第120話 晩餐①
レヴィニア西部 ティヒル ティヒル港個人用船舶埠頭
マルメディアの首都ノイスブルクを馬車2両で朝に出立したオーラヴ一行がとりあえず向かった先は、西部レヴィニア領の港町ティヒルだった。
ティヒルからクラビナ海を
対岸の東部レヴィニアの港湾都市ルーベに到着後は、レヴィニア経由でシセル元妃殿下の実家であるナルインを目指す計画になっている。
だが、ティヒルの港に到着したのは、夕方を過ぎていた。
計画よりも数時間の遅れが発生していた。
「殿下、妃殿下、内親王殿下、長旅でお疲れと拝察いたしますが、用意された船へ早めの乗船をお願いいたします」
一行を出迎えた人物は、在ティヒル ナイメリア領事館副領事ムンテと名乗った。
「船長のグランと申します。殿下御一行をエーリク3世へ乗船させての操船、末代までの誉にございます」
「船名がエーリク3世、中世のナイメリア王の名前がつけられているのですね」
シセルが驚いたように言った。
「それでは、この帆船は…」
「それに関しましては、私から何か説明できる事はありません。ただ、私はナイメリア海軍の者だ、という事実のみ、お伝えするだけです」
そのように、グランは語った。
「うむ、それで十分だ。では荷物の搬入を頼む」
2両の馬車の内、1両には鞄類に積められた荷物が満載で、領事館勤務の数名の三等理事官が馬車から鞄を下ろして船へと黙々と運び込む。
「殿下、こちらへ」
グランに案内され、帆船の
居間の広さは船舶なのでそれなりだが、内装は豪華な調度品で仕上げられている。
「なかなか良い船だ」
乗船したオーラヴが呟いた。
居間の椅子に座ったオーラヴ、シセル、ハンスの元王族3名を見て、
「殿下御一行の乗船を歓迎いたします」
ムンテがそう言うと、
「こちらをどうぞ」
と、給仕が
船内厨房ギャレーで調理された、
ハンスには
「ほう、これは結構な発泡酒だな」
「殿下のお口に合って、何よりです」
発泡酒は、ヴァレーゼ産の白。果実味と酸味のバランスが絶妙な極上の一品だ。
「素晴らしい品ですね」
シセルも同意する。
「お代わりは、いかがですか?」
「頂こう」
オーラヴが置いたグラスへ、発泡酒が注がれる。
「沖へ出ると揺れますので、ルーベ到着は遅れますが、停泊したまま晩餐を供させて頂きます。よろしいでしょうか?」
「うむ、配慮に感謝する」
「そうですわね、揺れながらの食事は、何だか落ち着きません。不安になりますもの」
こちらは、シセルの発言だ。
突き出しの皿が空になったのを見た給仕が、
「こちらは、エビとオイルサーディンのカナッペ。ホタテのテリーヌ。ほうれん草とベーコンのキッシュ。ホワイトアスパラガスとグリーンピースのピューレ」
給仕が前菜の説明をしながら、料理の配膳を行なっていく。
「鶏レバーのムース、添えてあるバゲットにつけてお召し上がり下さい。こちらは白の発泡酒でも大丈夫ですが、タンニンしっかり目の赤葡萄酒と合わせるのをお勧めします」
「では、お勧めの赤を頼む」
「かしこまりました。以上、5種が前菜となります」
10歳のハンスには、子供が好みそうな料理を一皿ワンプレートに纏められた物が供される。
だが、ハンスは不満気な表情をしている。
オーラヴ、シセル夫妻には、あらかじめ用意されていたのか強い渋みのある濃厚で味わい深い赤葡萄酒が運ばれてくる。
「マルメディア、アンクラム産の赤です」
オーラヴはバゲットに鶏レバーのペーストを塗り、口へと運んだ。
その後、注がれた赤葡萄酒を飲み、口の中で余韻を味わうかのような表情をしている。
「うむ、結構な味わいだ」
満足そうな笑みを浮かべ、オーラヴが言った。
「殿下、素晴らしい前菜ですね」
シセルが言う。
前菜を食べ終えたのを見計らって、スープが供される。
「ジャガイモのビシソワーズです、冷製のスープになります」
