第100話 外務省第五局
イワン・イワノビッチの偽名で、ヴァレーゼやカルシュタインで行動していた、陸軍情報部ヨハン・ローレンツが、外務省第五局へ姿を現した。
「歓迎いたします。ローレンツ少佐いや、失礼、昇進されて中佐でしたか」
局長フォン・ヴァイゼンが挨拶した。
「いや、正式な中佐ではなく中佐待遇の少佐、特務中佐ですよ。階級はともかく、給料が上がったのはありがたい」
ローレンツは笑いながら応じた。
「やっと帰国できたので、軍に復命の挨拶をしてきました。こちらにも挨拶が必要でしたから、局長にお時間を割いて頂いて感謝しております」
「・・・大変失礼な話かもしれないが、特務中佐の名前からすると、カルシュタインの都市のローレンツブルクと何か関わりがあるのですか?」
「ああ、それはですね、かなり昔の話になりますが、私の祖先のフォン・ローレンツ伯爵家の領地の中心だった都市です。カルシュタイン独立の際に王国側で戦って領地を失い、フォン・ローレンツ家は爵位を返上し、フォンの名前を捨てたのです。戦争に負けるとは、まあ、そういうことですか」
「フォン・ヴァイゼン子爵家よりも高位のお方でしたか。言い難いお話しを尋ねてしまい、大変失礼いたしました。そう言えば、造幣局の局長もローレンツ姓だと記憶しておりますが・・・」
「いや、元伯爵家ですから、どうかお気になさらずに。造幣局に勤務しているのは、従兄弟のクルトです」
手を左右に振って、気にしないでくれと言う。
「作戦遂行中にローレンツブルクへも行きました。フォン・ローレンツ家の屋敷だった建物が未だ残っていて、市の博物館として利用されてましたよ。大切に保存され利用されていて嬉しい気持ち半分。本来なら自分がこの建物の主だったのに、と悔しいというか虚しい気持ち半分でしたが」
「・・・そうでしたか。では、特務中佐。今回の『鉄槌作戦』の総括等、簡単にお伺いしたいのですが・・・」
「後から報告書を軍に提出します。局長も報告書を読む資格がありますが、この場で軽く語っておきますか。今回の作戦は、原型を考案した警察庁のヘフナーが、功一等でしょう。無論、偽札の原盤を製作した造幣局のマンハイムもですが」
「いや、あなたも大変な苦労をされたと思いますが」
局長は、イワン・イワノビッチを演じたローレンツも功一等だと言う。
「私はただ、与えられた役目を演じていただけですよ。カルシュタインに偽札を持ち込むのに、ヴァレーゼの犯罪組織の密輸網を利用する。支払いは金(ゴールド)で行う。偽札を市中に還流させてから、取り付け騒ぎを起こす。そこで、偽札が発見されて兌換券の信用を無くし、兌換請求を続出、一部で正貨準備枯渇を起こす。そこへ大量の偽札発見の報が入る」
特務中佐は、作戦の一連の流れを改めて説明する。
「兌換券の5000ドーリア紙幣を流通禁止に追い込み、カルシュタイン経済を破壊する、ですか。ご存知でしょうが、市民を煽動して、暴徒が銀行を襲う予定もあったのですが、こちらは中止になりました」
「まさか、金本位制を廃止にまで追い込むとは、私も思ってませんでした」
「ヘフナーは、そこまで考えていたのでは?取り付けで預金流出し手持ちの現金が無くなった銀行が、所有して運用していた株式を市場で一斉に売却し、市場の暴落も起こす。経済収縮が起こって、赤字の企業は当然として黒字だった企業も一気に業績悪化で倒産。ドーリア暴落に取引所恐慌、銀行まで倒産が始まっての金融大恐慌。こんな恐ろしい事態を、一人の人間が考えたとは信じられませんな」
当事者のローレンツがそう言っているのだ。
カルシュタインの金融当局が真実を知ったら、卒倒するのではないか、と局長は思った。
「偽札の出所が分からないようにして、大量の偽札が発見されるようにするのには難儀しましたがね。まぁ、死んでも構わない人間をヴァレーゼから派遣してもらって解決しましたが」
あっさりと、殺人が行われた、とローレンツは言った。
「・・・他には何か?」
「そう・・・やはり、当初の予定通りに、金融機関を経営しているヴァレーゼの犯罪組織を巻き込んだのが大きい。取り付けの経済連鎖がヴァレーゼに飛び火しないように、事前に連絡し対策が出来た。その銀行から地域にある他行、ヴァレーゼ大蔵省へ早目に情報が伝わり、小規模な取り付けは起こったが、簡単に沈静化できた。そこまで考えてアルジェント一家を選んだのだから、この作戦の成功は、保証書付きだったのです」
そう講評したローレンツ。
「詳細については報告書を読んで頂いて、分からない部分については補足の説明に伺いますが・・・」
「大変ご苦労様でした。この後は休暇ですか?」
「はい、上層部が配慮してくれたのか、1週間ほど休みを頂きました。特務中佐への昇進もですが、ありがたいことです」
ローレンツは笑顔だ。
一方、カルシュタインでは、第三銀行が破綻していた。
一般には『貴族銀行』と呼ばれ、宮内省の本金庫にして多数の貴族が資金を預けて運用していた銀行だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます