第106話 敵か味方か
セヴェルスラビア 帝都デミドフ 皇祠宮 書斎
「それで、援軍の約条はできなかったのですか?」
前皇太子妃、現皇太子母のナターリア公が声を荒げた。
「私は正式な交渉権を持ち合わせていません。また、援軍を要請するに当たって、こちらは何も代償を払わないなど、それはあり得ません。その位、貴女も理解されているでしょう?」
呆れた口調でフョードル公が返した。
「マルメディアの支援が必要なら、先の戦争で獲得したノイス川以南の領土を返還し、不可侵条約締結、賠償金支払いくらいの代償を払わないと。我が国の内戦へ介入し、人命、財貨、資材を見返りも無しに無償で提供する国が、一体どこにあると言うのですか?」
不可侵条約は意味がないか。
セヴェルスラビアは、ボルグ・ベック協定を無視してマルメディアへ侵攻したからな。
「では、獲得した領土を返還するならば、支援の可能性があるのですね」
これは駄目だ。
立太子した息子を皇帝にしたい一心で、周囲が見えなくなっている。
「…内戦が起きて、皇太子派と摂政派のどちらかが生き残って、いや、共倒れとなって国が疲弊した場合、ナイメリアやマルメディアが大手を振って侵攻してくるでしょう。それに対処できる力は我が国には残っていない。内戦へ介入しないで放置する。その方が、外国勢力の利益になる筈です」
「それでは、私はどうすれば良いのですか?」
「どうと言われましても、私は政策立案の担当者ではありません。まあ、一般論を言うのであれば、内戦は起こさない。起こってしまった場合、外国勢力の誘致はしない。仲介者を見つけ、速やかに停戦の話し合いをする、この辺りですか」
溜め息混じりに、ナターリア公へ、そう伝えた。
「まずは、内戦を起こさない。アレクセイ公に皇位を譲るか、ニコライ公が成人するまで摂政として実務を執ってもらうか、という所ですか」
「…外国勢力の誘致はしない、は私も分かります。ですが、武力の裏付けが無いと、政変が起きるではありませんか」
「ですから、皇位継承順第三位のアレクセイ公へ皇位を禅譲するのです。それから、仲介者を見つける。これですが…」
仲介者がいない。
内戦の場合、一般には宗教勢力が内戦の当事者に与することは無い筈だ。
中立の立場だろう。
それが今回は、皇太子派を支持するとナターリア公へ内々で伝えている。
解せぬ。
あの大主教、セルギイ3世は何を考えているんだ?
「…本来なら東方教会を仲介役としたいのですが、ニコライ公を支持するなら無理です。利害関係の希薄な列強、ヴァレーゼやオクシタニアに仲介を依頼するしかないでしょう」
「彼の国は仲介をしてくれるのでしょうか?」
「只では動かないでしょう。こちらも、何らかの利益供与を…そう、例えば、鉄道敷設に当たってはオクシタニアの資本を導入する、駅周辺、沿線の開発権を与える、この辺りの見返りで仲介役に引き摺り出すしかないでしょう」
やれやれ、皇祠宮へ参内しているという事実だけで、摂政派から見ると排除対象になっている筈。
こんな提言までしてると摂政派に知られたら、亡きミハイル公の後を追うのは必至だ。
「その交渉の際には、使者として働いてくれますね?」
縋るような眼で、ナターリア公がこちらを見てくる。
「無理です。私にそのような外国使節の任を与えることは、皇帝陛下、摂政殿下、総理大臣、外務大臣にしか出来ません。あなたは、そのいずれでもない」
皇太子派の首領であるナターリア公は、視野狭窄に陥ってこの有様だ。
これは泥舟ではないか。
だが、この泥舟を東方教会は支援するという。
何か回天の秘策でもあるのか?
「残念ながら、ご要望にはお応えできません」
「あなたは皇族でありながら、その責務を放棄すると言うのですか!」
ナターリア公が、金切り声で叫んだ。
「もういい、下がりなさい!」
「宮の実質的な主人の命です。これにて、退出いたします」
「フョードル公がお帰りになられる」
同席していたナターリア公付き侍従が、声を上げる。
一礼して、皇嗣宮の書斎を立ち去る。
ここは一旦、皇太子派とは距離を置くのが正解だろう。
◆
「フョードルをどう見ましたか?」
フョードル公が立ち去った書斎で、ナターリア公が侍従に尋ねた。
「こちら側は、分が悪いと判断しているのでしょう。ですが、積極的にアレクセイ公側に付くという印象もありません。出来るだけ中立の立場で、仲介役として動けるような立場にいたいのでは?」
「私も同じ意見です。フョードルも先の見えない人物ではありません。我が国には大胆な改革が必要なことは、理解しているでしょう。しかし、私達を表立って支持する肚が無いとは、情けない」
感情剥き出しだったのは演技だったのか、先程とは打って変わって努めて冷静に分析する。
「旗幟が不鮮明な者もいますが…」
「大凡のところは判明しました。帝国を蝕む奸賊の始末をしなければなりません」
ミハイル暗殺の実行犯の捕縛は無理でも、教唆した者の処断は、これは確実に行う。
「イグナチェフ侯爵、コマロフ伯爵、ブーニン辺境伯、ソコロフスキー宮廷伯、それにアレクセイ公爵。この5人だけは何としても…」
抹殺してやる、と醒めた眼をしてナターリア公が告げた。
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