第92話 鉄槌⑥
カルシュタイン南西部 デュルクハイム県クレーバーシュタット
デュルクハイム銀行クレーバーシュタット支店前には、早朝にも関わらず開店を待つ人々が400人を超え、支店のある街区に長蛇の列を作っていた。
出勤途上で行列を見た支店幹部は事態を察知して、本店の緊急連絡先へ電話した。
だが通話中の状態が続いいて、なかなか本店へ報告することが出来ないでいた。
出勤してきた支店長の指示で、混乱防止の為に警察へ警官の派遣を要請し、行列に並んでいる人用に整理券を作成して配布。行列の最後尾の位置を表示する看板も作成する。
「クレーバーシュタット支店です!」
やっと電話が繋がった本店の緊急連絡先からは、無情な内容が伝えられた。
「そちらも
と告げられる。
「えっ?そちらもって、他支店でも起こっているんですか?」
電話をしていた行員は、愕然とした。
一体、何がどうなっているんだ?
何が起こっている?
「いいから番号を記録しろ!02…だ」
「02…ですね?」
本店からの指示で我を取り戻し、告げられた番号を手近な紙片に書き込んだ。
「番号は記録したな?取り付けか?ああ、そうだ。他の支店でも起こっていて、この回線は空けておく必要がある。先程言ったの番号に連絡してくれ。本日は大変なことになる、心して業務に従事してくれ。以上だ」
本店の行員が受話器を置くと、即座に呼び出し音が鳴り響いた。
「ああ、分かっている。取り付けだろ?これから伝える番号へ報告してくれ。番号は…」
くそっ、これで8支店目か!
空いている回線も少なくなってきた。
一体、何が起きているんだ?
◆
クレーバーシュタット支店だけではないのか!
本店へ連絡した行員が、受話器を握ったまま硬直していた。
一体、何が起こっている?
いかん、まずは先程伝えられた番号へ連絡しなければ!
「00000クレーバーシュタット支店です。はい、取り付けです…ええ…整理券を渡して、対応…はい、500を超えています。支店長は、本店の指示を仰いでいます…えっ?…了解しました、支店長へ伝えます」
本店からの指示は「追って連絡する」だった。
現段階では、打つ手無しってことか?
◆
「いつもの業務とやる事は同じである。一つ一つの案件、一人一人の顧客へ誠実に対応するだけだ。多少の混乱はあるだろうが、いつも通りに淡々と処理して捌いていこう」
朝礼中の支店長シャイダーへ『複数の他支店で取り付け発生』と書かれた紙片が渡された。
「…大変な一日になりそうだ。しかし、集中して、そう、いつもの通りに集中して、しっかり業務に従事しよう。私からは以上だ」
シャイダーは、朝礼をそう締めた。
…これは駄目かもしれないな。
全身の力が抜け倒れそうになるのを、シャイダーは辛うじて抑えた。
◆
カルシュタイン大蔵省銀行監督局には、西部の複数の銀行から「取り付けが起こっている」と報告が入った。
大蔵省と中央銀行の幹部が協議して、取り付けが起こっている銀行へ特別融資を行うことを決定し、現金輸送の手配をする。
だが、銀行の入り口から続いている列を見た市民が「あの銀行は大丈夫か?」「ここも危ないかも」と一気に噂が広がり、カルシュタイン西部の全ての銀行で一斉に取り付けが始まった。
根拠が全くない単なる噂は、枯れ野に広がる野火のようにカルシュタイン全土へ広まっていった。
カルシュタイン中央銀行の地方支店には手持ちの現金が無くなり、取り付けに対応できなくなっていた。
中央銀行、大蔵省、取り付けが起きている銀行6社が電話で遣り取りをして、混乱収拾には預金封鎖するしかない、と意見が一致した。
これが、午前10時前のことだった。
金融行政の責任者である大蔵大臣ギーガーが首相ゴッセンへ許可を求めたが、首相は不在であると首相官邸から連絡があった。
「不在とは、一体どういうことだ!」
電話口で怒鳴っていたギーガーだったが、首相秘書官の一言で黙り込んでしまった。
「ゴッセン首相閣下は、
「……」
いかん。
首相の許可なく預金封鎖はできない。
金融行政の責任者として預金封鎖を命ずるのは、行政指導の域を超えている。
それは拙い。
躊躇したが、気を取り直して首相秘書官へ言った。
「私と首相の判断は、異なるかもしれない。閣内不一致はよろしくない。首相に判断してもらうまで、大蔵省も、中央銀行も、各銀行も動けない。早急に首相への連絡をお願いしたい」
芝球だと?
平日の木曜日にか?
ギーガーは、腹の中で首相を罵った。
このまま預金流出が続くと、銀行が保たない。
一刻も早い対応を。
中央銀行、大蔵省の金融担当部署、各銀行から悲鳴にも似た声が上がっていた。
「…銀行監督局から各銀行へ、預金引出制限の要請をして時間を稼ごう」
法的根拠のない『要請』をして、各銀行へ判断を委ねよう。
姑息だが、それしか今は出来ない。
ギーガーは、足元が崩れ落ちるような感覚に襲われながら、そう命令した。
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