ナイメリア海軍は、5分前行動を以て可とすべし』の銘に反するもの也。爾後、艦長グラン大佐以下、士官の再教育が必要と思われる」


「あっちゃ〜」


発光信号を読み解ったシンディングは、その内容に頭を抱えそうになった。


「ワーホルムの野郎、先に到着していたから強気に出やがって…」


操舵しながら発光信号を読み解っていたグランが、毒づいた。


「延着について、貴船に対し陳謝する」


延着の言い訳をせずに、発光信号が再度エーリク3世から送信される。


やがて横付けになった2隻の間に橋が渡されて、エーリク3世号からクラビニアン・プリンセス号へと船員が移動する。


「大佐殿、ご無沙汰しておりました」


クラビニアン・プリンセスの艦長と思しき人物が、グランへ敬礼し握手を求めながら言った。


「ああ。ワーホルム、今は艇長スキッパーか?」


答礼を返し、若干の嫌味を込めた口調でグランはワーホルムへ語りかける。


艦長キャプテンです。クラビニアン・プリンセスは特務艇ではなく、特務艦扱いなので」


嫌味を物ともせずに、ワーホルムは言った。


「陸軍情報部大尉シンディングです。御協力に感謝いたします」


「ナイメリア海軍大尉、特務艦クラビニアン・プリンセス艦長ワーホルム」


シンディングの差し出した右手を、ワーホルムは握ってから言った。


「何の因果か、特殊な任務に当たる時に限ってカタクチイワシアリーチェみたいな雑魚が大漁だよ、全くもう」


ワーホルムが不満の声を上げる。


カタクチイワシアリーチェ?」


「陸軍さんにはそうだな、アンチョビと説明した方が分かり易いか」


何を言っているのか分からない、とシンディングは首を捻っていたが、アンチョビの説明で合点がいったようだ。


「アンチョビでしたか」


「ああ、スプーンを使って三枚下ろしにして、塩蔵カタクチイワシソットサーレにするか、頭と内臓だけ取り除いて重石を載せて3・4年塩漬けで発酵させて魚醤コラトゥーラにするか、まぁどう処理してもカタクチイワシは調味料だ」


「はぁ…」


「以前の作戦で…内容は言えないが、この時も旬を外れたボラが大漁だった。自分達で食べる分はしっかり処理したが、血抜きが間に合わなかった分は、それは臭くてな。食えたモノじゃなかったよ。しっかりと処理したボラの唐揚げは、身がホクホクして甘くて美味かったんだが」


「ボラ、ですか…」


シンディングの知識では、ボラの卵巣が高価なカラスミボッタルガの原料であることしか分からない。


「陸軍少尉ハッセルです」


「ワーホルムだ。こんな稼業なんで、少々礼儀に欠けることが多くてね。気を悪くしないでもらえたら、幸いだ」


陸軍式の敬礼に、海軍式の見事な敬礼でワーホルムは答礼する。


「こいつはこれでも、海軍大学の卒業席次ハンモックナンバーは一桁なのだよ。亡き先王オスカル3世陛下より、恩賜の双眼鏡も頂いておる」


「大佐殿、皆様方が本気にされると、私も困るのですが」


ワーホルムは笑いながら、その話を否定した。




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