第119話  ペルソナ・ノン・グラータ④

マルメディア 首都ノイスブルク 在マルメディア ナイメリア大使館本館大使執務室



大使執務室の扉を叩く音がしたので、大使リンデラント付き三等書記官ガルボルグは「誰か?」と声を上げた。


「外務書記補のドンスです。大使に出頭せよ、との連絡を受けました」


「うむ、入室させてくれ」


大使のリンデラントが頷き、ガルボルグは扉を開けた。


ドンスが入室してくる。


「ご用の向きは何でしょうか?」


小柄で禿頭、あと僅かで定年退職と大使館内では噂されているドンスの冴えないが実直そうな風貌を見て、ガルボルグは『俺はヒラの外務公務員で終わらないようにしないとな』という想いを強くした。


「溜まった書類の整理をだな、少々手伝ってもらおうと思ってな」


「かしこまりました」


「ああ、ガルボルグ。ドンスが退室するまで、外で待っていてくれないか?」


「はい、それでは執務室外で待機いたします」


リンデラントの指示通りに、ガルボルグは大使執務室の外へと出た。


執務室からガルボルグが退出し、扉が閉じられた。


「さて、大使。用件を聞こうか」


ドンスは大使の許可を得る事無しに、長椅子へと身体を沈めた。


そしてその口調も、一介のヒラ外務公務員が特命全権大使に対するそれではなかった。


「少将、殿下御夫妻の外出の件ですが、私への報告が…」


少将。


そう、定年間近の外務書記補を隠れ蓑カヴァーにして、ナイメリア王立陸軍少将テオドール・ドンスはマルメディアで各種工作の任に就いている。


「ふむ、まぁ、大使が知らなくても良い、と我々情報部は判断した。そして、これから起こるであろう事も、大使は事前に知る必要は無い、と判断し情報を伝達しないでおく」


「…それでは私は飾り物ですか、少将?」


「そう、飾り物だ。飾り物ゆえ、傷一つ無く綺麗クリーンな状態でなければならない。我々が裏で行っている超現実の薄汚い工作など、大使は知る必要がない。身綺麗な状態の大使が、ナイメリアとマルメディア両国の平和友好の為の活動を行う。情報部は、裏から公的な使節の活動を支援する。それだけだ」


「テオ、そんな言い方は無いだろう?」


「大使閣下、幼年学校時代のように私も貴方の事をヨーと呼びたいのは山々だが、そうもいかんのだよ」


ヨーステイン・リンデラントが大使の姓名だ。


「外務書記補が、大使を『ヨー』と呼んでいるのを誰かに聞かれてしまっては、私の正体が露見してしまう」


ドンスの説明に、リンデラントは溜め息をついた。


「逆に大使閣下ともあろうお方が、一介の外務書記補へ親しみを込めて『テオ』と呼ぶのも、問題だ」


「それはそうなのだが。難儀な事だよなぁ。久しぶりの再会をマルメディアで果たしたというのに、他人行儀でよそよそしい態度を取らねばならぬとは」


会話をしながら、リンデラントはドンスと自分用に紅茶を淹れていた。


「テオ、君の好みは茶匙ティースプーンが立つ位に濃く淹れた牛乳入り紅茶ミルクティーだったな」


「ふん、そのようなつまらないことだけは、記憶の中に留めておいているのかな、大使閣下は」


そうは言っても、嬉しそうな表情で紅茶碗ティーカップを受け取ったドンスだった。


「つまらないかどうかは、君ではなく私が決めることだ」


「ヨー、そのような君だからこそ、知る必要のない汚い仕事ダーティーワークからは遠ざけておきたいのだよ。理解してもらえないだろうか?…美味いな、こいつは!」


紅茶を一口啜ったドンスは、思わずそう口にした。


「知る必要の無い事…それは、御夫s「おっと、君には知る必要が無い、と言った筈だ。それが何についてなのかも、言うことは出来ない」の…そうか、承知した。何も言うまい」


リンデラントは自ら淹れた紅茶を飲んで、そう応えた。


「大使閣下、貴方が今、最優先でやらなければならない仕事は、お二人の内親王殿下の安全を保証することだ。情報部も、全面的に協力する」


「ああ、是非とも協力をお願いしたい。失うには惜しい人物だ」


リンデラントは先程アレクシアと交わした会話の内容を、ドンスへ伝えた。


「……反面教師として、オーラヴは極めて優秀みたいだな」


その反面教師稼業も、親子三人合わせて終了することになるだろう。


マルメディアやナイメリアで『実行』する訳にはいかない。


第三国で『実行』だな。


さて、上手いこと言い包めて出国させないとな。


「書類仕事で私は呼ばれたことになっている。空き箱の中へ、適当に書類を入れておいてくれ。それを抱えて退出するとしようか」


「ああ、そうだな。用意するか…こんなものかな?」


紅茶を飲み干して、雑多な書類を空き箱へ放り込む。


「うむ、美味しい紅茶、ご馳走様でした。では退出するか…大使閣下、無茶です!これを私一人で処理とは!」


ドンスは扉近くで、態と大声を上げ、書類の入った箱を床へ置いてから執務室の扉を開けた。


「無理も何も、書類仕事は書記補である君の仕事だ、ドンス。給料分の働きを見せたまえ」


絶妙な間で、リンデラントがそう返した。


執務室の外ではガルボルグが遣り取りを聞いていて、後でドンスが大使から叱責を受けていたと噂を流してくれることだろう。


「はぁ…ドンス、退室いたします」


一礼してから書類の入った箱を抱えて、ドンスは大使執務室を後にした。


「大変失礼な言い方かもしれませんが、ドンスがどうやって外務公務員試験に合格したのか、理解に苦しむ所です」


執務室の扉を閉めたガルボルグが、思わず口走った。


「世の中には、色々と馬鹿げた事が起こるものだよ、ガルボルグ。そして、その馬鹿げた事も、また真理の一つということさ」


ドンスの真の貌を知っているリンデラントは、そうガルボルグへ伝えた。


「そういうものですか」


「そうだな。事実は事実として受け止める。外交官として、大切な資質の一つでもある」


「はい、ご指導、ありがとうございます」


理解したのかしてないのか不明だが、そのようにガルボルグは返事をした。
























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