第91話  鉄槌⑤

カルシュタイン北西部、ヴァーダーン県アルクマール


麦酒酒場ビアホールロエヴェ


「そしたらさ、あそこの宝石屋のオヤジとバッタリ会ったんだ」


麦酒ビールを飲みながら、男は連れに話していた。


「お前がか?年中自転車操業のお前が、宝石屋のオヤジと知り合いな訳ないだろ?」

連れはそう揶揄してから、麦酒を煽る。


「いや、この前、先月産まれた長男の記念品で名前入りの銀の匙を誂えたんだ。それで向こうは憶えていてくれたみたいだ」

麦酒を飲んでから、そう説明する。


「ああ、ガキの匙か。銀の匙を用意するとか、どこの伯爵様アチッ!」

出来立ての揚げ芋ポメスが熱かったのか、小さな悲鳴を上げて麦酒を口にする。


「で、そのオヤジがどうしたって?」


「ああ、銀の匙のご購入、ありがとうございましたって礼を言われたよ。問題は、その後だ」


「お礼が問題なのか?」


「いや、そうじゃない。お客様、デュルクハイム銀行にお金を預けてあったら、引き出した方がよろしいですよってきたもんだ」


「銀行?どうしたってんだ?」

連れが腸詰ソーセージにかぶり付いた。


「詳しいことは言えない。これだけで察してくれ、だとさ」


「ふうん。そのオヤジは銀行帰りだったと」


「・・・みたいだな。まぁ話し半分として、銀行に預けてある我が家の資産1000万ドーリアの半分、500万ドーリアを引き上げないとな」

笑いながら、揚げ芋を口に放り込む。


「500万か、大きく出たねぇ」

連れも笑っている。

「なら、ここの勘定は払ってくださいませ、伯爵様」


「いや、それとこれとは、また話が違うな」


「お客さん、その宝石屋って、フーバー=フレプス宝石ですか?」

薄焼き麦餅フラムクーヘンを運んできた店員が尋ねてきた。


「ああ、そうだよ」


「午後は臨時休業になってましたね」

店員がそう言った。


「・・・昼間から店を閉めて銀行へ行ってたのか、マジか?」


「明日は朝一番で銀行に行かないとな。これは深酒してる場合じゃないわ」


麦酒の追加注文を止めた二人組は、ツマミを黙々と口にしてロエヴェを立ち去った。


ロエヴェの常連客に『銀行が危ない』と噂が広まるのには、1時間とかからなかった。




カルシュタイン南西部デュルクハイム県クレーバーシュタット


「・・・で、珍しく銀行で、フレプスの奥さんに会って挨拶したのよ」


「奥さんって、ジモーネだったか?」

クレーバーシュタット第一小学校校長のウルリッヒが妻のレーベッカへ尋ねた。


「あなた、もう呆けが始まったの?イングリットでしょ、イングリット!」


「ああ、ジモーネはエンデの奥さんだったか。それで?」


「そう、イングリットがね、こっそり打ち明けてくれたのよ。デュルクハイム銀行が危ないって」


「はあ?お前、デュルクハイムって大手だぞ。危ないって、一体どうなってる?」

俄には信じられない、と首を振る。


「だから、私じゃないのよ。危ないって言ってのは、イングリットよ。それでね、預けていたお金、解約しに来たんですって」


「・・・」


フレプスは宝石商だ。金への嗅覚も鋭いし、目端も利く。

そのフレプスが、銀行の預金だけを解約?

・・・これは本当にデュルクハイム銀行は危ないのかもしれない。


「明日は朝一番で、銀行に行った方が良さそうだな」

ウルリッヒがそう言うと、レーベッカも同意した。


二人は知る由もなかったが、この時すでに翌日の開店を待つ30名程の行列が、デュルクハイム銀行クレーバーシュタット支店の前に発生していた。

















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