第90話  鉄槌④

カルシュタイン南西部 デュルクハイム県クレーバーシュタット


フレプス宝飾店


店の扉が開く音と、妻の発する「いらっしゃいませ」の声を聞いて、店主のオズヴァルト・フレプスは帳簿に向けていた視線を店内へ向けた。


一目見ただけで貴族か金持ちと分かる、上質の上着を着ている客が従者を連れて店内へ入って来る。


「いらっしゃいませ、店主のフレプスと申します。御用命を承ります」


「こちらでは、金地金インゴットの取り扱いはあるのですか?」


従者が尋ねた。


「はい、ございます」


「今の価格は、どの程度でしょうか?」


「・・・価格は、1ストーン当たり421300ドーリア(7222円/g.)が、本日の価格です。如何ほどお求めです?」


「これで買えるだけお願いしたい」


従者がそう言って、デュルクハイム銀行の帯封がついた5000ドーリア紙幣の束を三つ鞄から取り出した。


「!…ええっと、150万ドーリア(1800万円)ですか。すると…おおよそですが、3.4ストーン(2.5kg)ほどになります。正確な計算をいたしますが、よろしいですか?」


「うむ、お願いしたい」


主人の貴族?が言った。


妻のイングリットが遣り取りを聞いていて、計算した結果を渡してきた。


「失礼いたしました。3.5ストーンになります。3.6ストーンだと150万ドーリアを超えます」


「では、3.5ストーンだ。よろしく頼む」


「かしこまりました。あの、失礼ですが、爵位をお伺いしてもよろしいでしょうか?」


「いやいや、爵位なんて無い、ただの小金持ちですよ」


その男は、笑って貴族ではないと言った。


「あまりに気品あるお姿でしたので、てっきりどこかの侯爵様かと」


「まぁ、お世辞と分かっていても、そう言われると悪い気はしないね」


「いえ、お世辞だなんて、そんな」


店主フレプスは手を左右に振って、お世辞ではないと言った。


「お世辞のお礼に一つ、デュルクハイム銀行の噂は聞いたかな?」


小金持ちが声を潜めた。


「噂、ですか?…さあ、私は何も」


「私も知人から聞いたんだが、どうやらアレらしい、」


「アレ、ですか…」


アレとは何だ、という顔をしている。


「ああ。なので、預金を解約して、こちらで金地金を買うことにしたのだ。危険は分散しないとね」


「そうです、仰る通りです。資産は分散させて管理した方が、いざという時に危険回避できます」


アレとは何だ?まさか…




その小金持ちが店を出た直後に、フレプスは営業終了の札を扉にかけた。


「さっきの客、預金を解約したその足で、ウチへ来たわけだ」


「アレって、経営破綻でしょうか?」


イングリットが不安そうに言う。


「金持ちは金への嗅覚が効くし、危険回避の能力も高い。だから金が貯まる。ここは黙ってあの金持ちを見習って、デュルクハイム銀行に預けてある金を引き出すか」


「そうですね。まだ、窓口は開いています」


「うん、ちょっと行ってくる。いや、代わりにお前が行ってくれないか?アルクマールの叔父さんにも教えておかないとな」




「さて、これでアルクマールで宝飾店をやっている親戚に連絡する筈だ」


「明日の朝が楽しみになってきたな」


フレプス宝飾店を出た二人組の「小金持ちと従者」は、待たせてあった馬車に乗り込んでから、そんな会話を交わしていた。




「はい、こちらフーバー=フレプス宝なんだ、オズヴァルトか!久しぶりだな、たまには電話で…うん、うん…銀行帰りにか?…それはいかん!こっちも直ぐに銀行だ!教えてくれて助かるよ、またな!」


カルシュタイン北西部、ヴァーダーン県アルクマールにあるフーバー=フレプス宝石店は、急遽臨時休業となった。


店主のヘルマン・フレプスと奥方ミアが手分けして銀行回りをするために、店から飛び出して行った。

















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