「僕も同じのが食べたい!」
突然、ハンスが叫んだ。
「仲間外れは嫌だ、父上と同じ料理が食べたい!」
「…可能でしょうか?」
ハンスの発言に眉を顰めたシセルが、給仕に尋ねた。
「厨房へ確認します」
一礼してから、その給仕は立ち去った。
「ハンス、我が儘を言うものではありません」
やんわりとシセルがハンスを注意した。
「僕も同じのを食べたい!ただ、それだけなんだ!」
「…そうか」
呆れた感じで、オーラヴが呟いた。
どう考えても子供向きではない前菜を食べたい、と要求している。
結果がどうなるのか、これは見ものだな、とオーラヴは思った。
割と早目に厨房から戻ってきた給仕が「内親王殿下が食べる量ならば、食材は残っているそうですので、給仕させて頂きます」
と説明した。
早速、一皿にまとめられた料理が片付けられ、フルコースの前菜が運ばれてくる。
だが、前菜はオレンジジュースに合うような品ではない。
ホワイトアスパラガスとグリーンピースのピューレの食感が口に合わなかったのか、ハンスが顔を顰めた。
次いで、鶏レバーのムースを口にしたが、我慢できずにハンスは喚いた。
「この料理は美味しくない、不味い!さっきのが食べたい!」
「…オーラヴ殿下、今の内親王殿下の発言からいたしますと、この船の料理人は殿下へ不味い料理を出した不忠者、ということになります。如何なさいますか?」
給仕が無然とした表情でそう言った。
「料理人の進退に関わってきますが…」
「ハンス、発言を取り消せ」
進退、という言葉で事態を理解したオーラヴが、慌ててハンスを叱りつけた。
「だって美味しくないんだもん。不味いんだ!」
「不味いと言った発言を取り消せ!と言った筈だ!聞こえなかったのか?」
「…ごめんなさい、僕が間違ってました。料理は不味くないです」
オーラヴに叱られ、渋々ハンスは『料理が不味い』発言を取り消した。
だが運ばれてきた前菜と冷製のスープには、手をつけようとはしなかった。
次の品、
口当たりはまろやかだが、コクのある味わいの白葡萄酒がムニエルに合わせて出される。
「…何だか眠くなってきちゃった。もう晩御飯は要らない」
舌平目のムニエルに少し手をつけたハンスが、力なく言う。
「それでは、主寝室へご案内いたします。殿下、妃殿下、よろしいですね?」
「ああ、案内してやってくれ。シセル、着いて行くか?」
「狭い船内のことです。それには及ばないでしょう」
「内親王殿下、こちらになります」
女性の給仕がそう言って、ハンスを促して船室の居間から立ち去った。
「やれやれ、ですわ」
「疲れているからぐずっていたのだろう。丸一日、馬車に揺られてきたのだからな」
オーラヴが、今日のハンスの態度は仕方ない、と諦めた口調で言う。
「シセル、お前の体調はどうかね?」
「正直、食事よりは寝台ベッドで横になりたい気分です」
「それはいかんな。食事を切り上げて、休息を取った方が良い」
「…それでは殿下のお言葉に甘えさせて頂きます」
「妃殿下、ご案内いたします」
シセルも晩餐を中座し、給仕の案内で居間を去って行く。
豚肉は、マルメディアの特産品の黒豚、カルヴィナー豚のフィレ肉だ。
その後に生ハム、ベビーリーフ、バジル、ラディッシュ、玉ねぎのサラダへと続く。
「…躬も疲れが出てきたのか、腹に料理を詰め込んだら眠くなってきたようだ。いかんなぁ」
生欠伸をしながら、オーラヴはナイフの刃を内側に、フォークの背を下向きにして皿の右側へ寄せて置いた。
「この後は、チーズ、
「今日は十分だ。今の躬には睡眠が必要なようだ」
「仰せのままに」
給仕がオーラヴを先導する形で、先にハンス、シセルが向かった主寝室へと案内して行く。
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